明治大学教授で国際啄木学会副会長の池田功さんの本「啄木日記を読む」を読んでいます。
啄木の日記は、自分の感性でストレートに、感情を込めてかきつづっていたと、思っていましたが、
池田先生は、「日記を作品化」することを念頭に、体験や事実をもとにしているが、作品として発表することを念頭に創作していると主張しています。
ひんしゅくや違和感をもたれる「ローマ字日記」の浅草吉原での露骨な性描写もそういう創作の面も大きいのではないかと、主張しています。
先日読んだ、俵万智さんの「サラダ日記」も、体験をべースにしてていますが、ほとんど創作で、「・・・7月6日はサラダ日記」と、書かれましたが、その日付にした由来をお聞ききして、さすが創作者だ!と、思いました。
私の青春の日記の行き場がありません。日記を作品化しようとおもいませんが、日記から随筆や詩歌
、評論を作ろうと思いつつ、あまりにもの正直文章の恥ずかしさから、捨ててしまいたい気持ちも強いです。
あれは、「若くて未熟な自分という人」が書いたものだと、俯瞰して見るしかないですね。
これからは、谷川俊太郎さんや阿久悠さんように、「完全なる創作」を目指すしかないと、思っています。
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