3日から孫は熱を出してしまった。
七夕飾りの前で写真を撮ったときは熱の出始めだったのか、心なしか元気がない。当初はそのうちに下がるだろうと思っていたが、5日には40度近く上がりぐったりとしてしまい、これは大変と救急病院へ連れて行った。レントゲン写真を撮ったが肺炎にはなっていなく一安心をした。だがしかし、薬を飲むも熱が下がらず若嫁は困りきっている。6日にかかりつけの医者に行き診てもらい、薬を飲ませるも一向に熱は下がってこない。7日に再度診てもらったが相変わらずの状態なので医者は紹介状を書いてくれた。入院するには近くの病院が何かと便利だ。家から車で5分の病院へ行きレントゲン写真を撮ると、肺炎の初期の診断で即入院となった。8日から孫と若嫁の悪戦苦闘が始まった。孫はとにかく「かぁちゃんかぁちゃん」でそばにいなければならない。爺ちゃん婆ちゃんで良ければいくらでも付き添いしてやれるのだが・・・。妊婦の若嫁は来月出産予定なので、夜一つのベッドで二人寝るのは大変だったようだ。子どもが寝たとメールがくれば息子と交代をし、私が深夜病院へ迎えに行き連れて帰り自宅で一休み。病気でなければ孫も朝まで寝るが、熱があれば2~3時間で目を覚まし「かぁちゃん」と叫ぶ。起きたとメールがくれば病院へ送っていく。
古嫁が見舞いに行けば、孫は「家に帰りたい」と涙を浮かべ訴えるので、可愛そうということになり行くのを控えた。若嫁も3日ほど一つのベッドでガマンをしたが、どうにもたまらんと言うことでベッドのお古がないか探した。古嫁は知り合いに電話するもどこも無かった。息子は妊婦のつらさはわかっていなく軽く思っていた。古嫁の一喝で夜急いでベッドを買いに走った。
かなり幅広のベッドであったが病室の隣のベッドは空きで、その間に収まったそうだ。
12日には熱も36度台に下がり、退院の見通しがたってきた。
退院予定の前日13日に顔を出すと孫はベッドの上で絵を描いていた。手の甲の点滴チューブが痛々しい。14日の昼前に無事退院の運びとなり迎えに行ってやった。
一緒に帰ろうと声をかければこの満面の笑み。看護師の皆さんにバ~イバ~イと手を振り病院を後にした。家に到着すると、家はやはりいいようで嬉々としていた。若嫁はしばらくシャワーをしていなく頭を洗い早くスッキリしたいと言っている。本当にお疲れさん。
夕食は快気祝いで皆で食事をするはずが、肝心な孫は疲れて眠ってしまい孫抜きでやった。
若嫁は入院中ろくな食事をしていない。孫の残りを食べたりで、久しぶりのまともな食事は美味しかったようだ。二人が帰って1時間もしないうちに孫は起き「ばあばの所で食べる」といい、持ち帰った料理を持ってやってきた。
「しっかり食べて元気もりもりなってや~」は我が夫婦のいつもの掛け声だ。子どもも大人も笑顔が一番。ようやく消えていた電灯に灯がともった。