てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

旧北国街道をゆく⑱加賀動橋編

2019年09月07日 23時00分00秒 | 【ヒゲ親父】街道をゆく
今日はここからです。


では味方の本、
щ(゚ー゚щ)くるくるカモーン!

赤矢印からスタートです

動橋大橋を渡る。



動橋川。

動橋と書いて「いぶりばし」と呼びますが、漢字見ただけではわかりませんよね。

川を覗くと


コイかな?

三匹連なって泳いでいる。

下流側を見ると、サンダーバードが通りました。


橋を渡ると左手に石碑があった。

松尾芭蕉の句碑かなと思いきや、どうも違うので紹介しない
(冷たいオイラ・・・



特徴ある屋根の古民家は造り酒屋さんのようです。


旧街道はその前の道を右折する。



その交差点左に石標があった。

金澤市元標十一里十二町とある。

右折する前に、正面のお寺に寄ってみよう。

篠生寺。


ほう。


このあたりはやっぱり蓮如上人ですよね。


おや?

蓮如上人御旧蹟 ちまき笹の霊場 とある。

蓮如上人伝説がある。
ちまき笹伝説・・・蓮如上人が動橋を訪れたとき一夜の宿を求めたところ断られた。そのとき作っていたちまきを1本所望したところ意地悪な事に笹の葉に石を包んで差し出されました。蓮如上人が「この笹から青葉がでたら宿をたのみ申す。」と念じたところ根が出、青葉が茂ったそうです。

蓮如上人の伝説は北陸各地にありますからねぇ。


さて旧街道を進もう。





さてそろそろか、


味方の本、再度
щ(゚ー゚щ)カモン、カモーン!

ここは旧街道が線路により途切れてしまっているのだ。

こういう感じで街道はあったのだ。


地下横断歩道に入る。


壁に描かれた絵は、例のちまき笹伝説だ。


反対側に出た。

こんな感じでかっては道があったんだろう。


さて進もう。



左手に


出ましたね。


再度再度の味方の本щ(゚ー゚щ)カモン、カモン、カモーン!


一里塚はわかるけど、


都もどり地蔵って何だ?


調べてみた。

都もどり地蔵・・・
鎌倉時代初期の歌人西行が、西住と共に諸国行脚を行い、大聖寺川上流西住村に滞在しその渓谷の美を愛でたという。
やがて西行が都に帰るとき二人が別れたのがこの附近と伝えられている。終生の師弟、西行と西住が別れを惜しんだという場所にいつしか地蔵が祀られ、人々はこれを「都もどり地蔵」と呼んだ。

へぇ~西行ってあの西行法師か、たしかに諸国漫遊していたからね。

旧北国街道はここで


左に逸れる。


JR北陸本線の下をくぐると、


おっ!

また蓮如上人伝説の場所だね。

ここか、


「蓮如上人巡錫の地 白水の井戸」


薄い・・・


これかな、


はい、ちゃぷちゃぷ

いい水だね。

白水の井戸・・・
蓮如聖人が浄土真宗の布教のため巡業中この八日市を通りかかり喉の渇きを覚えた。米を洗っていた女に水を所望したところ女は洗い米の白濁した水を杓にすくって差し出した。聖人はその水を捨て、自ら大地に杖を突き刺すと、そこから水晶のような水が湧き出した。

あれ蓮如上人って意外とドライね・・・

すぐ横で新幹線工事が進んでいました。


おっ


お酒を造っているんだ。


ここですね。



旧街道に戻て、進むと右手に、


春日神社ですね。


ものすご~くシンプルな造りです。

こんなシンプルな神社、今まで一かも・・・

神社のすぐ横にいい感じの川があり、

川に降りれるところがいいね。

では、


また北陸本線の下をくぐる。


作見町に来ました。

出た!


わお!

加賀大観音73メートル。
特に歴史的価値は無いので寄りませぬ。

さて進もう。


三輪神社です。


入ってみる。


水準点がありました。


さらに進みます。


そろそろこれがあるはず。

味方の本。

あったけど、草がぼーぼーだ。


ちょっとどかしてみると、

敷地一里塚です。

さらに進むと、


何かある。


富樫の馬塚。

室町の時代か。

それにしても今回は江戸時代のみならず、鎌倉、室町といろいろの時代のものを見てきたね。

そしてこのあたりといえば・・・、

この神社ですよね。


菅生石部神社。

(すごおいそべ)神社と呼びます。

2月に行われる竹割まつりで有名です。


さすがです。


かっこよし。


そして・・・、


ようやく大聖寺川に到着です。


今日はここまでです。



ここですね。



これだけ進みました。





グーグルマップではこう



次回は、加賀大聖寺編です。





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旧北国街道をゆく⑰加賀七曲り編

2019年09月07日 19時10分31秒 | 【ヒゲ親父】街道をゆく
今日はここからですよ。


恒例の味方の本、
щ(゚ー゚щ)カラカラカモーン!

赤矢印から

では今日も元気に行こうかい!



さっそく右手に神社が見えてきた。


右手に見えてきた神社、串八幡神社です。

入ってみよう。

奉納


奉納


奉納


奉納のオンパレードだ。


これはなんだ?


へぇ、憲法発布記念とな


これは!


神龍!


かっこいい!


なかなかの神社です。


さてと、進みますか





左手の大きな敷地は小松製作所粟津工場ですね。


ほら、少し見えました。


右手にはバスの製造会社のジェイ・バスさん。


このあたりは大きな工場が集まった工業団地になります。

たしかこの付近に変わった公園があったはず・・・。

少し横道に逸れて行ってみる。

おや、

粟津牧場跡地、牧場があったんだね。

そしてここだ粟津公園。


ここには他の公園ではあり得ないものがある。


園内を本物の電車(旧尾小屋鉄道車両)が走るのだ。


駅もある。

車両は格納されてるね。

雰囲気のいい林の中を走る。


短いんだけどね。


さて旧街道に戻ろう。



月津に来ました。


火の見櫓が見えてきた、その下に石碑があり、


月津一里塚だ。


味方の本にも書いてある。


ふむふむ


しばらく行くと、


十村屋敷跡。

石川県内でちょいちょい目にする「十村〇〇家」という案内板。

(ウィキより)
十村制(とむらせい)は、江戸時代に加賀藩の第3代藩主前田利常が制定した農政制度で、地方の有力な農民を十村として懐柔、いわば現場監督として利用することで、農村全体を管理監督し徴税を円滑に進める制度である。改作法施行にあたって、十村はその業務範囲を広げ、加賀藩・富山藩・大聖寺藩における農政の実務機関としての役割を十全に果たした。

百万石システムの一つなんでしょうね。

正面に見えてきた茶色の大屋根。

興宗寺です。

ここでも明治天皇がご休憩されてます。


街道はここより少し下ります。


すると視界がパッと開けます。


味方の本によると、ここで見事な白山が望めるとあった。

見えますね。

雪があるとなお美しいですけどね。

いよいよ加賀市に入ります。


集落を進みます。



集落を抜けると、


出ました!

七曲り街道跡です。

味方の本にも書いてある。


案内板を読んでみよう。

戦国時代攻め寄せる軍勢の数や装備を読み取るために七曲りと呼ばれた曲折した道路があった。
近くにある勝光寺の鼓楼がその見張り場所だったと伝えられている。

なるほど、ぐねぐね道だ。


勝光寺はあの森(あとで戻って見て来よう)


よーしここは、ていねいに紹介しよう。

つまりこうである。

このように攻めてくる敵の軍勢は、
一本道の直線だとわかりにくいから、

(オイラ作 20秒

道をぐねらせた。この方が敵の数がわかりやすいからね。

(オイラ作 35秒

旧街道愛好家からするとこの場所は重要だぞ!
(なんでやねん!

では実際、七曲りを歩いてみよう。



ここは、


ここで、


ここは、


ここ、

あの説明板がなければ、これが旧街道とは思わないだろうね。

ここを曲がり、


ここを曲がり、


楽しいです。


道路に出ますが、


斜めに横切り直進するので、


そうしま~す

ここで注意なのは、
旧街道は左の砂利道ではなく、右のスクラップ置場を通るのです。

だから進みます!どすどす


けっこう大変っす。


そしてこの右折は、


こういうことです。


いやはや、我ながら、よくやるわと・・・


ここは、


ここで、

ここが、まさかの旧北国街道



また道路を斜めに横切るので、


横切りますが、


すぐさま曲がります。


こんな感じですね。


ぐねぐねと、





この七曲りはあったのです。


ここ最後のカーブを右折して、


もう少し


ここで、


ゴール

そして現代の道路と同じ場所につながります。

ははは、ちょっとしつこいくらいでしたね。


よし一旦、見張り台があった勝光寺に戻ってみよう。

あそこね。



着いた、ここ。


立派な門構えです。


へぇ~、


いいね。


あれか!


これが鼓楼といわれる見張り台だな。


ここから、先ほどの七曲りを進んでくる敵軍を見ていたんだ。


う~ん七曲りは見えないなぁ・・・。


もう少しだけ街道を進もう。


橋が見えてきた。


動橋大橋

ちなみに動橋は「いぶりばし」と呼びます。

動橋川。



今回はここまで、


ここですね。



今回はこれだけ進みました。
これだけ進みました。

ちゃんと最後の七曲りのところ、道がぐねってるね



グーグルマップではこう



次回は、加賀動橋編です。




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オリンピックが近づいているのだ。

2019年09月07日 14時00分00秒 | 【ヒゲ親父】出来事
今日は、天気もよろしいので
街道をゆくから、
加賀七曲り編と
加賀動橋編の二本撮りを行って来てから、
帰りに木場潟に寄ってみた。


そうか、木場潟といえばカヌーですよね。


何か国かの事前合宿地に指定されているようです。


潟を見てみよう。


おっいいね。


対岸に新幹線工事の建設現場とクレーンなどが見えます。


それにしても今日は暑いですね、

オリンピックまでもう1年を切っています。
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