ゆきさんのブログ

元お祭りオヤジの周辺・・・

お祭り会館とは何か

2007年01月11日 10時37分22秒 | 祭人
他地方におけるお祭り会館の現状。と、言っても、そう多くのお祭り会館を
見てきたわけではない。これから、本当にお祭り会館を建設するのが良いの
かも含めて、調査や研究を続けて行きたい。
まず、第一回目としては、お祭り会館とはどういうものなのかを考えてみよう
と思う。

お祭り会館は本当に必要なのだろうか?
いわゆる通年観光の拠点としてお祭り会館があることによって、お祭りを年中
見たり、触れたりすることができる、というものだ。
しかし、本来ならお祭り本番に来て見てもらうのは一番いいに決まっている。
では、それでもお祭り会館は欲しいのだろうか。

太鼓台の展示室として
今、二本松市が所有する太鼓台のレプリカは、二本松市歴史資料館に常設展示
されている。ただ、訪問してご覧になった方は分かると思うが、提灯枠までは
ついているのだが、肝心のスギナリの頂点が天井につかえている状態なのだ。
知らない人が見たら、ああいうものかと思うかも知れない。
もっとも、太鼓台の展示用に建てられた建物で無いのでいたしかた無いのだ。
また、よく口にして言われることは「観光バスの入れない久保町にある」とい
うことで、多くの二本松市への来訪者がその見るチャンスを少なくしている訳
でもある。

場所はどこがいいのか
この問題は多くの議論を重ねることになると思う。何しろ、二本松市内には
多くのTMOが存在して、その核ともなりうるお祭り会館はハナシがあちこち
で出ている。ただ、お祭りそものもの存続や維持を願っている私達にとって
場所の問題よりも重要なのは、二本松提灯祭りを正しく多くの人に見てもらう
ということが重要であって、どこの出来るかはさして問題にならないと思う。
強いて言うなら、観光客の利便、いや、市民の利便を最優先するべきである
と思う。

お祭り会館の目的
場所の部分でも少々触れたけれど、観光客だけを相手にしたお祭り会館だけ
では不足があるというものだ。お祭り会館は二本松提灯祭りの殿堂としての
位置づけが欲しい。例えば、地元の小中学生が郷土研究でお祭りを知りたいと
思ったら「お祭り会館」へ行けば判る、という風にありたいものだ。
つまり、単に太鼓台や祭りのシーンを見せるだけの入れ物であってはならない
ということである。

最近、亀谷町の唐破風が里帰りしたという記事を書くために、二本松市の文化
財倉庫(旧原瀬小校舎)を見せていただいた。二階の教室だった一室にそれは
置いてあった。原瀬の盆踊り屋台に使われていたものが亀谷に戻され、亀谷町
では保存ができないという理由から二本松市へ寄託したわけである。文化財の
保存について述べるだけの知識はないので二本松市の保存の仕方について論評
はしないが、亀谷町の破風のほかに他町から寄贈された車輪や山車の土台など
も一緒に置いてあった。
少なくとも、一般市民の目に触れやすい場所でないことは確かである。
その点からすると、貴重な二本松提灯祭りの歴史を振り返る意味では役不足と
言わざるを得ない。だから、そういう歴史研究の場としてお祭り会館があるこ
とは必要であると思う。