イギリスのインド支配は思いっきり差別的で、インド人に教育など必要ないと言わんばかりでしたが、日本の朝鮮支配でも決して誉められる教育は行われませんでした。
アッシリアの支配はこれよりも更に悪かったと思われ、そもそもアッシリア人の大半がまともな教育を受けていなかったでしょう。
アッシリアは学校が発祥したメソポタミア文明を呑み込んだので、教育という文化が存在するコトは知っていましたが、彼等はひたすら戦争ばかりしていたので、軍隊が学校の替わりと成ったハズです。
そんな軍事教育一辺倒で洗脳された少年達が、成人してから平和な世の中を望むハズもなく、彼等は常に次の戦争を求め続けました。
トゥルクの使命はそうした悪しき流れを断ち切るコトで、その為には夫(パル)の協力が必要でした。
パルはわりと文化芸術を求めるタチで、これは戦争一辺倒だった父親に対する反感からもあり、メソポタミアの進んだ文化には敬意を払っていました。
なのでインダス文明が自分達より進んだ文明だとも認め、それを根絶やしにする様なコトはしませんでした。
セイは上手くパルを持ち上げて、彼を聖君に仕立てようとします。
パルもそれを志向していたので、善き伴侶を得てコトは前向きに進んで行きます。
インダスの学校は復興して言葉と文化は残り、それをアッシリア人も謙虚に学んで現地人との同化を図ります。
これは征服民が被征服民を強制的に同化するのとは正反対で、こうした事例は稀ですがかつて中国やイギリスでも起こりました。
やはり人口比で圧倒的に少ない征服民が、文化度で優れる被征服民をずっと支配し続けるコトなど不可能であり、いつかは逆に呑み込まれるのが自然な流れでなのでしょう。
ならば不自然で不幸な時代など早く終わらせるべきで、アッシリア兵に無理やり妻にされたインダス女性達も、夫に対して憎しみだけではなく愛も持てる様に、早くするべきです。
これがチベットに於ける中国支配の大きな課題であるコトは前作でも語りましたが、直接的に中国共産党(ドン)にこれを訴えても聴き入れられるとは思えないので、こうして一万年前の物語でそれを訴えようとしている次第です。