コロナ自粛でお家時間が多くなり
学びたかったことを学ぶ時間ができます。
学生の頃、美学に興味を持ってちょっとかじったことがあります。
美とは? 美しく感じるのはどういうことか?
その後も、ずっと関心を持っていましたが、
再び、ネットを使って調べ学習をしました。
40年ぶりです。
以下、コピペの切り貼りですが、学びの軌跡です。
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美学とは
哲学の中の1領域で「美とは何か?」を考える学問のこと。
「美学」は哲学の一領域
美学とは文字通り「美」とは何かを考える学問です。「美」とは何かを考える思想は古くからありましたが、学問としての美学は17~18世紀頃に体系化されました。1750年にドイツの哲学者バウムガルテンが『美学』という本を出版し、美学は哲学、論理学の一領域とされたのです。ところで、「美しい」と感じることは主観的で、直感的な認識にすぎません。しかし、「私が美しいと感じるものが、ほかの人も美しいと感じること」、つまり美という感覚を共有するコミュニケーションがどのように成立するのかについて考えることが、学問としての美学の出発点です。
「どういう基準で美を判断するのか」を学ぶのではなく、
「人々がどのようにして、美という感覚を共有してきたのか」を考える学問
平安時代の貴族の女性がしていた白塗り化粧を頭の中でイメージしてみてください。
一説によると、この化粧は当時「暗闇でもよく映えるから」と、美しいものとされていました。
けれど、現代の感覚だと「これが美しいの?」と疑問に思ってしまいます。
美学では、こういった白塗り化粧へ感じる美しさの変遷や、美しいと感じていた当時の人々の感性について考えます。
当時の情勢などを少しずつ紐解いていくと、理解できてくるのです。
美学を学ぶと、芸術がもっと楽しくなります
なぜなら、その芸術作品を見た時に考えることや感じることが、2倍にも3倍にもなるからです。
『白鳥の湖』
今まで気にも留めなかった音楽性や身体表現が、美学を勉強した後にはとても気になるものに思えたのです。
「どうしてこの作品は、美しいと評価され続けてきたのだろう?」
「この作品は、当時の人々の感性にどんな影響を与えたのだろう?」
「コール・ド・バレエの統一性や、白鳥と黒鳥の対称性に美しさを感じるのは何故だろう?」
そんな疑問が次々と湧いてきて、作品を見るのがもっと楽しくなりました。
美学を学ぶと、芸術作品を色々な視点から見られるようになります。
日常生活の中で見るものを美学的視点で眺めると、面白い発見があります
例えば、服装。
人によって美の基準が大きく分かれるものの代表例です。
そこで、自分が惹かれる服装に対して「なぜそれを美しいと思うのか?どうしてこれを好むのか?」を考えてみてください。
改めて自分の価値観と向き合うことで、自分でも気づいていなかった感覚に気づき、視野が広がります。
私はこの感覚がとても好きで、定期的に美術館などに通い、美学と向き合う時間を作っています。
美術史学や芸術学とは何が違うの?
似たような名前の学問に、美術史学や芸術学があります。
これらは、研究の焦点が「作品」や「歴史」になる点が、美学と異なっています。
なぜなら美学は、その作品に対しての「人の気持ち」や「感性」にフォーカスする学問だからです。
例えば、名画『モナ・リザ』について研究する場合。
美術史学や芸術学的な観点と、美学的な観点では、以下のような違いがあります。美術史学や芸術学的な観点で考える時のポイ美術史学や芸術学的な観点で考える時の
美術史学や芸術学的な観点で考える時のポイント
- 当時の時代背景
- スフマートや空気遠近法といった、絵画における特殊な技術
- 絵画の中に描かれているモチーフ
美学的な観点で考える時のポイント
- なぜ『モナ・リザ』を美しいと感じるのか
- 『モナ・リザ』は、見た人の感性にどのような影響をもたらしたのか
美学は抽象的で、答えが多岐にわたるということです。
人や自分の感性について学び、感性の歴史について学ぶと、感性や感覚の幅も広がっていきます。
広がった視野で見た芸術や日常は、きっと今とは大きく異なっているはずです。
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美学 (ウィキペディアより抜粋)
美学(びがく、英: aesthetics、またæsthetics、estheticsとも、希: Αισθητική (本文の2. 名称の項、参照)、「感性の学問」)とは美の本質や構造を、その現象としての自然・芸術及びそれらの周辺領域を対象として、経験的かつ形而上学的に探究する哲学の一領域である。森鷗外により「審美学」という訳語が与えられた[1]が、現在では美学と呼称される。
19世紀後半のドイツでは、美学から芸術の研究を独立させようと、芸術学(げいじゅつがく、独: Kunstwissenschaft、英: science of art)が提唱された。その後、美学は一般芸術学の主張を取り入れて変化し、今日では美学が哲学的であるのに対して、科学的・実証的な芸術研究を指して、芸術学と呼ぶようになってきている[2]。
概要
伝統的に美学は「美とは何か」という美の本質、「どのようなものが美しいのか」という美の基準、「美は何のためにあるのか」という美の価値を問題として取り組んできた。科学的に言えば、感覚的かつ感情的価値を扱う学問でもあり、ときに美的判断[3]そのものを指すこともある。より広義には、この分野の研究者たちによって、美学は「芸術、文化及び自然に関する批評的考察」であるとも位置づけられる[4]。
美学が一つの学問として成立した歴史的背景には、18世紀に啓蒙主義の思想と自然科学の確立に伴って表面化した科学的認識と美的もしくは感覚的認識の相違が認められたことと関係している。バウムガルテンは理性的認識に対して感性的認識に固有の論理を認め、学問としての美学を形作った。後にカントは美学の研究について美的判断を行う能力としての趣味を検討し、趣味を支配する普遍的な原理は存在しないことから、美学を美そのものの学問ではなく美に対する批判の学問として位置づけた。ここから美学はシラー、シェリング、ヘーゲルなどにより展開された美に対する哲学的批判へと焦点が移行するが、19世紀から20世紀にかけて美の概念そのものの探究から個別の美的経験や芸術領域、もしくは芸術と他の人間活動との関係にも考察が及んでいる。
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私
そもそも「美」とは何か?
明らかにしたくなりました。
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美 (ウィキペディアより抜粋)
概説
広辞苑ではまず次のような説明を掲載している。
そして3番目に哲学用語の「美」を挙げており次のような説明になっている。
- (哲学)知覚・感覚・情感を刺激して内的快感をひきおこすもの[1]。『快』が生理的・個人的・偶然的・主観的であるのに対して、『美』は個人的利害関心から一応解放され、より普遍的・必然的・客観的・社会的である。
ブリタニカ百科事典では、(広辞苑の3番目に挙げてある哲学的説明から入り)、「感覚、特に視聴を媒介として得られる喜悦・快楽の根源的体験のひとつ」としている[2]。
感覚的な美と精神的な美。様々な位相の美。
そしてブリタニカ百科事典ではつづいて次の注意点を指摘している。
つまり、一方で 美には直接の感覚による美があるが、他方、直接感覚に依存せず 精神的に感じられる美もある、と言っているのである。人はたとえば「彼の一生懸命な生きざまは美しい」「最後まで正義を貫いたこのお方の人生は本当に美しい」などということがある。また「美しい心の持ち主」と言うこともあるわけである。
美しいものの具体例
人が例えば何を美しいと言うかというと、人は自分の祖国や故郷を美しいと言うことがあり、風景を見て美しいということがあり、はたまた美術作品などを見て美しいということもあり、男性は形の整った女性を美しいと言うことがあり、そして女性は形の整った男性を美しいと言うことがあり、数学者は方程式のある種の解法を美しいと述べることがある[4]。[注 2]。[注 3]
またモーツァルトやフォーレの音楽は、「繊細な美しさを持つ」[5]と言われることがある。
ヘルマン・ヘッセは、作品に『青春は美し』という題をつけた。その意味で、青春も美しいとされることのあるもののひとつと言えよう(ただし、青春は人それぞれで、実に様々な形容詞がつけられている。)
美と芸術の相違
「美」と「芸術」は異なる。『岩波哲学講座 (6)芸術』の「はしがき」を書いた人によると、美しいものは必ずしも芸術ではない[5]」。美しいものすべてが芸術というわけではない。また、逆に芸術作品すべてが美しいというわけでもない。
美の具体的種類
美を一意に定義することは困難であり、その定義づけが美学という一つの学問として成立するほどである。美の種類、もしくはカテゴリーとして次のようなものがある。
- 自然美- 自然の手付かずの美、自然による造形(グランドキャニオンなど)
- 芸術的な美- モナリザ、ダヴィデの像、印象派の絵画
- 造形美- 建築構造物の美(宮殿、大聖堂、ピラミッド)
- 機能美- ハンドクラフト、織部の焼き物、パイプ、ガラス器
美とは、
価値観念、価値認識の一つである。人類において普遍的に存在する観念であり表象であるが、一方では、文化や個人の主観枠を越えて、超越的に概念措定しようとするとき、明確に規定困難であり、それ故、美には普遍的な定義はない、とも形容される。しかし、他方では、美は感性的対象把握において、超越論的に人間精神に刻印された普遍概念であるとも解釈できる面を持っており、美の定義は発散するが、美の現象・経験は世界に遍在してあるという存在事態が成立する。
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私
「わかったような、わからいような、やはり奥が深い。だから、芸術や、美の追求は、永遠なのだ。」
美学とは、感性的認識を探究する学問であると認識した。
科学教育に携わるものとしても、興味が膨らんだ。
難しい科学を、楽しく分かりやすく教えること・・・さらに美学を加える、すなわち感性的認識を加えると、もっと科学的認識も広まり、深まると思った。
優れた理科教師やサイエンスコミュニケーターは、すでにやっていますね。
楽しく、美しく、そして分かる理科です。心に響く理科です。