てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

ブラオイラ#311(お仕事さぼって卯辰山見晴らし編)

2019年01月30日 21時01分58秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
会社が1月末までに税務署へ提出しなくてはならない書類として、
法定調書というものがあります。

社員皆さんの源泉徴収票(税務署提出用)や
報酬支払調書、不動産支払調書などがあります。

ということで、本日金沢税務署へ提出いたしました。

はい仕事完了

それにしても今日は天気がいいなぁ~

今から会社戻るのもったいないんだけど・・・

休日も、引っ越しの事ばかりしてるので
最近ブラついてないからなぁ

少し強引だけど、今からブラオイラにしちゃえ!

卯辰山の見晴らしのいい所に行きたいな。

題して、
「お仕事さぼって卯辰山見晴らし編」だ!
なんじゃそりゃ

まず卯辰山の見晴台といえば
定番の望湖台だ。


ここは昔からありますよね。

うんいいね。

でもここは手前の木々のせいで視界がパッと開けていないんだよね。


では次の場所へ行きましょう。


ここです。


その名もズバリ「見晴らし台」です。


かって金沢ヘルスセンターがあった場所になります。


いいね


ここからの見晴らしは、眼下の金沢市内というよりも反対側の医王山などが眺望できるすばらしい場所なんです。



そして次に向かったのが、

ここ卯辰山花菖蒲園。


ここから向かうは、


日暮ヶ丘です。


ここはその名の通り夕暮がよく似合う場所です。


そしてここは、悲劇の安政の泣き一揆、


まさにその場所である。

<ウィキより>
安政の泣き一揆(あんせいのなきいっき)は、1858年(安政5年)7月11日夜、加賀国で起こった一揆。卯辰山から金沢城に向かって米の開放を求めて叫んだことが特徴的である。
この年は、冷夏や長雨などの自然災害による米の不作があった。それをうけての買占めや売り惜しみにより、米の価格が高騰していた。そのため、庶民の生活は困窮した。
7月11日の夜、約2,000人が卯辰山に登り、城に向かって米の開放を求めて叫ぶ。卯辰山から金沢城まで直線距離で1.7kmあり、風に乗った声は山下の重臣屋敷や城の殿様にも届いたという。翌日、藩の御蔵米500俵が放出され、米の値段も下げられる命令が出された。
事前の断りもなく直訴をすることは重罪であったため、首謀者7名が7月26日に捕縛された。5名が打ち首、2名が獄死した。この7人の霊を祀るため、卯辰山の山道に七稲地蔵を建立し、1908年(明治41年)に浄土宗寿経寺に寄進されて山門前に安置された。米の開放を求め叫んだこの一揆は、暴力を伴わなかったことで、現在のデモに通ずるものがあるといえる。


花菖蒲園に戻って、


上に登って行きます。


そこには新しい見晴台が


建設中の公園。

それにしても長いこと工事しているなぁ。

ちょっと失礼


向うへ行ってみよう。


あそこか


この新しい公園は「眺望の丘」と呼ばれます。
今植樹工事が進んでいて3月16日にはオープンされるようです。

楽しみですねオープンしたらまた来よう。

さてそろそろ会社に戻らないとヤバいかな

それ~

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