きょうで平成30年の世が終わるとあって、テレビも新聞も「平成30年特集」のオンパレードである。私もこれにあやかり、平成の世でいちばん印象的だった出来事は何か、歴史を変えたと思われる出来事は何かを考えてみた。阪神淡路大震災(1995年、平成7年)とか、地下鉄サリン事件(同年)とか、衝撃的な出来事はいろいろ思い浮かぶが、一つだけあげるとすれば、なんといってもアメリカの同時多発テロ事件(2001年、平成13年)だろう。
ニューヨークの貿易センタービルへ仕向けられたこのテロ事件を受けて、アメリカはアフガンへ、イラクへと軍事攻撃を仕掛け、日本にも軍事攻撃への参加を強く要求した。同盟国・日本の軍事組織である自衛隊は、否応なく世界各地の「テロとの戦い」に巻き込まれていく。アメリカを標的にしたこのテロ事件は、(平和国家を標榜する)日本の、その国の形をも変えてしまったという意味で、日本国民である私には見過ごせない事件なのである。
このテロ事件を機に、軍事的緊張は「東西冷戦」から「北朝鮮VS.日米同盟」へと形を変え、(平和ボケした)日本国民にとって、戦禍はもはや対岸の火事ではなくなった。北朝鮮のミサイル攻撃を想定して、応戦のために高価な軍備品をアメリカから調達しようとする日本政府の方針を、だれも批判できなくなった。安保法を制定して、米軍との絆を強めようとする日本政府の方針を、(多くの批判があったにもかかわらず)野党は押し止めることができなかった。
このテロ事件を機に、日本は確実に国の形を変えたが、対照的なのは、フクシマの原発事故(2011年、平成23年)である。東日本大震災と同時に起こったこの大事故は、言うまでもなく日本国内の出来事であり、日本国民に与えたインパクトは、ニューヨークで起きたテロ事件の比ではない。しかしこの出来事は、日本の国の形を変えなかった。日本政府はこの大事故のあとも、国の形を変えようとしなかった。多くの犠牲者が出たというのに、日本政府は原発を廃止するどころか、逆に原発の再稼働を推進しようとする始末である。フクシマの原発事故など、まるでなかったかのような対応なのだ。
平成30年の世が終わろうとする今、過ぎ去ろうとする平成の記憶とともに、我が日本政府のこうした無為無策を見過ごすことは、断じてあってはならない。そう考える天邪鬼爺のきょうこの頃である。
ニューヨークの貿易センタービルへ仕向けられたこのテロ事件を受けて、アメリカはアフガンへ、イラクへと軍事攻撃を仕掛け、日本にも軍事攻撃への参加を強く要求した。同盟国・日本の軍事組織である自衛隊は、否応なく世界各地の「テロとの戦い」に巻き込まれていく。アメリカを標的にしたこのテロ事件は、(平和国家を標榜する)日本の、その国の形をも変えてしまったという意味で、日本国民である私には見過ごせない事件なのである。
このテロ事件を機に、軍事的緊張は「東西冷戦」から「北朝鮮VS.日米同盟」へと形を変え、(平和ボケした)日本国民にとって、戦禍はもはや対岸の火事ではなくなった。北朝鮮のミサイル攻撃を想定して、応戦のために高価な軍備品をアメリカから調達しようとする日本政府の方針を、だれも批判できなくなった。安保法を制定して、米軍との絆を強めようとする日本政府の方針を、(多くの批判があったにもかかわらず)野党は押し止めることができなかった。
このテロ事件を機に、日本は確実に国の形を変えたが、対照的なのは、フクシマの原発事故(2011年、平成23年)である。東日本大震災と同時に起こったこの大事故は、言うまでもなく日本国内の出来事であり、日本国民に与えたインパクトは、ニューヨークで起きたテロ事件の比ではない。しかしこの出来事は、日本の国の形を変えなかった。日本政府はこの大事故のあとも、国の形を変えようとしなかった。多くの犠牲者が出たというのに、日本政府は原発を廃止するどころか、逆に原発の再稼働を推進しようとする始末である。フクシマの原発事故など、まるでなかったかのような対応なのだ。
平成30年の世が終わろうとする今、過ぎ去ろうとする平成の記憶とともに、我が日本政府のこうした無為無策を見過ごすことは、断じてあってはならない。そう考える天邪鬼爺のきょうこの頃である。