神様との日々をまったりとアップgooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

自分自身のために祈るより 『主よ、自分の思いをどうコントロールするか、教えてください』 その③

2021-05-23 17:26:57 | 日記
自分自身のために祈る より
『主よ、自分の思いをどうコントロールするか、教えてください』 その③
《私たちが信じるうそ》
 まるで壊れた古レコードのように繰り返し繰り返し浮かんでくる思いを持ったことはありませんか。心臓の痛みや、みぞおちのむかつき、のどが締めつけられる感覚、腕や足の脱力感、目に涙が浮かぶ、顔や首に湿疹が浮く等々の身体的反応を引き起こす思いが来たことはありませんか。「もしベランダから飛び降りたら」とか「もしこのまま車であの壁に突っ込んだら」などという、「もし~したら」という考えで苦しめられたことはありませんか。「~さえしていたら」と思ったことは?例えば、「あんなことさえやらなかったら」とか「あの時、あそこにいさえしたら」「あの時、私が何か言いさえしたら」……。自分を罰するような思いを持ったことはありませんか。「愛してくれる人なんてだれもいやしない」「私はどうしようもないできそこない」「自分には良いところなんてない」「私がすることは何一つうまくいかない」……。
 このような思いを持ったことがあるのでしたら、それはあなたの人生に対する神からの啓示では決してないことを知ってください。それは魂の敵であるサタンが、あなたの思いを支配しようと、やっていることなのです。
 人生には多くの苦しみがありますが、しかし私たちはあまりにもしばしば、自分自身や置かれている状況に関するうそを信じて、不必要に苦しんでいます。私たちの滅びを願う敵から魂に語りかけられるうそを、本当のことと信じて、真に受けてしまうのです。そんなうそをすなおに信じたばかりに、びくびく恐れたり、落ち込んだり、寂しさに苦しんだり、怒ったり、疑ったり、混乱したり、不安になったり、希望を失ったり、打ちひしがれたり、心配したり、自己憐憫でいっぱいになったりしてしまうのです。しかしその一つ一つのうそに対して、祈りと信仰、そして神のみことばによって勝利を得ることが、私たちにはできるのです。
 ただし、敵の戦略の一つがあなたからみことばを盗み取ることだということを知っておく必要があります。悪魔はちょうどエデンの園でエバにした時のように、あなたにみことばに対する疑問を抱かせることで、それをやろうとするでしょう。「本当に神がそう言ったのか」「違う意味で言ったんじゃないか」「それをやったからって、本当に神が気にしたりするだろうか」「本当に神が、おまえのことを気にかけたり愛したりするだろうか」……。
 そうしてみことばを否定してくるでしょう。「神はそんなこと言わなかった」「神はそんなこと気にしない」「神はおまえに価値があるなどと思っていない」「神はおまえに良いものを与えないようにしている」……。
 みことばに対して疑問を抱いたり、否定する考えを持ち始める時、あなたは敵のわなに陥りかけているのです。
・箴言14:12
人の目にはまっすぐに見えるが、その終わりが死となる道がある。
を思い出してください。ある考えや思いは、あなたにとって正しいもののように見えるかもしれませんが、神のみことばと並べれば、そのうそが暴露されます。
 欺きは絶え間ない敵の攻撃計画です。イエス様は悪魔について、ヨハネ8:44とおっしゃっています。
・ヨハネ8:44
あなたがたは、悪魔である父から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと思っています。悪魔は初めから人殺しで、真理に立っていません。彼のうちには心理がないからです。悪魔は、偽りを言うとき、自分の本性から話します。なぜなら彼は偽り物、また偽りの父だからです。
悪魔の唯一の力は、人々に彼のうそを信じさせることであり、もし人々がそれを信じなければ、悪魔は自分のわざを成し遂げる力を失います。

続く

自分自身のために祈るより 『主よ、自分の思いをどうコントロールするか、教えてください』 その②

2021-05-23 16:57:29 | 日記
自分自身のために祈る より
『主よ、自分の思いをどうコントロールするか、教えてください』 その②
《思いをコントロールする》
 私たちの魂の敵に対する対抗処置の主要部分は、思いをコントロールすることにあります。聖書が語っているように、すべての思いをとりこにすることを学ばなければなりません。
・Ⅱコリント10:5
私たちは様々な議論と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち倒し、また、すべてのはかりごとを取り押さえて、キリストに服従させます。
 信者になりたてのこと、頭に思い浮かぶ考えのすべてをまじめに受け取る必要がないと教わって、とてもびっくりしました。私にとって意外な新事実でした。自分自身がそれらに耳を傾けるかどうかを選択するのです。多くの連続殺人犯は、自分たちがどんなふうに殺せと命じる声に聞き従ったかを証言しています。頭の中の声を聞き分けることを教わらずに育つと、悪魔の声を聞き分けられません。悪魔は狡猾な欺き手で、一人一人の心にうそを語りかけようとやってきます。私たちは、悪魔がいつ来てもよいように備えていなければなりません。
続く

自分自身のために祈るより 『主よ、自分の思いをどうコントロールするか、教えてください』 分割投稿①

2021-05-23 08:21:14 | 日記
自分自身のために祈る より
『主よ、自分の思いをどうコントロールするか、教えてください』
 夫が旅行で町を離れ、子どもたちもそれぞれ友人の家に泊まりに行ってしまった、特殊な金曜日の午後のことが忘れられません。一人きりの静かな中で、たっぷりと書き物に没頭できるまれなチャンスのはずでした。
 ところが彼らが行ってしまった後、自分でも驚いたことに、私はものすごい寂しさと悲しさに襲われたのです。人生のあらゆる間違いに思いを巡らせ、そのことでどうしようもなく落ち込んでしまいました。あまりにも沈み込んでしまって、それ以外のことは何も考えられませんでした。これらの思いは、何も—―
だれかに電話をしたり、どこかへ出かけたり、メールを開いたり—―できなくなるほどまで、私を無力にさせました。そしてもちろん、何の書き物もできませんでした。自分の部屋で、開いた聖書を膝に載せて座ったまま、ただただ泣き続けました。
 「主よ、私は一体どなってしまっているのか、どうすべきなのか教えてください」と祈りました。「あなたの御声を聞くか、この状態が収まるまで断食します。」
 土曜日から日曜の明け方まで断食しました。日曜日の朝四時ごろ、魂に深い不安を感じながら目覚め、起き上がって聖書を読み始めました。そして、イザヤ書の交換に関する御言葉
・イザヤ61:3
シオンの嘆き悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、嘆きの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるために。彼らは、義の樫の木、栄光を現す、主の植木と呼ばれる。
が目に入った瞬間に、私は落ち込ませる霊を相手にしていることがわかりました。私や私の人生に、何のおかしなところもなかったのに、あると信じ込ませようとする敵がいたのです。
 それから二十分間、神を賛美しみことばを声を出して読みました。敵に去れと命じ、それをする権威を与えてくださっている主に感謝をささげました。すると、これまでいつもそうだったのと同じくらいはっきりと、重たい毛布のような霊的圧迫の闇が、すっと完全に去りました。それがあまりにも突然に、完全に去ったので、敵の直接的かつ特定の攻撃を相手にしていたのだと実感しました。
 振り返ってみれば、あれはちょうど『夫をささえる30の祈り』を執筆している真っ最中だったので、敵が何とかして私に書くのをあきらめさせようとしていたのだと思います。結果は正反対となりました。それからの日々、私は自分の人生と将来への新たなビジョンを得、敵の偽りを判別し拒否する覚悟を新たにしました。敵のうそが心に入ってくるや否や、それを真に受ける代わりに、すぐにつかまえて始末すべきだと悟ったのです。
続く

カレンムーアの心からの祈りより 『成長させる神』 Ⅰコリント3:7 5/23

2021-05-23 07:49:30 | 日記
2021年5月23日
カレンムーアの心からの祈りより
《成長させる神》
Ⅰコリント3:7
ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。
主よ、わたしが成長するために必要なものを与えてくださり、ありがとうございます。まず、わたしの根の栄養となる家庭に感謝します。家庭があるのでわたしは安定し、愛する家族に大切にしてもらえます。
わたしを霊的に成長させてくれる教会にも感謝します。教職者や巨大姉妹の導きで、わたしの信仰は強くなります。わたしを励まし、注意し、わたしのために祈ってくれる人たちを送ってくださり、ありがとうございます。
家庭や教会という場にわたしを置いてくださり、成長させてくださることに感謝します。あなたの愛と恵みに向けてしっかりと根を張ることができるよう、助けてください。アーメン。
詩篇92:12-13
正しい者は なつめ椰子の木のように萌え出で
レバノン杉のように育ちます。
彼らは 主の家に植えられ
私たちの神の大庭で花を咲かせます。

E.M.バウンズの祈りの力より 『積極的な心』 詩篇91:14-15 5/23

2021-05-23 07:35:45 | 日記
2021年5月23日
E.M.バウンズの祈りの力より
《積極的な心》
詩篇91:14-15
彼がわたしを愛しているから わかしは彼を助け出す。
彼がわたしの名を知っているから 私は彼を高く上げる。
彼がわたしを 呼び求めれば 私は彼に答える。
わたしは苦しみのときに彼とともにいて 彼を救い 彼に誉れを与える。
試練の目的は、常に、神の御心の内にある善です。試練がその使命を果たせないとすれば、それは祈りの不足か、不信仰か、その両方のせいです。試練が善となるか悪となるかは、常に、それを受け取る人の心によって決まります。
試練は祝福にもなれば、呪いにもなります。それはわたしたちがその試練をどう受け止めるかにかかっています。試練はわたしたちを柔和にもかたくなにもします。わたしたちを祈らせ、神へと導くこともあれば、神から遠ざけることもあります。
太陽は蠟を溶かすこともできますし、粘土を固くすることもできます。太陽は氷を解かすこともできれば、地上の水を干上がらせることもできるのです。
愛する神よ。わたしに積極的な心をお与えください。試練の善い結果を見いだすことができますように。わたしの試練が呪いではなく祝福となりますように。イエスの御名によって祈ります。アーメン。