ゆきさんのブログ

元お祭りオヤジの周辺・・・

アラスカの日本人

2005年03月13日 14時42分07秒 | マイ・ブーム
昨日、アラスカで「オーロラを見る宿」を営む若い日本人夫婦の生活をテレビで放映して
いた。この極寒の地の生活は一人ではできない。地域の住民が助け合って生きている。
田舎の生活で「隣のひとがうるさい」などと流暢なことを言っていられるようなレベルで
はなく、自分の命を守るために互いに隣人と助け合わなくてはならないのだ。
暖かい地方なら凍え死にすることはないだろうが、ライフラインの故障は命取りになる。
従って、とにかく近くの人と仲良くしている。もっとも、隣と言っても騒音が気になるよ
うな距離ではないだろうが・・・。

話題の中に、地域の人とのかかわり方、助け合い方などを上手に教えているように思えた。
ホームパーティをお互いにやり合ってコミュニケーションをとっている。よそから来た人
にも上手に窓を開けており、また、そういう雰囲気に慣れ親しむことが、厳しい自然環境
の中で生かされることになることを教えている。

二本松という場所は、他から来た人に理解できないような変な「地域意識」がある。
私は松岡に40年近く住んでいる。父の仕事の関係で松岡に住居を移したのだが、町会内
もめ事があったときに言われたことがある。「あんたは、亀谷だからね」と。
二本松提灯祭りの太鼓台を所有している町内は7つだ。この町内の場合、お祭りの対抗
意識=地区意識であり、「あっちには負けるな」という形で良い意味で祭りを盛んにする
エネルギーに使われてきた。
しかし、ややもすると何かの時にこの意識はデメリットとなって現れることもある。

「住みよい場所ですか」と問われたら、「住みにくいかもしれない」と言うだろうか。
この地方特有の非開放感は、ある郷土史家の話にあるような「戊辰戦争による後遺症」か
も知れない。「三春きつねにだまされて・・・」というように、「他から来る人を信用す
るな」というような教えもあるのかも知れない。
(よそ道になるが、戊辰戦争で仲間だった奥州列藩同盟の三春藩が敵方に寝返り、案内役
をして二本松領内へやって来たことによる)

さて、青年海外協力隊の訓練所が二本松市に出来てから外国人を多く見かけるようになって
きた。元々遊牧民である人種は定住地を選ぶことに抵抗は無いようだ。その点、日本人の
場合は「故郷」というものに執着がある。余所者というような言い方は城下町でなくとも
田舎に行けば行くほど強くなるようだ。
外国人が多く住むようになり、今までのつながりとは別の糸が結ばれつつあるのかも・・。

二本松の偉人・朝河貫一博士は、太平洋戦争中の日米の架け橋としてのパイオニアであった
こと、そういうDNAがこの地方にあるということも忘れてはならない。
この地方の人ネットワーク基準も変わって行かなくてはならないと思う。
いや、すでに変わりつつあると思う。