【半休中】Beyond talk to oneself

子どもや日常、スポーツ回顧、時事の疑問に世の声の1人として触れていきます。競馬予想はあくまで履歴と仲間向けです。

紛らわしいロータス~F1などモータースポーツの話

2012年05月03日 23時55分31秒 | F-1
どこ行ったんだ!ロータス・クーポン!!
ベルマークしかなかった昭和の後半にいきなりセンセーショナルに現れて
なんかはがきサイズの台紙にハイライトのようなブルーグレーの
切手の半分程度縮小されたサイズのそれを糊付けして
どこの家庭もお母さんがペタペタペタペタペタやってたのに
(なんかいいもの貰えたからか?)
その昭和も終わるのを待たずして一気にフェードアウトしたあれだ!
・・・・・・ってその話題も気になるので掘ってみたいけどそれじゃない。
自動車メーカーのロータスで、F1チームのほうだ。

セナのピーク時が日本でのF1人気のピークでもあり、
そのチームメートとして遅咲きもデビューした中嶋悟を
レギュラーシーズンドライバーの草分けとして
(スポットなら長谷見や星野も走ってるが)
亜久里や右京や井上高千穂なんかも走った頃がピークだ。

余談だが、日本のF1は1976年の富士スピードウェイが公式には最初だと
思うんだけど(それが長谷見や星野のスポットで、
スポットドライバーとして長谷見はファステストラップを記録し、
レギュラードライバーとして初獲得の中嶋悟より前に取ってて、
先日のカムイがその次の獲得になったのだと思う。
中嶋以降誰も日本人はマークしなかった気がする)
その開催も実はさらに2年前にデモ走行が行われたらしいのだ。
マクラーレンから(今ベビーカーが有名)エマーソン・フィッティパルディ
ロータスからロニー・ピーターソン、ブラバムからカルロス・ロイテマン、
6輪車のタイレル(ティレル)からパトリック・デュパイエ、
ヘスケスからジェームス・ハントというかなり豪華な面々。
でもそれが途中からブラバムには桑島正美が乗ったらしく、
1976年の初の日本GPでの日本パッケージ4人スポット参戦で
順位ごとに長谷見・星野・高原敬武・桑島が初だと思ったら、
デモとはいえ2年前のその桑島がおそらく初だったのだということ。

そんなことで比較的最近からと思いきや、もう35年程度経ち
1950年に始まったF1に遅れること25年余りでようやくかかわりを持てた
日本だと思っていたが、かかわりを持ってからのほうが
いつの間にか長くなっていたことに気が付かされた。

そんな日本とかかわりがあったのがロータスだ。
日本人がF1に参戦してなくとも、人気があったのがジャンプで連載の
池沢さとしのサーキットの狼。フォーミュラカーではなく、
いわゆる当時の呼称だとスーパーカーだ。
ちなみに「しかと」という言葉もこの漫画から広まった。
元々あったのか、ここから初めてなのかは解らないが、
主人公風吹裕矢の好敵手であったフェアレディZパトカーの警察あがりの
沖田(何故か下の名前がない)がフェラーリ・ディーノ246での
レース中にトップになった瞬間に持病の結核で急死。
駆けつけた風吹がステアリングを握ったまま血を吐き死んでいる沖田を見て
何度も声をかけるが何の反応もないことから(1面にでかでかと)
「沖田ぁぁぁぁぁぁぁ しかとしてんじゃねぇーーーー!」と書かれ
そこから当たり前のように使われるようになったのだ。

※ 花札の10月のもみじの10券は鹿がそっぽ向いているので
※ そっぽを向くという無視することを鹿の10券からシカトと
※ 言うようになった説が有力だが、私は信じがたいと思う。
※ 何故ならそれはもみじの10券であり、鹿はそれしか出てない。
※ 鹿の10券もなにもカス券も5券も他のどの札にも鹿は居なく、
※ 鹿といえば10券以外ありえないのでいちいち言う必要がないからで、
※ だから言うならもみじの10券でモミトになってるはずだからだ。

そのサーキットの狼の風吹はロータス・ヨーロッパが愛車だった。
暴走族(今でいう走り屋)~飛鳥の勧めでプロになり、
最終的にはフォーミュラカーにも乗ることになるのだが、
そこで実はロータスの総帥コーリン・チャップマンからオファーが来る。
しかし浪花節も凄まじいと思ったが、それを蹴って実績も無い振興の
純国産チームの神風に入るのだった。

そんなところでもロータスは私ら子どもにも身近だった。
とにかくスーパーカー消しゴムがキン消し以上の人気だったので
それは男子はみんな少なからずロータスは知ってた。
そのリアルなF1ロータスチームは、
サーキットの狼のころにはあのJPSのブラックで角ばった感じが
凄まじくかっこよかったのだよ!!



これこれ!!
・・・これ誰だ?
・・・ヘクトール・レバークか?
とにかく72年~86年まで歯抜けもあるけど長いことこのイメージで
存在していたんよな。タバコもJPSが一番かっこいい洋もくだと思ってた。

ただその黒いイメージのロータスの印象が一新された。
今となってはこっちの印象のほうが強いかもしれない。黄色だ。
そう。冒頭画像のキャメルイエローのロータスだ。
ブームになった頃のロータスのイメージはこの色だ。
下火になってきて深緑だと思う。
そのキャメル・ロータスになって乗っていたドライバーが
JPSロータス最後の2年乗っていたあのアイルトン・セナだ。
そのセナを1stドライバーとして、キャメルになった年の
2ndドライバーがあの中嶋悟なのだよ。34歳だったか!?

そんなロータスがこのたびややこしいことになったらしい。
というか、私にとってはとっくのとうに終わっているのだけど…。
ロータスは1994年にザナルディが火を吹きまくったせいかどうか知らんが
終わったのだよね。95年には複雑な感じにパシフィックとなり、
それもその年で撤退することになったのだ。

ではなんでロータスがというと良くわからない。
コーリン・チャップマンは82年に若くして亡くなってるし、
その後のロータスがどういう経営や運営をしているのかも知らない。
だから現在のオーナーなどが…と思ったら2つ存在してごちゃごちゃに。
今年決着が付いて、片方はケータハムとなったのでロータスが2つに
なることなく解りやすくなったのだが、どっちみち私に言わせれば
どっちもロータスじゃねぇよ!?ということ。

だってロータスはそういうことで58~94年までロータスで、
95年にパシフィックになり消滅したのだから。
・・・ということは、今のロータスって何?ということ。

まず正式にロータスの名を使ってよいとされたのは、
どっちかというとルノーのイメージのあのチームだ。
元々はセナがデビューしたあのトールマン。
それが1986年に元々毛糸系のアパレル会社ベネトンになって、
あの斬新な原色のベネトンカラーが有名になり、
2001年までとなったのが、元々77年から85年までワークスとして
参戦していたルノーが買収してベースを変えて復活した。
そのルノーが近年ロータスの名を使ってきたが、
今年からロータスF1チームと名乗っている。

もう一方はマレーシアのプロトンが傘下にしている
ロータスの命名をハント弟と契約して使用できていたが、
イメージとしてはペトロナスで、
事実無関係なのかもしれないがマレーシアとくれば
ペトロナスというフェラーリとパイプがある石油メーカーという
印象が強く違和感が大きかった。
そのせいかどうか知らないが、ロータスの名を使用できなくなった
裁決が下ったのはイメージからもなんとなく解る気がする。

ということで、どっちが使うでもめていたことで
一応決着は付いたんだけど、私的にはどっちでもないんだよねぇ。

画像:レスポンス

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