資産形成をすることにしました
また何か言いだしたと思われるでしょうが、
いや、
この人間社会で、
これほど重要なことは、
そうそうないと思うんですよ。
いや、
それよりも大切なことがあるとか、
もっと人間性をとか、
人とのつながりとか、
そういうものを、
社会に出ていると、
気づかされることや勉強すること、
自分に全然できていないことが、
沢山ありすぎるなと日々思い知らされるのですが、
でもまぁ何にしたって、
先立つものは必要になってくると思うんですよ。
だってですよ、
特定の収入源もなく、
社会保障もない立場で、
大事な家族を守ります、
と言ったところで、
いやまずは、
もっと他の大事なものを守ってからの方がいいんじゃないですか、
と思っちゃうじゃないですか。
それよりは、
しっかりとした収入と財源があり、
所属も実績のある確かなところで、
モチベーションも高く、
いざというときに頼れるツテや保険をかけている人が、
大事な家族を守ります、
と言った方が、
全然説得力があるわけですよ。
いやさすがにこれは極端な例ですが、
でもお金があればある程度の時間が買えるわけですし、
自分や子供のために未来への投資もできる、
何よりも、
選べる選択肢が増えるというのが、
人生においてもっとも重要なことだと思うんですね。
まぁあんまりごりごりのお金の話しをしても、
賞賛をえられることは少なく、
むしろ嫌悪感や不快感を与えてしまいがちな問題はあるのですが、
いずれにせよ、
生きていく上では絶対にあった方がいいわけですよ。
で、
ここでよく、
お金の話をすると、
がめついとか、
ちょっと人として信用できなくなるとか、
そういう感じになってしまうことがありますが、
私的には、
お金自体にはなんの価値もないと思っています。
何言ってるんだ、
わけわからん、
と思われるでしょうが、
だって、
例えばですが、
1万円札があるじゃないですか。
1万円札自体は紙なので、
紙自体が役に立つ瞬間と言えば、
何かふいたり着火剤として燃やしたり、
メモ書きに使ったりとか、
そういう感じなわけです。
ますます何を言ってるかわからんと思われるでしょうが、
私が逆に聞きたいのは、
1万円札を、
1万円の価値あるものとして使っていますか、
ということです。
無計画で行った砂漠地帯で遭難し、
同じく疲弊したキャラバン隊に助けられ、
こっちもギリギリだから、
お前の持っている1万円札で、
この水筒の水と1回分の食糧を交換してやる、
と言われたら、
生きるために迷わず、
むしろ喜んで出すかもしれません。
こういうたとえ話をすると、
そもそも砂漠なんか行かねーしwwww、
と思ってしまうかもしれませんが、
実際の生活でも同じです。
今後ずっと、
100%健康体で、
何一つ不自由なく暮らせるという保証は誰もないわけですし、
大きな事件や災害もなく、
人間関係のトラブルも一切ない、
なんてことはあり得ないわけです。
大変なことが起きてしまって、
1万円札だけ持って、
住むとこも頼るところもなく放り出されたら、
いくら24時間営業のコンビニや、
水が出る公園があるとはいえ、
状態的には砂漠の中のキャラバン商隊にいることと、
あまり変わらない気がするんですよね。
不謹慎なのは承知ですが、
災害直後の現場に現金をばらまいて、
取り合いになるか、
人間関係がギスギスして助け合いが生まれなくなる可能性を生むよりも、
救助や支援物資に先にお金を流し、
しかるべき時期に被災者にお金を回した方が、
本当の意味での支援や救助活動になると思うんですよ。
話しが混在して申し訳ないのですが、
私が重要視しているのは、
お金の儲け方や貯め方ではなく、
お金の使い方です。
無計画に砂漠に入る前に、
町で先に物資や人手に情報を調達しておけば、
遭難のリスクがぐっと減りますし、
現地では1万円札が大金かもしれないので、
砂漠の中のわずかな食糧とは比較にならないほど、
大量に調達できるかもしれないわけです。
そもそも、
そんなにお金があるなら、
砂漠に入らないという選択肢も出せるかもしれません。
お金持ちを見て、
何か悪いことをしている、
税金なども何か不正に操作していると、
散々言っておきながら、
何かあると、
なぜ寄付しないんだ、
協力しないんだと、
持っている人は無償で提供するのが義務、
みたいに騒ぎ立てるよりも、
お金持ちが人々にどう恩恵を与えるか、
その影響を考えていこうと思ったんですね。
だから、
そんなにあるならくれよとか、
余ってるなら欲しいとか、
そういう人間にはあまりなりたくない。
そんなこと言われるよりも、
援助ではなく回収不能な投資にしてくれと言われた方が、
まだすっきりします。
投資で回収不能はあり得ないわけですから、
最初から縁もまっさらにできるし、
回収不能な投資話を持ち掛けるその人の信用度は地に落ちますが、
慈善事業とした私の人間性は保たれますので、
単純にくれよと言われて気分を悪くするよりは全然いい。
そんなわけで、
これからは、
年齢×500万を当面の資産目標とし、
それと並行して、
幾つかの計画に私なりの価値観で投資していきたいと思います。
ええ、
まぁまずは、
年齢の前に、
そもそも500万あるのか、
という話しですが、
ええ、
目標ですから、
ええ。
ではでは、
また次回、
お会いしましょう。
また何か言いだしたと思われるでしょうが、
いや、
この人間社会で、
これほど重要なことは、
そうそうないと思うんですよ。
いや、
それよりも大切なことがあるとか、
もっと人間性をとか、
人とのつながりとか、
そういうものを、
社会に出ていると、
気づかされることや勉強すること、
自分に全然できていないことが、
沢山ありすぎるなと日々思い知らされるのですが、
でもまぁ何にしたって、
先立つものは必要になってくると思うんですよ。
だってですよ、
特定の収入源もなく、
社会保障もない立場で、
大事な家族を守ります、
と言ったところで、
いやまずは、
もっと他の大事なものを守ってからの方がいいんじゃないですか、
と思っちゃうじゃないですか。
それよりは、
しっかりとした収入と財源があり、
所属も実績のある確かなところで、
モチベーションも高く、
いざというときに頼れるツテや保険をかけている人が、
大事な家族を守ります、
と言った方が、
全然説得力があるわけですよ。
いやさすがにこれは極端な例ですが、
でもお金があればある程度の時間が買えるわけですし、
自分や子供のために未来への投資もできる、
何よりも、
選べる選択肢が増えるというのが、
人生においてもっとも重要なことだと思うんですね。
まぁあんまりごりごりのお金の話しをしても、
賞賛をえられることは少なく、
むしろ嫌悪感や不快感を与えてしまいがちな問題はあるのですが、
いずれにせよ、
生きていく上では絶対にあった方がいいわけですよ。
で、
ここでよく、
お金の話をすると、
がめついとか、
ちょっと人として信用できなくなるとか、
そういう感じになってしまうことがありますが、
私的には、
お金自体にはなんの価値もないと思っています。
何言ってるんだ、
わけわからん、
と思われるでしょうが、
だって、
例えばですが、
1万円札があるじゃないですか。
1万円札自体は紙なので、
紙自体が役に立つ瞬間と言えば、
何かふいたり着火剤として燃やしたり、
メモ書きに使ったりとか、
そういう感じなわけです。
ますます何を言ってるかわからんと思われるでしょうが、
私が逆に聞きたいのは、
1万円札を、
1万円の価値あるものとして使っていますか、
ということです。
無計画で行った砂漠地帯で遭難し、
同じく疲弊したキャラバン隊に助けられ、
こっちもギリギリだから、
お前の持っている1万円札で、
この水筒の水と1回分の食糧を交換してやる、
と言われたら、
生きるために迷わず、
むしろ喜んで出すかもしれません。
こういうたとえ話をすると、
そもそも砂漠なんか行かねーしwwww、
と思ってしまうかもしれませんが、
実際の生活でも同じです。
今後ずっと、
100%健康体で、
何一つ不自由なく暮らせるという保証は誰もないわけですし、
大きな事件や災害もなく、
人間関係のトラブルも一切ない、
なんてことはあり得ないわけです。
大変なことが起きてしまって、
1万円札だけ持って、
住むとこも頼るところもなく放り出されたら、
いくら24時間営業のコンビニや、
水が出る公園があるとはいえ、
状態的には砂漠の中のキャラバン商隊にいることと、
あまり変わらない気がするんですよね。
不謹慎なのは承知ですが、
災害直後の現場に現金をばらまいて、
取り合いになるか、
人間関係がギスギスして助け合いが生まれなくなる可能性を生むよりも、
救助や支援物資に先にお金を流し、
しかるべき時期に被災者にお金を回した方が、
本当の意味での支援や救助活動になると思うんですよ。
話しが混在して申し訳ないのですが、
私が重要視しているのは、
お金の儲け方や貯め方ではなく、
お金の使い方です。
無計画に砂漠に入る前に、
町で先に物資や人手に情報を調達しておけば、
遭難のリスクがぐっと減りますし、
現地では1万円札が大金かもしれないので、
砂漠の中のわずかな食糧とは比較にならないほど、
大量に調達できるかもしれないわけです。
そもそも、
そんなにお金があるなら、
砂漠に入らないという選択肢も出せるかもしれません。
お金持ちを見て、
何か悪いことをしている、
税金なども何か不正に操作していると、
散々言っておきながら、
何かあると、
なぜ寄付しないんだ、
協力しないんだと、
持っている人は無償で提供するのが義務、
みたいに騒ぎ立てるよりも、
お金持ちが人々にどう恩恵を与えるか、
その影響を考えていこうと思ったんですね。
だから、
そんなにあるならくれよとか、
余ってるなら欲しいとか、
そういう人間にはあまりなりたくない。
そんなこと言われるよりも、
援助ではなく回収不能な投資にしてくれと言われた方が、
まだすっきりします。
投資で回収不能はあり得ないわけですから、
最初から縁もまっさらにできるし、
回収不能な投資話を持ち掛けるその人の信用度は地に落ちますが、
慈善事業とした私の人間性は保たれますので、
単純にくれよと言われて気分を悪くするよりは全然いい。
そんなわけで、
これからは、
年齢×500万を当面の資産目標とし、
それと並行して、
幾つかの計画に私なりの価値観で投資していきたいと思います。
ええ、
まぁまずは、
年齢の前に、
そもそも500万あるのか、
という話しですが、
ええ、
目標ですから、
ええ。
ではでは、
また次回、
お会いしましょう。
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