これは最近ローヤに閉じ込められて読めた本ですが、官本でこれ程の文学書は無いので差し入れして貰いました。
この本の主人公である「少年」は、同時代の夏目漱石や森鴎外を「低俗」の2文字で片付けるような詩人で、彼が崇拝したのは前回挙げたコルチャック等のヨーロッパの反ナツィズム(全体主義)作家達でした。
金沢出身の「少年」は東京で奔放な学生暮らしをして「青年」となり、一応卒業して仕事にも就きますが直ぐに中国戦線へ送られ、なんとか生き残って「男」と成ります。
これは作者の自伝小説で、戦後「男」は国民党によって抑留されて共産党と戦わされ、敗れて台湾から日本へ逃げのびます。
ここまで「戦争と屈折」を描いた作家は滅多に居らず、彼がインドの文学賞を受けたのも理解できます。
今回は日本やインドの戦争についてではなく、戦争と「少年の屈折」について語ります。
善衛少年は25才まで生きられるとは思わず、実際に周りの詩人達は若くして命を落として行きました。
こうした社会環境は早熟な少年達を生み、彼等は様々な屈折の仕方を見せました。
中には軍国主義に傾倒して、それに反対する少女を殴ってしまう者もおり、それは少年達の間で闘争にまで発展しました。
これを大人達は子供のコトとして無視し、かまう余裕すら無かったのですが、「三つ子の魂百まで」と言われるのでせめて文学では大事にしたいと思います。
少年少女達が未来を担って行くコトは確実で、それを無視したりオザナリな教育機関に丸投げする様な社会に、明るい未来があるとは思えません。
トゥルクが王(パル)に最も強く訴えたのもこの点で、彼女は滅ぼされたインダス文明の学校を復興させます。
これは長く険しい道ですが、シャングリラから自分の教え子達を大勢呼び寄せて、成長した彼等はトゥルクの事業を大いに助けるとします。