GWはオイラ両親と出かけるというのがここ数年のお約束。
天気は良ろし。

昨日考えた行き先候補。

当然GoogleMAPから拾いました。
はたして両親は満足してくれるかな・・・。
ということで、オイラとカミさんも含め4人でレッツらゴー!


行ったことのない場所ということで、今回は越前市の山裾あたりに参ります。
まずは越前和紙の里です。

パピルス館。

もちろん本格的な越前和紙はお高いので、お得なこういうの買いました。

越前和紙のしおりです。
少し歩きます。




2月に大手術をしたお袋もすっかり元気になりました。
(実は今日だけで7500歩も歩いたそうです。)
⛩鳥居が見えてきました。

この先に岡太神社と大瀧神社があります。
この特徴ある社標の文字、

かの有名な近代日本画壇の巨匠、横山大観が書いた文字であります。

岡太神社(おかもとじんじゃ)

なんじゃこりゃ?

でもオイラが今回一番行きたかったのは、

さらに先にある、

この大瀧神社だったのです。

これは驚いた!

なんとも変わった屋根であろうか!
かといってこの威厳と幽玄な雰囲気はなんなんだ。
パンフレットにはこう紹介されている。

国の重要文化財「日本一複雑な屋根」をもつ
その昔、川上から現れた女神が村人に紙すきの技を教えたと云う。
村人は、その女神を「川上御前」とよび、紙の祖として神社にお祀りした。
形容のしようがない独特の屋根形状である。建物全体に施されている獅子、龍、鳳凰、草花の彫刻も精緻かつ華麗な秀作とされ・・・、

推古天皇の御代(592~638)大伴連が勧請したのが始まりと伝えられている。
なんともすばらしい神社です。

親父も感嘆していました。
なんでこんな凄い神社がマイナーなんだろう。
オイラまったく知りませんでした。
それにしてもこの神社の雰囲気どこかで・・・、
そうだあの奈良にある石上神宮と似ている!
興奮冷めやらぬまま神社をあとに駐車場へ向かいました。




おっ

おもしろそうだ。

これなら安い、買おう。

和紙の里に流れる水、
生産過程の紙すきにとって水は重要な要素なんでしょうね。

和紙の里をあとにして、
正午を過ぎたので、
オイラ達は持参した弁当をたべる場所を探しました・・・。
やっぱり出たオヤジお得意の「どこでもゴザ」(ドラえもん調)
オイラ達一行こんなところで昼飯を食っちゃう。

どこかの野球場のベンチ裏、(大丈夫か
)
早めに昼食を終えて、次の目的地へ、
綺麗な水でしか生息できない梅花藻(バイカモ)のある小さい川。

ここは絶滅危惧種トミヨの生息地でもあります。
オイラは勘違いしていた。
チョイチョイ話題に出していた県内にあるトミヨ生息地、てっきりそこが日本の南限だと思っていたが、
当然福井の方が南になるわけでして

まさにこの場所がそうであります。
それにしてもきれいな水です。

久しぶりのチャプチャプ


どうやら、このあたりいたるところに湧水があって、

進んでみよう、

興味津々、

曲がると、

おっ!

ここが元、お清水です。

ちなみにこのあたりは継体天皇ゆかりの地でもあります。

ご存じの通り継体天皇は越前(福井)出身ですからね。
次は万葉の里へ

このあたりは味真野とよばれる地域で、平城の都からこの地に流された中臣宅守(なかとみのやかもり)と都で宅守を思う狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)の悲しい恋の歌の舞台として知られています。二人の間で詠まれた情熱的な歌は万葉集に63首も残されています。
万葉集といえば

「令和」ですよね。
ここには、広いお庭があって、

滝のある池があったり、

旧古民家(国の重要文化財)があったり、

なかなかの場所でした。

次いで、

小丸城址をサッと見て、

一向一揆を鎮圧
するために佐々成政が建てた平城。
最後に、紫ゆかりの館へ来ました。

最近できたばかりの紫式部と越前国府資料館です。
隣接する場所に紫式部公園があります。

おぉ黄金の紫式部。

紫式部は作家でもありますが歌人でもあります。
そういえば彼女も都落ちでしたね。
さあて、今日は越前の歴史的な場所をいろいろ周るブラオイラでした。
特に越前和紙の紙祖伝説ゆかりの神社、奈良時代と平安時代にそれぞれこの地に都落ちした歌人の思い。
親父もお袋も満足してくれたようで、少し親孝行が出来たと思います。
今夜はオイラの家に泊まり、疲れたのか二人ともすでに床に就きました。


天気は良ろし。


昨日考えた行き先候補。

当然GoogleMAPから拾いました。
はたして両親は満足してくれるかな・・・。
ということで、オイラとカミさんも含め4人でレッツらゴー!


行ったことのない場所ということで、今回は越前市の山裾あたりに参ります。
まずは越前和紙の里です。

パピルス館。

もちろん本格的な越前和紙はお高いので、お得なこういうの買いました。

越前和紙のしおりです。
少し歩きます。




2月に大手術をしたお袋もすっかり元気になりました。
(実は今日だけで7500歩も歩いたそうです。)
⛩鳥居が見えてきました。


この先に岡太神社と大瀧神社があります。
この特徴ある社標の文字、

かの有名な近代日本画壇の巨匠、横山大観が書いた文字であります。

岡太神社(おかもとじんじゃ)

なんじゃこりゃ?

でもオイラが今回一番行きたかったのは、

さらに先にある、

この大瀧神社だったのです。

これは驚いた!


なんとも変わった屋根であろうか!
かといってこの威厳と幽玄な雰囲気はなんなんだ。
パンフレットにはこう紹介されている。

国の重要文化財「日本一複雑な屋根」をもつ
その昔、川上から現れた女神が村人に紙すきの技を教えたと云う。
村人は、その女神を「川上御前」とよび、紙の祖として神社にお祀りした。
形容のしようがない独特の屋根形状である。建物全体に施されている獅子、龍、鳳凰、草花の彫刻も精緻かつ華麗な秀作とされ・・・、

推古天皇の御代(592~638)大伴連が勧請したのが始まりと伝えられている。
なんともすばらしい神社です。

親父も感嘆していました。
なんでこんな凄い神社がマイナーなんだろう。
オイラまったく知りませんでした。
それにしてもこの神社の雰囲気どこかで・・・、
そうだあの奈良にある石上神宮と似ている!
興奮冷めやらぬまま神社をあとに駐車場へ向かいました。




おっ


おもしろそうだ。

これなら安い、買おう。

和紙の里に流れる水、
生産過程の紙すきにとって水は重要な要素なんでしょうね。

和紙の里をあとにして、
正午を過ぎたので、
オイラ達は持参した弁当をたべる場所を探しました・・・。
やっぱり出たオヤジお得意の「どこでもゴザ」(ドラえもん調)
オイラ達一行こんなところで昼飯を食っちゃう。


どこかの野球場のベンチ裏、(大丈夫か

早めに昼食を終えて、次の目的地へ、

綺麗な水でしか生息できない梅花藻(バイカモ)のある小さい川。

ここは絶滅危惧種トミヨの生息地でもあります。
オイラは勘違いしていた。
チョイチョイ話題に出していた県内にあるトミヨ生息地、てっきりそこが日本の南限だと思っていたが、
当然福井の方が南になるわけでして


まさにこの場所がそうであります。
それにしてもきれいな水です。

久しぶりのチャプチャプ



どうやら、このあたりいたるところに湧水があって、

進んでみよう、


興味津々、


曲がると、

おっ!

ここが元、お清水です。

ちなみにこのあたりは継体天皇ゆかりの地でもあります。

ご存じの通り継体天皇は越前(福井)出身ですからね。
次は万葉の里へ

このあたりは味真野とよばれる地域で、平城の都からこの地に流された中臣宅守(なかとみのやかもり)と都で宅守を思う狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)の悲しい恋の歌の舞台として知られています。二人の間で詠まれた情熱的な歌は万葉集に63首も残されています。
万葉集といえば

「令和」ですよね。
ここには、広いお庭があって、

滝のある池があったり、

旧古民家(国の重要文化財)があったり、

なかなかの場所でした。

次いで、

小丸城址をサッと見て、


一向一揆を鎮圧

最後に、紫ゆかりの館へ来ました。

最近できたばかりの紫式部と越前国府資料館です。
隣接する場所に紫式部公園があります。

おぉ黄金の紫式部。

紫式部は作家でもありますが歌人でもあります。
そういえば彼女も都落ちでしたね。
さあて、今日は越前の歴史的な場所をいろいろ周るブラオイラでした。
特に越前和紙の紙祖伝説ゆかりの神社、奈良時代と平安時代にそれぞれこの地に都落ちした歌人の思い。
親父もお袋も満足してくれたようで、少し親孝行が出来たと思います。

今夜はオイラの家に泊まり、疲れたのか二人ともすでに床に就きました。


