春暁や阿修羅の放つ火のにほひ 宇佐美魚目
久しぶりに俳句の記事です。2月末から先週にかけて次々と締め切りが来ていましたので、そもそもブログを書く余裕もなく・・・。その後はウクライナ侵略もあり・・・ということで、なかなか俳句の話題をブログに書けずにいました。
先ほど「締め切り」と書きましたが、所属している結社誌が十五周年になるそうで、加わってから3年しか経っていない私には他所の世界の話しと高を括っていました。ところが、記念の合同句集を作るので20句提出せよ、十五周年に思うという題で感想文を提出せよ、更に通常号では私の句を巻頭に載せるから俳句への思いを書け、通常号の締め切りは5日だからそちらも遅れないように・・・と。
15周年の20句はこれまで結社誌に掲載された句から選べば良いのですが、以前このブログでも書いたとおり、同人副代表(=指導者、選者、編集長)が添削し、結果的に私の気に入らない「改作」となった句を私の名前で合同句集に載せたくはありません。元の句そのまま掲載された句は良いのですが、その他は明らかな文法の誤りや助詞の選択などで十分納得出来る添削だけを選び出すのに結構時間がかかりました。
掲載の句は、今月の句会に出された兼題の季語「春暁」の例句として指導者から配られた一つです。少し前、国立博物館で開催された「阿修羅展」は80万人以上が入場したそうですが、ウィキを見ても「阿修羅」とは仏教の守護神の一つではありますが、『六道のうちの天道、人間道、修羅道を三善趣(三善道)といい、畜生道、餓鬼道、地獄道を三悪趣(三悪道)という』し、修羅場などの語もありインドのバラモン教などでは「火の神」らしいと・・・。多分その様なところからの句と思いますが、間もなく夜が明けようとする時こそ闇も深く、その時に感じる火の匂いは修羅道から漂って来るように感じるのでしょう。