
引き続き1966年の入賞できなかった参加曲から気になる曲を・・・
日本のカンツォーネブームを支えたボビー・ソロの登場です。1964年に「Una Lacrima sul viso」(邦題:ほほにかかる涙)で出場しましたが、なんと結晶当日は体調不良で口パクでテレビに流れました。結果は「投票除外」になり皆さんご存じのとおりジリオラ・チンクェッテイ優勝しました。しかしレコード売り上げはミリオンセラーになりイタリアの年間ランキングで3位(1位はジャンニ・モランディ。2位はリシャール・アントニー)だったそうです。
続いて参加した1965年は「Se Piangi,se ridi」(邦題:君に涙と微笑みを)で見事優勝し、日本での人気も不動のものとなりましたが、1966年の参加曲「Questa volta」(邦題:愛を誓う)は14位までの入賞曲には入れませんでした。聞いてみるといかにもボビー・ソロ節でなかなかいい曲ではありますが、少々パンチが足りないようですし、当時は「大天狗」状態だったボビー・ソロがサンレモを少々なめてかかった、ということかもしれません。