歯科医物語

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夏の甲子園、開会式は主将だけに 県岐阜商など6校は欠席

2022-08-05 19:16:30 | ☆エッセイ・コラム

夏の甲子園、開会式は主将だけに 県岐阜商など6校は欠席 

コロナなどで 体調不良

県立岐阜商は 私の母校 岐阜北高校の隣にある

 

 
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「道三は油売り」最古の史料 1669年著「乙夜之書物」に記述 

2022-08-05 18:59:16 | ☆メディア(本・映画・Web・音楽など)
「道三は油売り」最古の史料 1669年著「乙夜之書物」に記述






斎藤道三の「国盗り物語」についての記述がある「乙夜之書物」=金沢市立玉川図書館提供


 戦国時代の美濃の大名・斎藤道三が「油売りから一国一城の主になった」とする江戸時代前期の史料が見つかった。道三が「油売り」だったとする最古の記述。近年の研究では、道三は父親と二代にわたり「国盗(と)り」をしたとみられているが、道三が庶民から成り上がった説も江戸前期に既に語られていたことが浮かび上がった。


 史料は、加賀藩士の関屋政春(一六一五〜八五年)が一六六九(寛文九)年に書いた「乙夜之書物(いつやのかきもの)」の上巻(三巻本、金沢市立玉川図書館所蔵)。富山市郷土博物館の萩原大輔・主査学芸員(日本中世史)が北陸地方の歴史を調べる中、記述を見つけた。道三について「元来、城州(今の京都府南部)・山崎の油屋なり」と記し、美濃の大名・土岐氏に仕えて出世した後に「謀反して土岐殿を亡(ほろ)ぼし、美濃の国を取りたり」と説明。話の根拠は「濃州(美濃)の古兵(ふるつわもの)の語りしを、若年の時分に聞きし」としている。


 関屋は十五〜十九歳ごろ、今の岐阜県大野町の野村藩士として主に美濃に滞在したことが、本人の覚書から確認できる。萩原氏は「十七世紀前半に美濃の武士の間で流布していた物語が筆録された」とみている。
 道三が一代で大名になった説は、十六世紀末の織田信長の伝記「信長公記」などにも記されているが、当初の職業が油売りだったとする話の源は、「油商の子」と記す一七一三(正徳三)年の逸話集「老人雑話」まで下るとされてきた。新史料について、「斎藤氏四代」を書いた木下聡・東洋大准教授(日本中世史)=岐阜県関市出身=は「道三が油を売っていたとする最古の記述では」と指摘する。


 最近の研究では、戦国時代の史料「六角承禎条書(ろっかくしょうていじょうしょ)」から、道三の父・長井新左衛門尉(しんざえもんのじょう)が僧侶から土岐氏の家臣となり、道三は父親の出世を土台に下克上を果たしたと考えられている。


 木下准教授は、江戸期には下克上が許されなくなったことを念頭に「道三が油屋だったという言い方には、武士が商人を侮蔑する意識が垣間見える」と解釈する。乙夜之書物では、道三は主君を裏切った末に跡継ぎの義龍に殺されたと否定的に描かれている。江戸幕府の下で身分制社会が浸透し始め、「成り上がり」を否定しようとする意識が反映された可能性がある。
 乙夜之書物には「義龍は道三の実子ではない」「道三は義龍の弟に家督を譲ろうとした」といった逸話の最古の記述もある。萩原氏は「残忍で強い『マムシの道三』のイメージが作られていく過程を考える上でも興味深い史料」と評する。
 内容は今月末に刊行される加賀藩研究ネットワーク(事務局・金沢市)の会誌「加賀藩研究」の十二号で正式に報告する。
 (林啓太)
年老いた武者が語っていたこと


 「乙夜之書物」の斎藤道三に関する記述の大意(萩原大輔氏作成)
 美濃国の太守斎藤道三はもともと山城国山崎の油売りであった。(のちに)美濃国へ下り、(守護の)土岐殿に仕官して頭角をあらわし、後に謀反を起こして土岐殿を滅ぼし美濃国を乗っ取った。その頃(ころ)に土岐殿が寵愛(ちょうあい)していた女性を奪い道三の妻とした。土岐殿の子どもをお腹(なか)の中に身ごもってやってきた。しかし、土岐殿の子なのか道三の子なのか疑わしい様子であった。この子が義龍である。


 道三は心中に何か差し障りがあったのだろうか、異なる考えに至り、(美濃)国を二番目(の息子)に譲ろうとした。このことで(道三と義龍)の父子は不仲に陥り、合戦に及んだ。義龍は良き武将であるうえに土岐殿の実子で間違いない事もあって、美濃国内のおおよそが義龍へついた。竹中半兵衛は稲葉山城で義龍の弟二人をまとめて切り殺した。さて、道三を締め出した。
 明日にも合戦という時に、義龍の家臣の玉木源太と永井次右衛門という二人の出世頭に命じたことは「明日の合戦で道三を必ず討たずに生け捕りにせよ」であり、義龍は堅くお言いつけになられた。命令を受けた二人は、翌日の合戦で道三が敗北したところ、玉木源太が追いかけて道三を押さえつけた。永井次右衛門が重なって(道三を)生け捕りにした。(ところが)道三の首を水も溜(た)まらないように(刀剣で鮮やかに)切り落としてしまった。
 美濃国の年老いた武者が語っていた(以上のような)ことを(関屋政春が)若い頃に聞いた。

 


 
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「江戸文字」

2022-08-05 18:53:08 | ☆メディア(本・映画・Web・音楽など)
…これは書き手の親しさや温かさなどの特徴がそのまま文字に表れる。また,歌舞伎の看板に使われる勘亭流(かんていりゆう)や相撲の力士名を表す相撲文字,寄席の題名や芸名を表す寄席文字などの江戸時代に創作されたものを江戸文字といい,これらもフリーハンドレタリングに含めることができる。道路上に書かれる標示文字のうち〈型〉(文字の形にくりぬいた板など)を使って書(描)かれたものの類をステンシルと呼ぶ。…
 

 
 
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日本は 過去 4回 核の被害 にあった

2022-08-05 18:21:29 | ☆エッセイ・コラム



⓵ 広島 被爆  1945 8月6日 
 

② 長崎 被爆  1945 8月9日

 

③ 第3福竜丸、 2011 3月1日 

 

④ 東北大震災による 福島原発 崩壊による 被爆 

         2011 3月11日 
 
         



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「10代の注目度が高いのに…」サブスク解禁しない山下達郎に音楽業界の嘆き

2022-08-05 17:40:07 | ☆山下達郎 大好き
「10代の注目度が高いのに…」サブスク解禁しない山下達郎に音楽業界の嘆き




山下達郎がサブスクを解禁する日は来るのか?(アルバム『SOFTLY』公式サイトより)
 今年、山下達郎(69)が精力的に活動している。6月に11年ぶりのオリジナルアルバム『SOFTLY』を発売し、3年ぶりのホール・ツアーをスタートさせた。そして、今まで滅多に露出しなかったテレビにも顔を出している。『クリスマス・イブ』などのヒット曲を持ち、近藤真彦の『ハイティーン・ブギ』やKinKi Kidsの『硝子の少年』など提供曲も大ヒットさせたレジェンドの登場は、思わぬ反響を呼んでいるという。テレビ局関係者が明かす。
「6月に2週連続で出演した『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日系)で、10代の視聴率が良かったんですよ。まず、世帯視聴率は普段3~4%くらいなのですが、山下達郎さんの2回目出演となった6月26日放送分は5.0%(ビデオリサーチ調べ/関東地区。以下同)で、1回目の前の週より高かった。だいたい放送を分けると、2回目は下がるケースが多いので、これは珍しいことです。  しかも、26日は13歳から19歳(T層)の視聴率がいつもと比べ、かなり上がっていたんです。特にT層の低かった6月12日の回と比べると、元の数字が小さいとはいえ10倍以上でしたから、この放送で山下さんに興味を持った若い人がかなりいたのだと思います。山下さんの出演した回は、優秀な番組に贈られるギャラクシー賞の月間賞も受賞しました」 『関ジャム』では動画ではなく、音声と写真のみの出演で、自らの半生を語りながら、理論的に音楽を分析。山下の精密さに舌を巻いた視聴者も多かったはずだ。「10代の視聴率が高かった」と伝え聞いた音楽業界関係者が声を潜めながら話す。 「山下さんはネットのインタビューで、サブスクについて『恐らく死ぬまでやらない』と話していましたよね。本当にもったいないと思うんです。今の若い人はCDを買わないですから、彼らにとってサブスク解禁していないアーティストは“いない”も同然なんです。せっかく10代が興味を持ってくれたのに、チャンスを逃しているのではないか、とも感じました。  もちろん、サブスクへの考え方は人それぞれでいい。サブスクで新譜を出さなくてもいい。一生懸命作ったニューアルバムを聞き放題に含められて、しかも気に入らなかったらすぐ次の曲に飛ばされるのはアーティストにとっては嫌なことだと思います。でも、せめて旧譜は聞けたらいい。20年前、30年前のCDアルバムが今、急に売れることってないですからね。  サブスクをきっかけに、新譜CDを買う人が増えることも考えられますよ。サブスクを解禁しないと、違法アップロードされる確率も高くなり、それだとアーティストの収益はゼロですしね」(以下同)

 

そもそもCDプレイヤーがない

 サブスクによって埋もれていた曲が脚光を浴びた例もある。2020年12月、松原みきの『真夜中のドア~stay with me』がSpotifyのグローバルバイラルチャートで18日連続世界1位を記録した。1979年に発売され、松原自身は2004年に44歳の若さでこの世を去っていたが、天国で嬉しい知らせを聞いたに違いない。 「山下さんは本当に素敵な曲ばかり生み出していますから、その曲には未来永劫残ってほしい。でも、サブスクを解禁しないと、数十年後には誰も知らない曲もたくさん出てくるかもしれない。残念ながら、今の時点でCDを聞く人は相当減っているのが実情です」  CDの売り上げは1998年をピークに下がり、2010年代前半にはAKB48などが握手券付きで販売したことでその減少スピードを抑えてきたが、近年は最盛期と比べると半分以下に落ち込んでいる。そしてCDを補うように、サブスクの売り上げが伸びている。 「今もレコード会社の年配の方たちの中には、まだまだCDを売ろうとして、サブスクを否定する人たちもいます。確かにCDのほうが利幅が大きいので、その気持ちはわからなくもない。でも、今の10代や20代はCDプレイヤー持っている人自体が少ない。家電量販店に行っても、CDプレイヤーやコンポの売り場面積がかなり小さくなっている。  CDプレイヤーのついていない新車も結構あります。若者は車に乗らない人が増えているけど、40代以上は車好きがまだまだ多いし、CDを聴く層でもある。でも、CDプレイヤーがないとなれば、徐々にCDから遠ざかる。普通に生活をしていて、世の中がCDを求めていないことを実感しています。山下さんクラスの大物がサブスクを解禁してくれると、他のミュージシャンへの波及効果もあるので、業界を盛り上げる意味でも挑戦していただけるとありがたいのですが……」  山下は7月下旬に新型コロナウイルス感染が判明し、コンサートの開催が見送られているが、現在は快方に向かっているという。8月1日には矢沢永吉(72)がサブスクを全解禁した。名曲の数々が永久に残るように、山下がサブスク解禁という決断を下す日は来るか。

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