ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

遺影の母は今日も笑顔

2009-07-02 12:02:54 | 

7月2日(木曜日)
京○新聞の読者の声欄を見開いた。おう!載ってる載ってる。先日愛妻が亡き母をしのんで、1週間をかけて書き上げ、新聞社へ私がメールで投稿した。ここ2日ほど、ひょっとして今日の新聞に掲載されているかもと密かに楽しみにしていた。産みの親に関しては「受け継がれた晴れ着」で掲載されたが、育ての親に関しては何もしていなく、随分と気にしていた。尊敬し、愛すべき母だったので余計だ。この掲載によって長年の胸のモヤモヤがとれ、すっきりしたと言っていた。愛妻の感心するところは、投稿すれば採用されボツのないことだ。
私の昨年来の目標は、新聞の声の欄に投稿し、掲載されることだった。またまた先を越されてしまい、内心あせっている。ブログを更新できるのであれば、書けないはずはない。
何としても盆の頃までには投稿しようと思っている。

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昨日は爺さんの93歳の誕生日で、今日は孫と皆でアイスクリームでお祝いの予定だ。あれやこれやで記念の一日になりそうだ。

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畑のムクゲも祝っていた。

7月2日 京○新聞 朝刊 窓 読者の声
遺影の母は今日も笑顔
幼な子のいる父のもとに嫁ぎ、大らかな心で私を育ててくれた母が、天国へ逝って、もうすぐ九年になる。発病以来、「延命はしない。家で静かに、そっと消えていきたい」と決めていた潔い母。看病する者には最後まで、感謝と労いの言葉を忘れず、母の尊いエキスをいっぱいもらって、濃密な4ヶ月を過ごすことができた。いよいよ衰弱が激しくなって、緊張感が高まっていたある日の朝、「書いて」と長い歌詞を懸命に語り、翌日、孫たちも見守る中、安らかに84年の生涯を閉じた。「千里たゆまず 山越え野越え ゆけば楽しい 花の里」で終る辞世にふさわしい歌詞だった。何という題名の歌かと、随分探したが見つけられなかった。だが先日息子のお陰で、「我が駒」という古い歌とわかった。インターネットで「我が駒」を検索すると、この歌詞が表示されるとともに、明快で清らかなオルゴールの曲が流れてくる。大好きな歌だったようで、旅立ちの苦しみを明るく越えようした母の心情が、しのばれてならない。「心に太陽を、唇に歌を、でしょ」と口癖のように言っていた遺影の母は、今日も穏やかに微笑んでいる。

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ぱっと見て間違いが分らんかなあ

2009-07-02 01:18:29 | 果物

7月1日(水曜日)

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滋賀県のスーパーで、こんなデタラメのラベルの付いたスイカを見て笑ってしまった。よっぽど店長に「マジメに仕事をしなさい」と言ってやろうかと思ったが、急いでいたのでやめた。
1個だけであれば笑って済ませるが、あれもこれも同じラベルを貼っている。その鳥取産はこの私に貼らんかい。

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陰の声「ゆみちゃんはたったの1,580円の値打ちなの?」

陰の声「はげ頭に鳥取産のラベル貼ってあげましょか」

ゆみちゃん「張って悪いはオヤジの頭、貼らなきゃ食えない果物屋、早よう貼らんかい!」

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