様々な物事では筋張っている方が好き、というか、筋道を立てた考え方をしない人や議論が嫌いなのですが、自分が事に当たると思いつきやその時気になったことに引きずられていることが多いようです。
なので、比較的取り組みやすいソングコンテストを取り上げて、少しは体系的にしたいと思いますが・・・やはり脈絡もなく突然にヴィッキーを取り上げます。
ヴィッキーは「恋は水色」(L'amour est bleu)で1967年のユーロビジョン・ソング・コンテストでルクセンブルグ代表で出場して第4位になり、日本でも世界でも大ヒットとなりましたので皆さんよくご存じでしょう。
名前で分かるとおり、彼女はギリシャ人ですが1958年以降当時の西ドイツに移住、1964年には西ドイツでレコードデビューしており、ギリシャ語、ドイツ語、フランス語など6カ国語を話せる才人だそうです。
ウィキによると、2006年にはギリシャの首都アテネの外港として歴史的に有名なピレウス・・・サラミスの海戦など・・・の副市長となったそうです。
今日は、日本におけるヴィッキーの代名詞になった「恋は水色」(L'amour est bleu)ではなく、1972年のユーロビジョン・ソング・コンテストで1967年と同じくルクセンブルグ代表で出場し、第1位となった「Apres Toi」(邦題:思い出に生きる)を取り上げます。(付け足し・・・彼女のフランス語は、ネイテヴとはちょっと異なったやや舌足らずなところがありますけれど、これがまた日本でも世界的にも受けたのではないかなと思います。どうかな?)
この年のコンテストは、エディンバラで開催されていますが、本来はモナコの首都モンテカルロで開催するはずでした。と言うのも、前年は・・・このブログでもいずれ取り上げる予定の・・・モナコ代表セヴェリーヌが歌った「Un banc, un arbre, une rue」(邦題:明日に夢見て)が優勝していたからですが、様々な事情でイギリスが開催を引き受けたとのこと。
この年の各国の提出曲を見ると、素人のひいき目ではこの「Apres Toi」がちょっと格段の違いでヒット曲の要素ががあるように思えます。
日本におけるヴィッキーの人気は「恋は水色」が頂点だったのでしょうか?「想い出に生きる」はフランス語版、日本語版、英語版が出されていますが「恋は水色」ほどのヒットにはならなかったのかな?(記録があるようでしたら教えてください。)なかなかの佳曲ですよね。
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