今まで余り触れて来なかったが、ずっと喉に刺さった棘の様な感じだった辺野古。政府の一機関となり下がった裁判所の判決は、予想していた通りだった。
(地方自治の問題はまた別に触れたい)
1945年の終戦から78年、日本という国全体が未だに米軍の占領下にあることを改めて想起させる。首都の西側の空は日本の主権が及ばないことを何度も指摘されてきた。しかし、それ以上に沖縄が米国の軍事戦略の中で主権国家としての日本の一部ですらないことを何度も見せつけられてきたのではなかったか。しかも日本の為政者(自民党政権)は沖縄を捨て石のように踏みつけにして来たのではなかったのだろうか。
そもそも、なぜこれほどまでの米軍基地が日本や沖縄にあるのか?それは19世紀以来のアメリカのアジア戦略にとって(あくまでもアメリカの戦略にとって)不沈空母であったり前進基地であったりという日本、特に沖縄の戦略的な位置によるものだろう。
仮に日本政府がアメリカの戦略と軌を一にしたとしても、沖縄の地政学的な戦略優位性は、あくまでも「アメリカにとって・・・」であって本来持つべき日本独自の戦略的な位置ではないと思う。
それは、あくまでも日本と大陸との関係性によって決まるものであって、日本という国家全体で受けるべき性格のものだと思う、アメリカを除外して考えれば、明や清の時代の中国と室町、戦国、江戸時代の関係性は、絶対に敵対的なものだけではなく、相互依存の中での緊張や弛緩の関係だったと思う。
今の政府がアメリカの戦略展開の一部として日本を位置づけ、沖縄を日本の捨て石のように扱っているのは全くの誤りだろう。まず、日本は日本の戦略の中で生きるべきであって、アメリカの戦略の中で,まさにアメリカの都合で沖縄に基地を設けることを拒否すべきである。
どうしても、政策上アメリカの戦略とともに生きるのであれば、日本全体でアメリカの理不尽な要求を引き受けるべきであって、都合よく沖縄だけにその負担を押し付けるべきではない。
普天間の代わりはなぜ辺野古か?岩国でも板付でも大阪でも東京でも三沢でも・・・あるいは台湾でもグアムでもないのか?
我々は、「沖縄であること」を都合よく受け止めてはいないか?何も普天間の代わりに辺野古を沖縄に押し付けるのは止めるべきだ。そもそもこれ以上アメリカの基地を引き受けるのをやめるべきだ・・・そう思いませんか?