松坂大輔さんの諦めない哲学 ボロボロになっても野球を続けた理由は?
松坂大輔さんの諦めない哲学 ボロボロになっても野球を続けた理由は?
3/12(土) 21:17配信
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松坂大輔さん
「平成の怪物」と呼ばれ、23年間の現役生活に昨年ピリオドを打った松坂大輔さん。現在は、報道ステーションのスポーツキャスターとして、プロ野球のキャンプ地を巡るなど新しいキャリアに挑んでいます。選手としての晩年は、けがで「普通に投げられない」状態となり、リハビリに多くの時間を費やしました。それでも現役にこだわった理由、原動力は何だったのでしょうか。諦めないことの大切さや、挫折との向き合い方について聞きました。2回にわたってお届けします。サインのプレゼント企画もあります。
野球にも生きた剣道の経験
松坂大輔さん
──ちいさなころは、どんなお子さんでしたか? 外で遊ぶのが大好きな子どもでした。友達と近所の川でザリガニ捕りをしたり、木登りをしたり。ゴムボールで野球もしていました。ゲームにも興味はありましたが、自分の家にはなかったので、友達の家で遊ぶくらいでした。 ──やはりピッチャーをやってたんですか? いや、投げるのは嫌いでしたね(笑)。 打つことのほうが好きで。 ──子ども時代、熱心に取り組んだ習い事を教えて下さい。 5歳の時に剣道を始めました。体力があり余っている僕を見た親が、何かをやらせたいと思ったんじゃないでしょうか。母親の知り合いが、剣道の先生をしていたんですよね。 小3まで続けたんですが、とても指導が厳しかった覚えがあります。礼儀作法の基本は、剣道から学びました。 ──剣道の経験は、野球には生きましたか? 竹刀を振るときにスナップを効かせる動きが、野球に間違いなく生きました。肩や背筋、ひじ、手首が自然と鍛えられたと思います。少年野球のチームに入ってからも、マスコットバットを剣道のように素振りをする練習を続けていました。 ──野球をはじめたきっかけは? 父とのキャッチボールが、野球を好きになるきっかけでした。プロ野球をテレビで観戦していて、幼い頃からプロ選手への憧れがありましたね。 「野球がやりたい」と自分の意思で、小3から地元の少年野球チームに入りました。当初は剣道と掛け持ちをしていたのですが、試合日がかぶることも多くて。親にどちらかを選ぶように言われたので、「野球!」と即答しました(笑)。
練習は嫌いだけどバッティングが好き
引退登板で、現役最後となる一球を投じる西武先発の松坂大輔さん=2021年10月19日、メットライフドーム(C)朝日新聞社
──少年野球では上手くなるために、どんなことを大切にしていましたか? バッターでプロ野球選手になることを目標に、バットを毎日振っていました。練習が好きか嫌いかと言われたら、嫌いなんですよ。でも、コーチからは「プロ野球選手になりたいなら嫌な練習を率先してやれ」と言われて。だから、ランニングや筋トレといった、大嫌いなトレーニングも頑張りました。 ランニングや体幹トレーニングといった苦手なトレーニングを頑張れば、気が済むまでバッティングの練習をさせてもらえました。コーチはアメとムチの使い方が上手だったんだと思います。打つ練習は大好きでした。 上手くなるためには、みんながやっていないところでも練習しようと思っていました。お小遣いは全部、バッティングセンターで使ってましたね。自宅でも、手にできたマメがつぶれて血を出しながらバットを振ってました。まぁ、漫画の影響もあったんでしょうね。「痛みにたえて素振りする自分は、かっこいい!」みたいな(笑)。 ──甲子園での大活躍で全国区の知名度となりますが、小中高で野球が嫌になったことは? 一度だけあります。野球するのが嫌になっちゃって……。ものすごく悩んで、両親に「やめたいかも」と口にしたんですよ。そうしたら「やめたければ、やめてもいい」と言われて。「ダメ」と言われると思っていたのでビックリしたんですが、ホッとしましたね。 「野球はやめてはいけないもの」と強く思い込んでいたので、「やめられるものなんだ」と思うと気持ちが楽になりました。そうしたら、逆に「やっぱり野球が好き」という気持ちになった覚えがあります。
諦めた方が楽 でも投げたかった
引退登板の試合後、マウンドにひざをつき手を添える松坂大輔さん=2021年10月19日、メットライフドーム(C)朝日新聞社
──プロ野球選手として、最後はけがで満足にプレイができなくなっても現役にこだわりました。心が折れて、辞めようと思ったことは? 2015年に日本球界に復帰してからは、故障や手術もあり、ほとんどプレーをすることができませんでした。現役を続けることの意味や続けてもよいのかと葛藤しました。 けがをしてリハビリしている時の気持ちは正直、思い出したくないくらい複雑なものがあります。でも、どんなに苦しくても「それでもやっぱり野球が好きだ」という気持ちが根底にありました。好きな事をやらせてもらっている以上、苦しいなんて言えないとの思いもありました。 ──諦めた方が楽ですよね。 楽だったと思いますよ、実際。でも、「また投げたい」との思いが消えませんでした。少年時代には打つことのほうがずっと好きだった僕ですが、どんなに苦しくても最後まで諦められなかったのが、投げることでした。「自分なら再びマウンドに立てるはずだ」と自身に言い聞かせ、リハビリに取り組んでいました。 親からの言葉の影響もあるかもしれません。さきほど野球を辞めたくなった際に親が「やめてもいい」と言ってくれてホッとしたという話もしましたが、野球を始める時に「自分でやると決めたら、最後までやり抜きなさい」とも言われていて。その言葉がずっと心に残っていました。