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Psychiatric Assessment from the Perspective of Personality Profiling
では、女性が、幼児・小学生・中学生の思春期の頃までに『母親』から言葉と行動で暴力を与えられるという家庭環境と成育歴をもてばどうなるのでしょうか?
FBIのロバート・K・レスラースタイル(形式)の性格プロファイリングを敷衍して、彼女の思春期までの≪白日夢≫(空想癖)をプロファイリングしてみると、「私には常に気持ちの安心が欠如している」という窮乏と欠如の意識が≪白日夢≫空想の核になります。
ゆえに、友人や姉妹などの関係では、「私に向けられるはずである」と思える姉妹に対して「窮乏」と「欠如」の意識が喚起されて攻撃的に排除しようという『幼児性』がイメージされます。私に好意を持ってくれる相手に対しては無条件で同化していこうとする『幼児性』が右脳に快感報酬ドーパミンを分泌させるイメージとして思い浮かべられるのです。
そして、恋愛の中では、この幼児性=欠如と窮乏の意識が、マゾヒズム(被虐性欲)やパラフィリア(性的倒錯)、相手から精神的、肉体的苦痛を与えられることによって性的満足を得る異常性欲を抑えきれないことが動機となって、「私だけへの行為を希求する」ために、愛する人の苦痛を見ることや、愛する人に苦痛を与えることから快感を得るサディスティックな性格が活発になり、愛する人に向かって常軌を逸して暴れたり、考えもなく思いつくままに狂暴な言葉を言い放ちます。愛する人が、悲しみ、怒り、困り、苦しむ反応を現わすと、この上ない喜び、最上の喜びを感じてしまうのです。
母親が女の子どもに対して暴力を加えた事例研究(case study)
1982年、新聞の三面記事を騒がせ、テレビ報道も過熱し、テレビドラマ化された『女囚52号の告白』(崎村ゆきこ、恒友社)を引用して研究及び分析した内容をご紹介します。
この本の著者の崎村ゆき子は、強盗致死、窃盗、致傷、詐欺などの罪で懲役12年の判決を受けて和歌山刑務所で服役し、1978年に出所、大阪に在住していた、と略歴が書かれています。
母親の暴力とは、言葉で拒否したり非難したり、疎んじるというように向けられています。これが、崎村ゆき子の性格プロファイリングの「中学生」の時期に該当します。女子の中学生の3年間は、すでに初潮が始まっており、性的な機能と能力が完成する時期です。この時期に母親から言葉という精神活動による弾圧を受けると右脳に、快感報酬ドーパミンを正常な言葉という精神活動の能力によって分泌させることができません。崎村ゆき子の身体は確かに「女」であるけれども、この「女」の身体を活かして「自分の気持ちを安心させる」という性の媒介のためには、取り扱えないのです。その結果、右脳に快感報酬ドーパミンを分泌させるというホルモン系統の道が遮断されるのです。それは、大人の女の本質を否定されるという精神的な暴力の打撃から生じます。生理的身体のしくみに従って言えば、肺の息詰まり状態が、最も重要な根本的な意義である「社会性の知性の対象である学校の勉強」という精神活動が、視床下部から性腺ホルモンを分泌させて、生殖器に至って、性的な興奮を触発して脳幹から快感報酬ドーパミンを分泌させます。ドーパミンは脳内の麻薬と呼ばれているホルモンです。
このドーパミンは、右脳に性的なイメージを喚起させて性的な刺激を感知して、精神活動の持続によって分泌させる「猛毒ノルアドレナリン」を「脳内麻薬ドーパミン」に化学変化させようとします。それは、左脳によっておこなわれている『言語活動』の言葉すなわち概念のイメージが正しく喚起されないと、正しく解った、正しく理解した、正しく認識したという「了解」には到達しません。このような了解に到達しないと「分からない」という不安が発生します。これは、左脳に猛毒ノルアドレナリンを分泌させることになり、脳神経の情報伝達が過剰に反応して、行き過ぎた動きとなるオーバーシュートを発生させて左脳で受け入れている言語の概念を取り違えたり、うっかりど忘れしたりするという考えや気持ちがまとまらなくなる分裂症状を作り出す原因になります。このような意識障害、意識障害に伴う幻覚や興奮などの症状、記憶障害、認知症状、感情の不安定、人格変化、幻覚や妄想症状、躁状態やうつ状態に至らないためには、なんとしても『視床下部』と『脳下垂体』から分泌された性腺ホルモンの促した、右脳の性的イメージを、実際の性的な快感の実現につなげていく「気持ちの表現」の技術や水準を上昇させていく必要があります。このための模範を示すのが母親です。母親は、女の子どもにとって、女の先輩という役割を演じます。相手が喜ぶから自分も喜ぶという心情の能力を模範として示し、その具体的な実行の仕方を、言葉や行動による方法として娘に継承するのです。
ここを判断の基準に立てて、性格プロファイリングをしてみますと、母親が自分の子どもに叩く、蹴る、打つなどの直接的な暴力を幼児・小学生・中学生、特に小学生の高学年から中学の時期に加えると、この女の子どもは心情としての女の気持ちを表す方法を知らないままに、女の友人や学校の勉強に参加します。ここでこの女の子どもは、男でもない女でもない性格プロファイリングを形成します。態度、言葉遣いのすべてが「男子のイメージ」に近づけられた結果、反発、非難、拒絶を直接の暴力を振るうかのように「女の友人」や「学校の勉強」にぶつけるのです。この女子の気持ちの世界にはただ≪感情≫という気持ちしか構成されていません。幼児のように欲求を満たすという身体の知覚の次元での安心をつねに追い求めています。
自分の欲求の意識を触発する対象は凶悪な感情の噴出とともに手に入れようとして、暴力によって他人に損害を与える犯罪意識を無意識のイメージとして保存しており、この性格プロファイリングをどこまでも持ち越していくのです。この犯罪意識は最も古いタイプの社会不適合です。なぜならば、強制されることは全て自分に向けられている抑圧と了解するからです。まっ先に「学校の勉強」と教える「教師」にいわれのない反感を持ち続けます。これは、自分を幼児のように扱い無制限に甘やかしてくれる大人に安心し、一方で、自分に向けられる暴力には過敏に怯えるという性格の傾向を示しています。