Psychiatric Assessment from the Perspective of Personality Profiling
崎村ゆき子の『ハイミナール強盗殺人事件』は、このような空想癖(白日夢)が元になっているのです。崎村ゆき子の心的な本質は「マゾヒスト」ですが、それを実現するために「サディスティック」な行動をあらわして、その結果、意図しなかった「社会犯罪」を事実として突き付けられて、茫然と立ち尽くしているといえましょう。
成育歴の中で「母親」と距離があった女の子ども事例研究(case study)
性格プロファイリングの完成度を徹底させるために、ここで『母親』からの暴力も言葉による弾圧もなかったけれども、しかし、『母親と娘の関係そのものが欠落していた』というcase studyを採り上げてみます。このcase studyのパターンは、下記のような成育歴と家庭環境の原型をなすものです。
- 母親が死亡して不在だった
- 養子に出されて、義父母か、施設で育てられた
- 子どもが生まれた直後も、働いていた
- 宗教に過度に熱心で、宗教2世として育てられた
- 離婚して実母がいなくて、継母や祖母に育てられた
- 幼児の頃から祖父母の部屋で寝ていた
ご紹介したいのは『私は不倫殺人の主役だった』著者 花田千恵です。
(ノンフィクションブックス) 1989年
誤解を防ぐためにあらかじめお伝えしますと、「母親との関係そのものが希薄」の6パターンに該当する人が全て、「不倫殺人事件」を引き起こすという犯罪の因果関係の根拠や動機をもっているのではありません。
「乳・幼児の突然死症候群」(SIDS)という病理があります。これは突然、≪心停止≫に陥って死に至る現象です。「母親との関係の希薄」は、「SIDS」に至る≪心臓神経症≫の病理を背負って生き延びてきたか、「乳・幼児」の段階から≪心臓神経症≫を形成していたために『極度の緊張』を強いる≪対象≫のみにかかわりを集中して、これ以外とのかかわりは『等閑視』の心的異常の中で脱落してしまい、その結果、これを上回る緊張の対象に直面すると「自傷行為」のように激突していき、ここで「犯罪」を勃発させる、という心停止の不安を引き起こす緊張症が、共通します。このcase studyの6パターンに該当する女性は、幼児の年齢の時期から「本当は、朝、目が醒めてもパジャマを普通の服に着替えて普通に生活する」という活動もやりたくないくらいに、「生きること」「生活すること」そのものが≪心停止に至る≫のではないか?という緊張と、ここから自覚される不安をかかえて「生きている」のです。
しかし、「パジャマのままで布団の中で寝ていたい」という願望にも矛盾があります。それは、生活環境という心的な世界にとって≪外界≫の中に入っていくことは、右脳に快感報酬ドーパミンを分泌させず、猛毒ノルアドレナリンしか分泌させませんので、自分の右脳に快感報酬ドーパミンを分泌させてくれる対象との関係だけを必要とします。自分の心臓に心拍の低下を促す関係になるのは仕方がないと目をつむり、
- 優しい言葉
- ものごとを達成したときに発生する右脳の快感イメージの喚起
- 音楽や絵画のように初めから右脳にしかイメージをつくらなくて必然的に快感報酬ドーパミンを分泌させてくれる対象」
上記1.2.3のいずれかに限定して、このうちのどれか一つだけに向かって「関係」を取り決めます
これだけが事実、自分の≪心停止の不安≫を解消してくれるものであるからです。
このcase studyの6パターンに該当する「家庭環境」の中の誰かが「勉強をして成績を上げよ!」「痩せろ!見苦しい豚!食べるな」「喋るな!何も言うな!」「近寄るな!アッチへ行け!」と命じれば、心停止の不安を感じながらも、しかし「心停止の不安」を自力で解消するために、命じられたとおりの努力を、いわば「命がけ」で実行し続けるのです。
では、これが、「犯罪」とどう繋がるのでしょうか?心停止の不安を絶えず意識しながらでも、かかわった「生活環境」の中の対象(勉強、ダイエットなど)とのかかわりが不調に終わって、これが原因でもっと大きい「心停止の不安」の圧力が加わってきたときに、『右脳の快感報酬ドーパミン分泌の対象』を求めて犯罪が惹き起こされます。
一方、かかわりを自分一人の力で維持しなければならないという事実に直面すれば『宗教』に参加して「生きながらにして死ぬこと」を無意識に志向するのです。
しかし、自分一人の力ではとうてい無理であると考えて、その結果、命令と指示をしてくれて、なおかつ、右脳に快感報酬ドーパミンを分泌させてくれる誰かの存在を求めるときは、「分裂症」か「躁病」かの病理を発生させるのです。
ご紹介する『私は不倫殺人の主役だった』の著者 花田千恵はこういう≪性格プロファイリング≫を根拠にもっていて「不倫殺人」に突き当たったのである、と正しく理解することが重要です。
著書の中で花田千恵は、「殺してほしい」と一度も口に出して依頼したおぼえはないと繰り返しています。判決の死刑も終身刑も秘かに不当であると考えていてこれが動機でこの本を書かせたことが窺えます。この本では、まえがきに当たるページに弁護士、塚平信彦(名古屋弁護士会所属)が「控訴審の弁護人」の立場であったときに、「私はこの事件は無罪ではないかと考えた」と書いています。無罪のように見える程度には、すでに胎児か乳・幼児の時に死んでいたかもしれない「成育歴」の中で形成された≪心臓神経症≫(核の神経症)による「心停止の不安の解消」を必死の思いで期待していたのにそれが叶わなっかたばかりか、新たに「心停止の不安」の重圧が加わったために、『躁の病理としての犯罪』が命がけの快感報酬ドーパミンの分泌を求めて引き起こされたのです。