勤労感謝の日は、上野で開催されたあるオープントークを聴きに行きました。ライカブリッジでもインタビューした作業療法士をしているAさんが登壇するというので、応援に出かけました。テーマは「認知症の世界とアートの出会い」です。シンポジウムのような形式で認知症の方と芸術鑑賞をフラットな関係でする活動とか、認知症のある方がたの見え方に配慮したデザインの話などなかなか面白いお話でした。会場には手話通訳も文字支援も完備されていました。
さてAさんのプレゼンです。開口一番彼女は自己紹介しました。「案内文に書くのを忘れたのですが、私は難聴があり、会場の皆様のご意見を少し聞き漏らすことがあるかもしれません。」ということをまず伝えました。会場は、それを自然に受けとめている雰囲気でした。私はまずそれをうれしく思いました。確かに案内文のプロフィールは、全く難聴には触れていないものだったので、少し残念に思っていたのです。彼女のプレゼンはよくまとまっていて、わかりやすく、よかった!
常々思うことですが、なんとなくきこえる人と同じようにしているのではなく、きこえづらいということがどういうことなのかを皆さんに知ってもらうことが大事だと思うので、「話せる」けど「きこえづらい」、発信はOKだが、受信が苦労する、というギャップを機会あるごとにアピールしてほしいと思うのです。
最後に登壇者が舞台に並び、登壇者同士のトークが始まりました。その場面は、私にとって少しもやもやするものでした。Aさんは、順番にマイクで話す登壇者の口元を見つめています。舞台の袖にいる手話通訳者も文字支援のパネルも見ていません。Aさんは、手話ユーザーではないし、音声文字化はタイムラグがあって、話の流れには乗れないのです。マイクの音声は難聴者には、ききづらいものです。Aさんは、かなり読話して、つまり口を読んで理解しようとしています。彼女が聞き取り(読み取り)に使っているエネルギーに気づいている人はほぼいないだろうと思いました。
手話通訳も文字支援もあるので、ぱっと見、完璧な情報保障に見えるのですが、Aさんにとっては、人知れず人一倍のエネルギーを読み取りに使わなくてはならない状況だったと思います。後で、ラインでそのことを彼女に問うと、「クロストーク、部分的に拾えなかったです」とのことでした。結果的には、彼女はうまく質問に応えていたので、「そこまで問題なかったです」とのことでしたが、「(文字化の)タイムラグは思ったよりあったので、課題だなと思いました」とのことでした。
もちろん「認知症」の理解が主なテーマなのですが、すぐ近くにいる難聴者への本当の配慮をしていただけるとすれば、登壇者がもう少し口の動きをはっきりと彼女に見えるように向けてくれるということもあったかもしれません。または文字支援のタイムラグを意識して、彼女が文字で確認する時間をとってあげるなどの配慮がないと文字支援は活用できないということです。多分やってみないとわからなかったのだと思いますが、難聴者はその場を我慢するのではなく、今一歩理解を得る努力も求められるのではないかと思いました。難聴者への支援は、「わかる」だけでなく、「話の流れについていけるか」という観点もなければならないのだなと改めて思いました。
でもAさん、お疲れ様!ケチつけて悪かったけど、この記事をブログに挙げることを快く承知してくれたこと、むしろ挙げるべきと言ってくれたこと、ありがとう!
しかし!こんなオープントークで堂々とプレゼンしたこと、素晴らしい!!今後のご活躍も応援します!
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