「失われた20年、30年」と指摘され続けてきた日本。改革しなければならないことは分かっていても、企業を保護しつつ円安、金融緩和という美味しい餌を経済界に与え続け、結果的には本当に痛む改革していくことが出来ず、日本の国力は低下し続けた。日本の企業だ得意としてきた分野や世界的なシェアを確保していたはずの分野でも、ずるずると後退を続けてきた。何故なのだろうか?
結論は分からないが、ふと気づいたことがある。日本は役所だけでなく民間企業と言えど極めてお役人根性が染みついた国。
つまり、前例にないような全く革新的なことは我が身の死を賭した「英雄」や「志士」が叩き潰してくれない限り、「前例」もっと美しく言えば「先達の切り開いた道」を行く世界であるということだ。
それは、現代社会の仕組みで言えば「財務局」「財政課」が支配する予算配分・資源配分の世界ということ。
現役時代・・・前年度等に予算の付いている事業は必要性が薄まったとしても、それに代わる新規事業を同額確保できる可能性は低い。要は予算当局は事業が減るのは歓迎するが、そこに馬鹿な自民党の政治家が横やりを入れてこないことが前提だ。(横やりを入れるのはほぼ自民党・公明党そのた保守的な議員が少なくないので)
でも、財務当局は新しい革新的な事業に予算をつける気など全くない。
新しいチャレンジなど「寝言」でしかない。「寝言」が「まっとうな意見」になるためには、特に自民党の政治家の後押しがあって初めて成り立つ。
結論・・・今の事業を5ミリほど動かすことは政治家も官僚もやってくれる。
しかし、予算を伴う事業であれば、ドラスティックに変えてみようなどというものに官僚は絶対予算は付けないし、政治家もそんな怖いことはできない・・・天下国家を憂うるような国士ではないから。
ということで、現状は少しだけ変わったように見える方向でしか動かないし、日本国民全体もそんな危ないことは全く歓迎していない。
なので・・・・・・・次第にじり貧になってきた。のはやむを得ないのだろう。根底にあるのは・・・私の意見は日本人の「想像力欠如」だと思っているが、どうだろう・・・。