「Shu-Shanの物語」では、中国革命の約100年間を描いており(太平天国も含む)、そこで犠牲になった1億人もの魂を供養する目的で書いています。
このテーマは当然多くの中国人作家によって書かれるべきですが、中国共産党(ドン)は歴史を修正しているので、真実を書くと捕まってしまいます。
この為、とても多くの魂は供養されないまま闇に葬られており、その為に中国の歴史教育は日本のよりも薄っぺらい、「魂」のこもらないモノになっている感があります。
こうした中国社会に対して、私は20年来ずっと違和感を抱き続けてきましたが、最近のロシアによる軍事進行を観てそれは危機感に変わりました。
ドンが教育と情報を統制する社会では、少数民族の「浄化」を支持するように国民と子供たちは洗脳され、それを拒むコトが出来ません。
これが健全な社会であるハズはなく、必ず「ほころび」が生じて周りの国にその「はけ口」を求める様になると思えます。
中国に於ける「愛国教育=反日教育」は勢いを増しており、それに対抗する勢力は香港が滑落し、そこに本部を構えて戦っていた法輪功の新聞社「大紀元」は潰されてしまいました。
しかし法輪功は世界中に組織を広げており、日本にも支部があってネット配信を続けているので、ぜひ応援してあげて下さい。
話を「どう供養すべきか?」に戻しますと、私は無念の死を遂げた人々を弔う最善の方法は、ただ彼等の「善き思い出」を描くコトかと思います。
これは歌で言えばエンヤの「On my way home」がちょうどそれを唄っており、「死ぬ瞬間」にはただ善き思い出だけを持って旅立とうと唄っています。
因みにエンヤはデビューアルバムの「ケルツ」が特に素晴らしいので、まだ聴いてない方はぜひチェックしてみて下さい。
最終章「祥」では収容所でのハンガーストライキで2万人が亡くなりますが、この章のテーマ音楽はこうした温かみのあるモノにしたいと思ってます。