プーチン大統領“経験豊富で知的な政治家だ”とトランプ次期大統領を称賛
本の題名『田舎暮らし幻想離婚』
著者 坂口由美
出版日 2024.11.
坂口由美の研究エッセイ Research Essay by Yumi Sakaguchi
社会の皆さま、こんにちは。
全日本カウンセラー協会の坂口由美です。
28日 18時44分のNHK NEWSによれば、27日夜、東京 文京区にある自民党の猪口邦子参議院議員の自宅マンションが焼け、2人が死亡した火事で、2人はいずれも台所付近に倒れていたことが捜査関係者への取材でわかりました、とあります。ところが、28日21時54分に放映されたテレビ朝日-報道ステーションには、家の中が凄まじい火に覆われ、家の中に戻ることは不可能な状態で屋上テラスに女性が映し出されています。 すると、この女性は、どうやって、部屋の中に飛び込み、台所にたどり着くことができたのか、腑に落ちない、謎が残ります。
今回の猪口邦子参議院議員の「怪事件」は、何を象徴しているのでしょうか。それは、彼女自身が研究してきた「女は女というだけで貧乏になるのだ」ということでしょう。さらに、近い将来の日本で預金封鎖が行われる可能性が急浮上したということです。
田舎の厭らしさは、 本来他人のものになるはずのものを自分のものにした挙句の「凋落」にある
田舎、すなわち村の厭らしさは、あらゆる「排除の論理」が、さまざまに姿を変えて、「村の掟」「村の正義」と瞬く間に伝播され、ブルドーザーのように推し進められるところでしょうか。福祉法によって、保護されていた女性も、「村の排除の論理」に当てはめると、保護されなくなる。それどころか、村人が総動員して、寄ってたかって身ぐるみ剥がされる。
本来、福祉法に保護されるべき身分の者から、権利だけを横取りして、えげつない手法で、すり替えて、不当に貶めていき、これは、自分たちの権利なのだと、都合よく開き直る。非難されるものではないのだ、と都合よくルールを改ざんする。しかし、弱者からピンハネした挙句の果てに、「凋落」が待ち伏せている。村は衰退するけれど、自分たちの力では、どうすることも出来ない。だから、他の町から強奪しようと、狩りに行く。それが当たり前と考える思考法の習慣性。そこが、田舎の厭らしさだと感じます。村の上位者から下位者へ庇護が与えられる慣習は、男性が上位者で女性が下位者というものではなくて、最初から村の規則・法律として存在していたので、私は、男性に忖度することもなく、村で暮らしてきました。私にとって、男性とは関わる対象ではなくて話し合う対象ではなくて、遠くにあるものでした。ところが、女性には庇護される立場を得ることすら難しくなりました。ハラスメントに晒されやすい、リスキーな身分に引きずり下ろされたのです。元々、福祉の救済を必要とする下位者の身分から、より深刻な立場へと強引に落とされたのです。村で暮らすことが女性として居心地の悪さを感じさせられることばかりになったのです。女性の人権がクローズアップされ、私の身分は極めて低く扱われるようになったのです。名前を呼ばれずに、5円とか10円とか値段で呼ばれることもありました。村では、女性がこうした縛りから解放される学校教育は存在しませんでした。村の学校教育は、女性を縛りから解放する高みに導き、自立を促す方向にではなく逆に抑圧する方向へと作用していたのです。最終的には、女性を家に閉じ込める同調圧力となって働きかけることになったのです。
ところが、ハラスメントが女性にどのような不利益を強いて来たかを振り返るなら、その不利益とはまず「労働市場からの排除」です。私は、最初から「労働」を奪われていたのです。「労働」を奪われた私は、「労働」ができなくなりました。ですから、何をしたかというと、家の中で机に向かい、本を読み、研究を始めたのです。長い期間、労働の機会を損失し、家の中で本を読み、研究をすることが、生活習慣になると、村の男は、よその女の家の中を覗き込み、監視下に置くという手段を用いて、女に家事労働と子守り、墓守、貧困、自己犠牲的な行為を美徳とする価値観を強く押し付けたのです。家の中で机に向かい、本を読む女は、究極の怠け者であり、男の目で見た「嫌われ者」であるために、なにがなんでも叩き潰さなければ、怒りでぐらぐらするほどに、腹の虫が収まらないのです。しかし、私はもうこれでよいのではないか、と考えています。生活との両立はできるのですから。私はこれまでずっと「労働」をしなくても、生活できてしまったのです。私はこれからも「労働」をしないで生活するのだろうと思います。「読書と研究と執筆」という、人から見たら勝算のたたない闘いを、自分の天職にしてしまったのです。