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兵庫県の惨状その2・・・「木っ端役人」は死んではならない


兵庫県の知事選挙が斎藤前知事の再選という結果で終わった。新聞の報道などではSNS・・・特に「X」による選挙・・・初めてとは言えないが、先の総選挙に続いて、SNSが選挙結果を左右するという大きな転換点に立ったということだろう。実際に兵庫県庁に身を置いている訳ではないから真実が何処に在るかは断定的には言えないが、9月に「兵庫県の惨状」と題したブログに上げた通り、斎藤氏は高級官僚の中には、得てして居がちな『基本的な人格形成は幼稚なままに放っておかれ、試験で高い点数を取れることだけが人格としても優位にあるものと誤解を醸成していった結果、自分で考えること、想像力の欠如(自分以外の他者を慮る能力の未成熟)が極めて著しい』人物であると考えている。
想像力が欠如していると「他人が考えていることもまた正しいかもしれない」ということが考えられず「自分の考えていることだけが正しい」と思いこんでしまう。つまり自分自身を客観的にとらえることが出来ない、ということだ。しかしこの力は受験勉強で身に付くものではなく、自分自身が物事の本質を見極めたり考えたりすることで少しづつ分ってくるものだ。

11月19日付の『SNS選挙3つの「着火点」』という記事を読むと、いかにこの兵庫県知事選挙がSNS、特にXの記事によって比較的若年の層が大挙して斎藤氏支持に回った、ことが分かる。
この選挙に限らず、Xの記事を見ると、面と向かって、つまり自分の存在を明確にした場合には到底言えないような悪罵や思い込み、虚言などの羅列にしか思えない怪しげな言葉が「匿名」で発せられている。

こうしたSNSの「情報」の中では、真実を告げようと命を懸けて発言しても、激しい言葉の中では何の重みにもならなくなってしまう。SNSの怪しげな言葉は人の死さえもが悪罵の対象になってしまうのだろう。
森友学園の時は、SNSではなく安部政権という真実を隠すようなシステムの中で財務官僚の死もまたその意味を摺りつぶされたと思う。
今回の選挙も地方官僚の死を賭した諫言は、想像力欠如の自己中心的な人物と、同じように想像力欠如のSNSによって、まるで意味のないものであったかのような結果になった。
若い世代にとって、役人おじさんの死は意味のないものだったのだろうか?

この結果、一つだけ確かなことがある。世間特に若い世代を中心としたSNS社会は「役人の死」には関心を払わないし、価値あるものであればあるほど今度は権力者に消されてしまう。
だから、「木っ端役人」諸君、悪事を知っても死んではいけない。悪事を明るみに出すには同じように悪知恵を働かせるか、手が届かない所へ行って暴露する方策を練るべきだろう。
それらが思いつかなくても、決して死んではならない。残された家族は必ずSNSで誹謗中傷される、多分あなたが真摯であればあるほど。




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