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タイトル『心理カウンセリング~メタ言語で救済する~』
目次
6. 男性の脳の記憶のしくみ
日本の男性も、母系制の住人ですから、動詞文の言語領域しか働いてません。
交感神経によって、行動は働くので、外部から見たうわべだけのようすを認知することはできます。しかし、名詞の学習と演繹思考の能力はありません。男性の話し言葉も、見たこと、聞いたこと、読んだものを記号化します。
ですから、聴覚の説明性の能力を開発するためには、次の条件を確認する必要があります。
- 誰の話を聞いて、真に受けたのか。(妄信したのか)
- その話(話題)はどこから入手したのか。
- どういう内容なら、拒絶反応なく、スムーズに受容できてしまうのか。
母系制にはびこる「記号の言葉」が感染した男性は、仕事の言葉などない、リアルの現実など存在しないという疑似行動を生きるのです。
そして、母系制の女性たちは、虚偽でも、幻聴でも、ともかく何が何でも喋ることを良しとしています。
私が住んでいた町は、Wikipediaには、「村」であったと記載されています。
その村に暮らしながら、東京三田や恵比寿の最先端の学習を通信で学び続けてきました。
その学びについて、私が話すことを、村人たちは激しく拒絶し、「うるさい」と怒鳴り散らし、威嚇し、喋らせないようにしたのです。村の衆が、私の話し言葉を「うるさい」と断罪する理由は、価値観の相違です。その村の因習と、最先端の学問は、根本的に乖離していたから、村の衆は聞く耳をもたなかったのです。
その村で一番の祭りは、飾り馬の祭りです。村人たちの煩さとは、馬に無理やり酒を飲ませて、暴れ馬にすると、馬の尻に剣山や凶器を突き立て、苦しむ馬を見て愉しみ、罵声を飛ばして、狂気の世界をつくりあげるものでした。暴れ馬が暴走して、人間が死んでしまう祭りでした。
少年院では、「女の人のお尻をジロジロ見てはいけません」と教わりますが、その村の女たちは、威嚇するために、村人に、「あの女の尻をジロジロ見ろ!」と命令します。すると、村人たちは、村の女たちの言葉に盲目的に従うのです。
村人たちは、まさしく母系制にはびこる「記号の言葉」が感染した男性なのでした。しかし、このことがなぜ良くないのか、理解できないのです。村の女衆の言い付けに背かない村の衆は、「母親に逆らわない僕たち」なのですから、正しい行い、許される行いをしているつもりでいます。その感覚を不気味に感じて、距離を置く私のほうが、無礼な奴、とっちめて、ぎゃふんと言わさなければ、気が済まない。虫の好かない相手だったのです。
教育の内容如何で、人間の価値観は、コペルニクス転換してしまいます。
聴覚の説明性のために、誰の、何からの、どういう内容を聞いたのか?読んだのか?が男性の行動を左右します。これから母系制を離脱して、名詞・抽象名詞を訓練するためには、脳の頭頂葉の距離・角度・方向という視覚の能力を磨いて、帰納や演繹をマスターしなければなりません。
この修業は、母系制の内側で、何も考えないで生きてきた村の衆には、拷問のように辛いことでしょう。しかし、母系制の女性たちのモノマネをして、虚偽でも、幻聴でも、ともかく何が何でも喋ることを良しとすれば、これが行動を成立させるとき、間違いなく犯罪者に転落することは目に見えています。まだ気が付かない人も多いのですが、現在はそういう時代に転換したのです。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/dailyshincho/politics/dailyshincho-1176648
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