ささやんの週刊X曜日

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

戦争の記憶を紡ぐ

2023-08-31 10:28:44 | 日記
きょう8月31日の朝日新聞には、印象的な記事が二つ載っていた。
一つは、「被爆体験伝える『ナガサキ』米で出版」とタイトルがふられた記事である。本文にはこうある。


37年前、長崎の被爆者・谷口稜曄(すみてる)さん(故人)との出会いが『人生を変えた』という米国人がいる。核兵器と人類は共存できない――。そんな訴えに耳を傾け、原爆肯定論が根強い米国で本も著した。谷口さんが亡くなって30日で6年。今もそのメッセージを著書を通じて世界に伝えている。
(朝日新聞8月31日)


この記事が取りあげる米国人は、スーザン・サザードさん(67)。記事はこう続く。
谷口さんとの出会いから17年後の2003年、(サザードさんは)米国社会に被爆の実相を伝える本を書こうと決意し、日本に向かった。
助手や通訳を雇い、史実を確認しながら多くの被爆者に話を聞いた

(中略)
15年、谷口さんら5人の被爆者の体験を中心とした著書『ナガサキ 核戦争後の人生』を米国で出版。取材を始めて12年が経っていた。
著書は米コロンビア大が催すノンフィクション賞などを受け、米国の図書館や学校で読み継がれている。今もアマゾンで販売され、口コミに『すべての人が読むべき本』『私の考えを覆した』といった評価が並ぶ。19年には日本語版が出た。
サザードさんは言う。『原爆投下は良い決断だったと信じる人も、原爆が人間に何をもたらすかを理解すれば少し変化が生まれるかもしれない。それが私のゴールです』





私の印象に残ったもう一つの記事は、「日豪遺族 和解への祈り」とタイトルがふられた記事である。本文にはこうある。


アジア・太平洋戦争中、過酷な移動を強いられ、多くの犠牲者が出た『サンダカン死の行進』と呼ばれる事件を生き延びた豪州兵の遺族と、当時の現地司令官だった日本軍人の遺族らが集まり、この夏、初めて合同の慰霊祭を開いた。遺族らが共に語り合い、和解と癒やしを探っている。」
(朝日新聞8月31日)


私の印象に残ったのは、次の件(くだり)である。


ジョンさんは今回、父が『死の行進』から密林内に逃れたとき、偶然出会った日本兵を殺したことを告白した。日本兵もやせ細っていたが、父は亡くなった仲間たちのかたきを討つつもりで、何度もこん棒を振り下ろした。しかし、晩年になって殺す必要があったのかと自問していたという。
ジョンさんは『戦争のあらゆる面を考える必要があると思って話した。豪州が100%被害者だったということはない』と語った。

(同上)


ここにいう「ジョンさん」とは、この合同慰霊祭の発起人の一人である「ディックさん」の弟である。弟のディックさんも兄のジョンさんも、「死の行進」から生還した豪州兵を父に持つ兄弟である。
ジョンさんは合同慰霊祭を行うことの意義について、「家族間の和解が国同士の和解につながる。それが、悲惨な戦争を防ぐことにつながる」とも語っている。




戦争。それは二度と起こしてはならない悲劇だが、その記憶を教訓として残そうとするサザードさんやジョンさんの、その労を多としたい。

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学術の意義を問う

2023-08-30 14:29:53 | 日記
きょうの朝日新聞に、以下のような記事が載っていた。


政府は29日、日本の科学者を代表する組織『日本学術会議』のあり方を検討する有識者懇談会の初会合を開いた。学術会議を国の機関として残しつつ、会員選考に第三者の意見を反映させるのか。それとも、財政支援の見直しも含め、国から切り離す法人とするのか。政府は懇談会の議論などを通じ、学術会議側に迫る構えだ。
(朝日新聞8月30日)


私がこんな記事についピクリと反応してしまうのは、ほかでもない、今の日本政府の学術行政に危惧の念を懐いているからである。ノーベル物理学賞の受賞者数が端的に示すように、今の日本の自然科学は国際社会で目も当てられないほど他国に後れをとっている。日本の学術のこういう衰退は、学術、ーー特にその基礎的分野への予算配分をケチる日本政府のやり方が元凶なのだ、ーーそう私は考えている。すぐに結果が出る先端的分野にしか目を向けないから、こういう様(ざま)になるのだ。


などと偉そうなことを書きながら、私は、自分の意見が矛盾していることに気づいている。学術は華々しい先端的分野ではなく、目立たない基礎的分野こそ重視すべきだ、ーーこう主張するとき、私は、「学問は、純粋な知的好奇心に基づいてなされるべき、国家社会とは無縁の知的探求である」と考えている。


分かりやすく言うなら、私が「かくあるべし」と考える学問のあり方は、NHKの朝ドラ「らんまん」に登場する主人公・槇野万太郎の植物学に対する取り組み方である。万太郎は、富や名声を求める心からではなく、ただ単に植物が好きだという、その私的関心に従って植物学を極めようとする。学問の原点とも言うべきそういう知的探究心をこそ、政府は大切にすべきだ、ーーそう私は言いたいのである。


他方、今の日本では自然科学が衰退著しい、と嘆き、危惧の念を懐くとき、私は学術を「国威発揚の手段」とみなしている。こういう学術観は、槇野万太郎の植物調査を「台湾統治の手段」にしようとする軍部の見方と通底するもので、邪道と言わなければならないのだが、これが私の頭の一部に根づいてしまっていることも、紛れもない事実なのである。


さて、冒頭に持ち出した「日本学術会議」の問題であるが、学術会議のメンバーが学術を、国家から独立した純粋な知的探求とみなしていることは想像に難くない。この問題を審議する「有識者懇談会」のメンバーは、こうした学者先生たちの学術観に理解を示しつつも、これとは矛盾する学術観ーー学術を「国家に奉仕すべきもの」と捉える政府側の見方ーーにも応えなければならない。「有識者懇談会」が結論を出すまでには、難航が予想される。

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アンタッチャブルで、不都合な真実

2023-08-29 10:13:44 | 日記
だれもが触れたがらない真実、アンタッチャブルで、不都合な真実。高齢者の何割かがあの世に行く前にこの真実を引き受けざるを得ない、という衝撃の事実を知った。


きのうのことである。「団塊シニア」さんのブログを読み、この真実を知って、私は衝撃を受け、同時に「ああ、よかった」と胸をなでおろした。


衝撃の真実、それは、高齢になれば介護用おむつが必要になり、それでも夜中に大便を漏らして寝具を汚す人がいる、という信じがたい事実である。
「団塊シニア」さんのブログで紹介されていたのは、鴻上尚史氏(劇作家・演出家)の父親と、「団塊シニア」さんご自身のご尊父の2つの例だけだから、こうした事例がごくまれに見られる特殊なケースなのか、それとも高齢者のほとんどに見られる一般的な出来事なのか、それは私には判らない。


鴻上氏の父親は、40年間小学校の教師を勤め、地域の自治会長もやり、様々な会合でリーダー的存在だっただけに、無念の思いもひとしおで、その思いをこんな俳句に託しているという。


「糞まみれ、これがおのれか歳暮れる」


私の場合も、――私が「あれ」でなかったらーーいずれはこの真実に捕らわれていたに違いなく、とても他人事とは思えない。身につまされる話ではある。


だが私は、幸か不幸か「あれ」なのである。つまり、「オストメイト」なのである。人間万事塞翁が馬、ーー何が災いし、何が幸いするかは判らない。私がオストメイトになったとき、つまりストーマ(人工肛門)の装着者になったとき、ストーマ・パウチの付け替えを3〜4日に1度はしなければいけないことから、「ああ、面倒くせえなあ」と思ったりもしたものだが、腸閉塞で苦しむよりはマシだと思い、この面倒くささに堪えてきた。


ところがである。きのう「団塊シニア」さんのブログを読んだとき、私が思い至ったのは、「オストメイトであることには、もう一つの大きな利点があるのだ」ということだった。ストーマを装着していれば、介護用おむつの必要はなく、夜間に大便で寝具を汚す心配も要らない。私が「ラッキ〜」と胸をなでおろしたことは言うまでもない。


しかしながら、である。人間万事塞翁が馬。オストメイトであることは、幸いだけでなく、ゆくゆくは何かしら災いをもたらすに違いない。用心すべし! 浮かれてばかりはいられない。

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フクシマ処理水をめぐる下劣とあっぱれ

2023-08-28 15:25:20 | 日記
フクシマ処理水の海洋放出が始まってから、日本への嫌がらせ電話が急増しているという。
埼玉県で「会津ラーメン」を売りにしているラーメン店には、2日前から嫌がらせのいたずら電話が届くようになり、営業中にもかかわらず、着信音ががひっきりなしに鳴り続けている。いずれも嫌がらせの電話で、国を示す頭の電話番号は「86」つまり中国本土からのものだった。1日に30件もの着信があったという。


「もしもし もしもし あんたらは、ばーか野郎だ。なぜ核汚染水を海に流すのか」


いたずら電話をかける中国人が中共政府に指示されてこんな悪質な嫌がらせの行為を仕掛けているのか、それともただ扇動されただけの付和雷同の輩(やから)なのか、そのあたりは分からないが、いずれにせよ、こんな嫌がらせの行為が下劣な品性を示すものであることは間違いない。


こんな行為にまともに取り合ったのでは、下劣な品性が感染(うつ)ってしまうから、やめたほうがいい。どうせそう長くは続かないだろう。


日本へのこうした八つ当たり的な嫌がらせ電話は、中共政府が打ち出した禁輸措置が思ったほど効果を発揮しないことへの苛立ちと焦りを示すもので、とんだお笑い種である。
それに比べれば、(おととい本ブログで紹介したような)日本政府の「ホタテ加工産業・助成作戦」や「美味しい寿司を食べたい中国のお客さん、日本へいらっしゃい作戦」は、災いを転じて福となす名案で、見事というしかない。


これらの名案は岸田内閣というより、霞が関のお役人が発案したものだろうが、もう一つ、フクシマ処理水問題に関して、あっぱれと思える対応があったので、ここで紹介しておきたい。


東京都の小池百合子知事が25日、都庁の食堂で福島県産の刺し身などを食べる様子を報道陣に公開した。前日には東京電力による福島第一原発の処理水の海洋放出が始まり、全国知事会では風評被害対策の必要性を訴える声も出ていた。(中略)
第1庁舎32階にある食堂で正午、小池知事と都幹部らが並んで座り、刺し身やフライなどを食べた。出された魚は福島県産のスズキや宮城県産のカツオ、ヒラメなど。刺し身を口にした小池知事は、『グッドです。みなさんもぜひ召し上がってください』と話した。

(朝日新聞デジタル8月25日配信)


このあっぱれパフォーマンス、本来なら西村経産相あたりにやってほしかったが、見事に先を越されましたな。
まあ、貴君のような高級官僚上がりの秀才には、フクシマの漁民と痛みを分かち合う感性が欠けているものなあ。

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岸田政治の支離滅裂

2023-08-27 12:00:28 | 日記
いやはや、まさしく神出鬼没である。この人、一体何を考えているのだろうか。


おととい8月25日の夜、沖縄で開かれたバスケW杯の日-独戦を見ようと、テレビをつけたときのことである。ちょうど試合開始のセレモニー(これをティップオフセレモニーというらしい)が始まるところで、そこに岸田首相の姿が映し出された。これを見て、私は開いた口が塞がらなかった。


日独のジャンパー2名の中央に立った岸田首相は、意味不明なふやけた笑顔を浮かべていた。どうやらこの人、バスケ愛好者の間にも人気を広げたいらしい。アニメ「スラムダンク」が中国の若者の間で人気を博しているのを意識してのことだろうか。


岸田首相の姿を次に見たのは、沖縄の(現在、復元中の)首里城でだった。これにも意表を突かれたが、このことを報じたテレビのニュース解説によれば、岸田首相はここでは「現場の人々の声」を聞き、意見交換を行ったという。ここでいう「現場の人々」とは、修復作業にあたる建設業界の人たちではなく、インバウンドを呼び込もうとする観光業界の人たちである。岸田首相は観光業界の面々と、観光振興策について縷々話し合ったのだ。


各種メディアが問題にしたことだが、岸田首相は、沖縄にとって最大の懸案である基地問題については一言も発することなく、沖縄訪問の日程を終えた。米軍基地を視察することもなく、沖縄県知事と会談することもなかった。


このところアメリカとの関係を重視・強化し、軍拡路線の旗幟(きし)を鮮明にした岸田首相だけに、この「基地問題素通り」のクールな姿勢はかなり不自然にうつる。「臭いものに蓋」ならぬ「臭いものは無視」を平然と行うこの人の政治は、それでも「丁寧な政治」と言えるのだろうか。
最近、とみにボロを出しはじめた岸田政権だが、その政治姿勢はボロ丸出しの素顔を通り越して、支離滅裂、しっちゃかめっちゃかとしか言いようがない。


立つ鳥跡を濁さず、という言葉があるが、政権末期がこんな体たらくでは、お恥ずかしい限りだぜ。

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