きょう8月31日の朝日新聞には、印象的な記事が二つ載っていた。
一つは、「被爆体験伝える『ナガサキ』米で出版」とタイトルがふられた記事である。本文にはこうある。
「37年前、長崎の被爆者・谷口稜曄(すみてる)さん(故人)との出会いが『人生を変えた』という米国人がいる。核兵器と人類は共存できない――。そんな訴えに耳を傾け、原爆肯定論が根強い米国で本も著した。谷口さんが亡くなって30日で6年。今もそのメッセージを著書を通じて世界に伝えている。」
(朝日新聞8月31日)
この記事が取りあげる米国人は、スーザン・サザードさん(67)。記事はこう続く。
「谷口さんとの出会いから17年後の2003年、(サザードさんは)米国社会に被爆の実相を伝える本を書こうと決意し、日本に向かった。
助手や通訳を雇い、史実を確認しながら多くの被爆者に話を聞いた。
(中略)
15年、谷口さんら5人の被爆者の体験を中心とした著書『ナガサキ 核戦争後の人生』を米国で出版。取材を始めて12年が経っていた。
著書は米コロンビア大が催すノンフィクション賞などを受け、米国の図書館や学校で読み継がれている。今もアマゾンで販売され、口コミに『すべての人が読むべき本』『私の考えを覆した』といった評価が並ぶ。19年には日本語版が出た。
サザードさんは言う。『原爆投下は良い決断だったと信じる人も、原爆が人間に何をもたらすかを理解すれば少し変化が生まれるかもしれない。それが私のゴールです』」
私の印象に残ったもう一つの記事は、「日豪遺族 和解への祈り」とタイトルがふられた記事である。本文にはこうある。
「アジア・太平洋戦争中、過酷な移動を強いられ、多くの犠牲者が出た『サンダカン死の行進』と呼ばれる事件を生き延びた豪州兵の遺族と、当時の現地司令官だった日本軍人の遺族らが集まり、この夏、初めて合同の慰霊祭を開いた。遺族らが共に語り合い、和解と癒やしを探っている。」
(朝日新聞8月31日)
私の印象に残ったのは、次の件(くだり)である。
「ジョンさんは今回、父が『死の行進』から密林内に逃れたとき、偶然出会った日本兵を殺したことを告白した。日本兵もやせ細っていたが、父は亡くなった仲間たちのかたきを討つつもりで、何度もこん棒を振り下ろした。しかし、晩年になって殺す必要があったのかと自問していたという。
ジョンさんは『戦争のあらゆる面を考える必要があると思って話した。豪州が100%被害者だったということはない』と語った。」
(同上)
ここにいう「ジョンさん」とは、この合同慰霊祭の発起人の一人である「ディックさん」の弟である。弟のディックさんも兄のジョンさんも、「死の行進」から生還した豪州兵を父に持つ兄弟である。
ジョンさんは合同慰霊祭を行うことの意義について、「家族間の和解が国同士の和解につながる。それが、悲惨な戦争を防ぐことにつながる」とも語っている。
戦争。それは二度と起こしてはならない悲劇だが、その記憶を教訓として残そうとするサザードさんやジョンさんの、その労を多としたい。
一つは、「被爆体験伝える『ナガサキ』米で出版」とタイトルがふられた記事である。本文にはこうある。
「37年前、長崎の被爆者・谷口稜曄(すみてる)さん(故人)との出会いが『人生を変えた』という米国人がいる。核兵器と人類は共存できない――。そんな訴えに耳を傾け、原爆肯定論が根強い米国で本も著した。谷口さんが亡くなって30日で6年。今もそのメッセージを著書を通じて世界に伝えている。」
(朝日新聞8月31日)
この記事が取りあげる米国人は、スーザン・サザードさん(67)。記事はこう続く。
「谷口さんとの出会いから17年後の2003年、(サザードさんは)米国社会に被爆の実相を伝える本を書こうと決意し、日本に向かった。
助手や通訳を雇い、史実を確認しながら多くの被爆者に話を聞いた。
(中略)
15年、谷口さんら5人の被爆者の体験を中心とした著書『ナガサキ 核戦争後の人生』を米国で出版。取材を始めて12年が経っていた。
著書は米コロンビア大が催すノンフィクション賞などを受け、米国の図書館や学校で読み継がれている。今もアマゾンで販売され、口コミに『すべての人が読むべき本』『私の考えを覆した』といった評価が並ぶ。19年には日本語版が出た。
サザードさんは言う。『原爆投下は良い決断だったと信じる人も、原爆が人間に何をもたらすかを理解すれば少し変化が生まれるかもしれない。それが私のゴールです』」
私の印象に残ったもう一つの記事は、「日豪遺族 和解への祈り」とタイトルがふられた記事である。本文にはこうある。
「アジア・太平洋戦争中、過酷な移動を強いられ、多くの犠牲者が出た『サンダカン死の行進』と呼ばれる事件を生き延びた豪州兵の遺族と、当時の現地司令官だった日本軍人の遺族らが集まり、この夏、初めて合同の慰霊祭を開いた。遺族らが共に語り合い、和解と癒やしを探っている。」
(朝日新聞8月31日)
私の印象に残ったのは、次の件(くだり)である。
「ジョンさんは今回、父が『死の行進』から密林内に逃れたとき、偶然出会った日本兵を殺したことを告白した。日本兵もやせ細っていたが、父は亡くなった仲間たちのかたきを討つつもりで、何度もこん棒を振り下ろした。しかし、晩年になって殺す必要があったのかと自問していたという。
ジョンさんは『戦争のあらゆる面を考える必要があると思って話した。豪州が100%被害者だったということはない』と語った。」
(同上)
ここにいう「ジョンさん」とは、この合同慰霊祭の発起人の一人である「ディックさん」の弟である。弟のディックさんも兄のジョンさんも、「死の行進」から生還した豪州兵を父に持つ兄弟である。
ジョンさんは合同慰霊祭を行うことの意義について、「家族間の和解が国同士の和解につながる。それが、悲惨な戦争を防ぐことにつながる」とも語っている。
戦争。それは二度と起こしてはならない悲劇だが、その記憶を教訓として残そうとするサザードさんやジョンさんの、その労を多としたい。