土日で息子が富山から帰ってきて「すっかり運動不足や
」と言うので、
ならば山へハイキングでも行こうかとなった。
今日は午後から晴れる予報だったので(
→
)
最近整備された小松にある「遊泉寺銅山跡」へ家族4人で行ってきました。



銅山というわりにはそれほど山奥でもありません。
でも雲がかかってるね。

到着。
このあたりを「遊泉寺銅山ものがたりパーク」として、見学施設や山歩き遊歩道が綺麗に整備されたのです。
よしここから1時間程度の山歩きです。




さて話変わって、
石川県で誕生した会社で一番大きな会社はなんでしょう・・・、
それは建機メーカーのコマツ(小松製作所)ですね。
コマツの「こまつ」は小松市からですね。
豊田市のトヨタみたいなもんです。
その世界のコマツが誕生したきっかけが、まさにこの遊泉寺銅山なのです。
<里山みらい館発行パンフより>
江戸時代から加賀藩所有のもと採掘が行われていた「遊泉寺銅山」が、明治35年に竹内鋼氏により本格的な操業がスタートし全国でも有数の鉱山となりました。
大正時代に竹内明太郎氏が鉱山機械の会社「小松製作所」を立ち上げ、のちに世界的建機メーカーのコマツにつながるのです。





信じがたいけど、このあたりに大規模な鉱山街があって、

労働者とその家族で5000人も住み、駅、学校、郵便局まであったというのですが、

信じられません。

そんな銅山跡に残っている遺構は多くないようです。

煉瓦造りの炉跡。
少し曇だけど、かえって涼しくてよかった。

こういう石垣がところどころに残っています。

池がある。

オタマジャクシがいっぱいいる。

里山みらい館でもらったパンフレット

山歩きMAPが掲載されており、

このあたりに鉄道駅がありました。

この鉄道はここより小松駅まで繋がっていました。
進みます。

結構見学者の方が歩いていました。
ここは砂山口で二方向に分かれます。

右に進みます。

ふと地面に目をやると瓦が散乱していました。

当時のモノでしょう。
しばらく進むと右手に、

巨大煙突です。
製錬所のシンボル。

このあたりに選鉱場、電気分銅所、事務所が立ち並び、竪坑から搬出された鉄鉱石を運び出すインクラインが敷設されていました。
チリンチリン♪

はっ自転車!
まさか当時の労働者か!
ボワ~ん・・・

(当時の風景)
自転車行っちゃった、タイムスリップしたかと思ったわ。

鍛冶屋の炉跡。

そして出ました、竪坑跡ですね。

安全面を考えコンクリートで囲ってあるとのことです。
フムフム

250mの深さがあるんだって。
この穴に、

石を投げ入れてみると、

「カラン、コロン・・・カラン・・・・コロン、コロン・・・・」
たしかに深そうな音が鳴りました。
さてMAPを見る。

ここから舗装道路は終わり登坂がはじまります。

まさに息切れ急斜面です。

ここにきて天気も晴れてきました。

汗かいちゃうね


巻き上げ装置跡。

ふぅ、ふぅ

おっキタ――(゚∀゚)――!!

砂山頂上です。
カーン!

小松市街、日本海まで一望できます。

少し休憩。
これからは下りとなります。




足を滑らさないように気を付けて、

大きな道に出ました。

池がある。

かっての銅山街の水源地です。

ここからは比較的に楽な道のりでしたが、

ヘビを3匹も見ました。

うち1匹はマムシ
見覚えのある場所まで戻ってきました。

二方向に分かれた砂山口です。
ずいぶん天気が良くなりました。暑いくらいです。

ぐるりと周ってくる約3キロで1時間の山歩きハイキングでした。

里山みらい館。

あっコマツの建機だ。

いい場所でしたよ。

息子もいい運動になったようです。
(おまけ
)
実はこの場所、ブラオイラの初期に行っているんです。⇒ブラオイラ#40(小松市コマツ編)

ならば山へハイキングでも行こうかとなった。

今日は午後から晴れる予報だったので(


最近整備された小松にある「遊泉寺銅山跡」へ家族4人で行ってきました。




銅山というわりにはそれほど山奥でもありません。
でも雲がかかってるね。

到着。
このあたりを「遊泉寺銅山ものがたりパーク」として、見学施設や山歩き遊歩道が綺麗に整備されたのです。
よしここから1時間程度の山歩きです。





さて話変わって、
石川県で誕生した会社で一番大きな会社はなんでしょう・・・、
それは建機メーカーのコマツ(小松製作所)ですね。
コマツの「こまつ」は小松市からですね。
豊田市のトヨタみたいなもんです。
その世界のコマツが誕生したきっかけが、まさにこの遊泉寺銅山なのです。
<里山みらい館発行パンフより>
江戸時代から加賀藩所有のもと採掘が行われていた「遊泉寺銅山」が、明治35年に竹内鋼氏により本格的な操業がスタートし全国でも有数の鉱山となりました。
大正時代に竹内明太郎氏が鉱山機械の会社「小松製作所」を立ち上げ、のちに世界的建機メーカーのコマツにつながるのです。





信じがたいけど、このあたりに大規模な鉱山街があって、

労働者とその家族で5000人も住み、駅、学校、郵便局まであったというのですが、

信じられません。


そんな銅山跡に残っている遺構は多くないようです。

煉瓦造りの炉跡。
少し曇だけど、かえって涼しくてよかった。

こういう石垣がところどころに残っています。

池がある。

オタマジャクシがいっぱいいる。

里山みらい館でもらったパンフレット

山歩きMAPが掲載されており、

このあたりに鉄道駅がありました。

この鉄道はここより小松駅まで繋がっていました。
進みます。

結構見学者の方が歩いていました。
ここは砂山口で二方向に分かれます。

右に進みます。

ふと地面に目をやると瓦が散乱していました。

当時のモノでしょう。
しばらく進むと右手に、

巨大煙突です。
製錬所のシンボル。

このあたりに選鉱場、電気分銅所、事務所が立ち並び、竪坑から搬出された鉄鉱石を運び出すインクラインが敷設されていました。
チリンチリン♪

はっ自転車!

ボワ~ん・・・

(当時の風景)
自転車行っちゃった、タイムスリップしたかと思ったわ。


鍛冶屋の炉跡。

そして出ました、竪坑跡ですね。

安全面を考えコンクリートで囲ってあるとのことです。
フムフム

250mの深さがあるんだって。
この穴に、

石を投げ入れてみると、

「カラン、コロン・・・カラン・・・・コロン、コロン・・・・」
たしかに深そうな音が鳴りました。
さてMAPを見る。

ここから舗装道路は終わり登坂がはじまります。

まさに息切れ急斜面です。

ここにきて天気も晴れてきました。

汗かいちゃうね



巻き上げ装置跡。

ふぅ、ふぅ

おっキタ――(゚∀゚)――!!

砂山頂上です。
カーン!

小松市街、日本海まで一望できます。

少し休憩。
これからは下りとなります。






足を滑らさないように気を付けて、


大きな道に出ました。

池がある。


かっての銅山街の水源地です。

ここからは比較的に楽な道のりでしたが、

ヘビを3匹も見ました。




見覚えのある場所まで戻ってきました。

二方向に分かれた砂山口です。
ずいぶん天気が良くなりました。暑いくらいです。

ぐるりと周ってくる約3キロで1時間の山歩きハイキングでした。

里山みらい館。

あっコマツの建機だ。

いい場所でしたよ。

息子もいい運動になったようです。

(おまけ

実はこの場所、ブラオイラの初期に行っているんです。⇒ブラオイラ#40(小松市コマツ編)