忙しかったので昨日完璧に忘れてしまった。この話で埋める。
・・・そんなつもりで書いたけど、思わぬ大作になったので
今日の分として。昨日は中身歯抜けで場所取るだけにする。
ということで、先月である8月4日にがんで亡くなったらしい。
はっきりとはしないが死因はそれではないかと。
孤高の◎というのが彼の代名詞であった清水成駿。
穴党という言葉があるが、反して本命党という言い方もある。
本命党ってのは私個人としては存在しないと思っている。
とくにプロならば。
何故ならば、本命はプロが印を集めているから素人が乗って
結果的にそれが1番なり上位人気になるので本命なのだと。
もちろんプロでも過去の競走で上位の馬を本命視して
そこに◎を打てばいわゆる本命党になるのだと思うけど、
実際そんなもんで人気した馬がことごとく勝つなら
競馬なんて存続しない。事実万馬券なり穴も結構多い。
ちょっと話がまとまらなくなってきたので
何が言いたいのかというと、過去記事の凄い馬券師でも書いたが
本命党も穴党も下手くそだってこと。
本命で決まるレースばかりではなく、荒れるレースばかりでもない。
そのどっちかに偏っているということは、
半分前後は全く当たらないってこと。
しかも本命党の予想など、素人でも考え付くので
面白くもおかしくもない。
ということで穴党の予想は大外れすれば馬鹿にする対象として
当たればやっぱプロはすごいなぁと羨望の目で見られるのだ。
だけど穴もそういうわけで半分。実際それ以下。
なので穴だけを追いかけてても外れまくる。
じゃぁ何なんだと言うと、固いレースは固く、
荒れるレースは荒れた予想が出来る、
言い方からすると自在型とでもいうのか、
それも本当は間違いだと思う、本音的には的中型と言いたい。
だがそれは間違うと固く思って荒れ、荒れると思って固く、
それだと裏裏裏裏なので何一つ当たらなくなる。
そう思うと、本命党も穴党も半分程度の当たりを捨てて
残りの半分程度を当てに行く逃げの予想。ずるい予想に感じる。
例えば伏せたトランプで、奇数か偶数かを当てるとき、
全て偶数だと言えば、26枚外すが26枚は当たり、
的中率は50%になる。
これをどっちもいうことで、確立として存在する
全て裏予想になってしまった的中率0%を徹底的に避ける目的
これがあるから予想を偏らせるのだと推測する。
ということは、そういう人はプロアマ問わず
予想がど下手
だということを無言でアピールしているに過ぎない。
私は大した予想家ではないが、でもその自在的にやってる。
これも既出だが、誰のせいにもしない自分だけで決めた予想。
だから当たれば鼻高々だし、外れても誰も恨まない。
報復までしないとしても、大川啓次郎のせいで大損!
あのジジイ!すっげぇムカツク!!
こんなことを思ったことは1度たりとも無い。
実際あったとしても記憶に薄い初心者の頃の2年間ぐらいか。
その点の精神衛生上凄く健康で競馬を楽しめる。
そもそも儲けようと思ってないので特に。
競馬で儲けるなんて思ったら破たんの道まっしぐら。
単発でならあり得るが常にはありえない。
ありえるようだったらそんな組織存続できない。
胴元が儲かってるから存続しているのだから、
そう思うとこっちサイドは基本負けるのだということを
解ってなければこんなもんやったら人生終わるぞ!?
そんな競馬界でチョイスを間違えばそれでも外れるが
半分は当たるという理論の本命および穴党。
でも穴は結構対象が多いし、穴同士か穴と本命サイドかなど
結構難しい。本命は簡単。
そんな簡単なもんを捨てて自在型は0%のリスクを負って挑む。
自分はそれをすることで楽しんでいる。
なので荒れると読んだレースで穴馬を数頭推して予想して、
当たればそれは万々歳だが、外れても結果が荒れれば
ある一定の満足がある。やっぱり読み通り荒れた。と。
儲ける目的じゃないから喜べるのだ。
外れたが方向は間違ってなかったと。
これが大事なんだよ。当てることを目的に挑んでるんだから。
だから荒れるレースには荒れる予想。
固いレースには固い予想。
ゆえに本命党も穴党もただの下手くそだっていうの。
いわゆる自在型で的中率が高い人が神なわけ!!
私は神は目指してないけど、未来予想を楽しんでるから
当然自在型しかありえない。
でも結果的には本命党に偏っているとも感じている。
そこが少し物足りなく、自分にもっと攻めろよ!と思っているが
競馬に潤沢な時間を割けられないのである程度仕方ない。
熟考しないと攻めた予想はなかなか出来ない。
なんというか3日煮込んだスープはすごく美味いけど
私はそれが作れずまずまずの焼きそば専門だと言う感じ。
焼きそば程度が、煮込んだスープ作ってるかのように
語るんじゃねぇよ!!って感じだけど、まぁまぁ…。
ということで、私の話じゃない。成駿師匠の話。
ここまではその前振りなのだ。
その孤高の◎は本当に凄かった。
「成駿のヤツ、こんな馬に◎打ってるぞ!一人でポツンと!!」
そう馬鹿にして予想を見たこともあった。
しかしその通りに馬鹿にされたままの結果で終わることもある。
だが御見それしましたと頭を垂れざるを得ない
見事な結果を見せつけることがしばしばあった。
1着でなくても馬券になればそれは一定の評価に値する。
そんな感じが清水成駿の孤高の◎であって、
ただ闇雲に人気がない馬に何の理由もなく
馬券の妙味である配当が大きいからと打っているわけではない。
そこがあの人の予想で凄くしびれたところ。
プロの予想家はたまにさすがプロだなあとは思わされても
大したことないとリスペクトしてない私が
唯一この人はすごいと思ったのがこの清水成駿。
物足りないが近いものを感じるのが柏木集保。
この両名の外れたときの見解が凄く好きだった。
解りやすいと言うか、ただの言い訳ではない感じが。
例えば逃げ馬が3頭いてやり合うだろうからハイペース予想。
だから最後方でじっくり足をためてるあの馬が穴を開ける。
そういう予想だったが、3頭がけん制し合ってすごく遅く
しかもそれ以外の馬が引っ張る超スローになってしまったので
ヨーイドンの瞬発力勝負になり、後方は逆に不利。
だから負けてしまったというような。
そういう反省ではないんだけど、結果の回顧が、
あぁこういう風に想像して予想するんだ。
想像を都合いい妄想にしないためには、
この場合だと逃げ馬3頭がやり合う。だからハイペース。
こういうことを裏付けとして想定していくんだと。
そういうことをも外れたときにも教えてくれたね。
時には無理やりもあったことだけど、
彼が本命にした背景とか理由が面白かった。
それが最終形には馬単三国志として東スポに連載した。
三国志はアニメや漫画で気に入った人も多いと思うが
私は中国の歴史なんて興味なし。
日本の歴史も疎かな奴が何やってんだと思うよ。
ギゴショクの関係が面白かったとしても中国だから。
なのでそう思ったにせよ、その擬人(馬?)化もなかなか面白く
物書き屋になった証のようなものかと思い消化し受け止めていた。
そんな孤高の◎も穴党ではなかった。
例えばディープの場合。主に本命はそれだった。
対抗に回して◎はハーツクライとかはあったが、主に・・・
「調教からしても万全の状態のディープに非の打ちどころがなく
馬券的妙味はなくとも本命視しないことは愚かしいとまでの
絶対的な状況。ここはそれを認めざるを得まい。」と◎を打つ。
「しかし抜けているのはディープだけ。相手はというと
ひと悶着ありそう。まずは・・・」のような感じに、
対抗以下で穴を上手に探したりなども的確だった。
穴馬はなんでこの馬が人気がなく、
何でこんな人気のない馬を推す要素があるのかを
知らないとならないし、己に力がないときはその理由を
教えて欲しいものだ。
テレビ番組でも時間がないからということもあるだろうが
斉藤やキャプテンが前走差が無かったと良く言ってる。
まだレベル的に甘くともそれも見解の一つだし、
そういうことを考えることが予想上達の通過点。
でもそれも例えば前走が3着だったら。
逃げてバテての3着と、大きく出遅れて怒涛の追い込みで
3着まで押し上がってきたとでは同じ3着でも大きく違う。
そういうところまで加味して差が無かったと言い切れるのかどうか。
3着として次が見込めるのかどうか。そこが重要。
それには何が大事か。
・・・レースを見る以外何もないよ。
だから切り捨てられるんだよ。前走好走した馬を。
3着しかデータが無いから拾っちゃうんだろ?
上位者はレースを覚えていて、
「ああ、あのバテて下がっての3着か。こいつはまた同じ距離に
出てくるとは陣営は何を??1ハロン長いから来ない。消し!」
こういう感じだよな。
それで走られれば、前走だけバテたのだと思うだけ。
陣営は間違ってなく適距離だったのだと記憶を書き換えるだけ。
良く反省を皆さんするようだけど、私は一切しない。
反省したら二度と繰り返してはいけない。
私は競馬においてそんなことは出来ない。
だって外れて当たり前のお遊びだから。
なので反省して反省を活かせず繰り返してばかりいる人は
もはや死んでしまえよって話だよ!?いい大人が!って。
これが命の話は過激だから、そこのことではないにしても、
競馬から死んでしまえ・・・馬券なんか買うんじゃねぇよ!
そういうことになるんだよ。
だから反省なんかする必要はないっての。
反省しても改善できないんだから。どうせ。
私は当てて鼻高々か、外れてがっかりするだけ。
でも中級者ぐらいまでは反省とは違うと思いつつ
その行為が意味があると思うのは、
例えば降級馬を無視してしまったとすれば、
クラス再編成時期後は意識すべしと思うし、
馬場が重いのに上がりの最速時計重視でチョイスしてしまったとか
重だから重に見合ったデータで考えないといけなかったと
気づかされたなどの【学習】になったということは
身になると思うので、そういう意味での外れた回顧はいいと思う。
そうではないただの外れたことを脈絡もなく次は当てるなどの
意味なき反省は芯から滑稽だとしか言えない。
私にこんな考えを植え付けてくれたのが
数々の予想家たちであり、特に影響を与えたのが
この清水成駿という男だった。
なので私の予想スタンスや、競馬における考え方は
少なからず清水成駿で一部構成されている。
そう言っても過言ではない。
成駿が儲けではなく未来予想を楽しんでいるだけとは
一度たりとも言っていたことはないが、
予想家が予想したとおりに全て馬券を買っていることはなく
だとしたら、あの孤高の◎も未来予想を楽しんでいる
それだからこそ打てるのではないかとも感じていた。
何故なら少なからず金を賭けるなら回収したい。
最低でも元。とにかく元以上を。
そのあえてこう言うが、邪念が入ると弱気になる。
弱気になれば本命サイドにググッと寄っていく。
だから闇雲に人気馬ばかりを買ってしまう。
でももし買わなかったら。
・・・馬鹿馬鹿しいから予想なんかしないが、
でもプロの予想家は予想が仕事。
それを上げて金が貰える。
ならば攻めたこともできるっていうもの。
だから穴馬に可能性を感じたら光を当てて持ち上げられるのだと。
私も昔は1レースに最低でも5000円使ってた。
枠連しかない時代に5頭の枠連BOXで。
それが1点1000円から500円にし、500円を100円にし、
点数も多いときは12点や36点など3連馬券導入後はあったが
馬連の当たりは同着以外は1点のみ。3連複も3連単も同様。
フルゲート18頭なら馬連が153点。3連複816点。3連単4896点。
それぞれそのうち基本的に当たるのは1点しかないのだぜ!?
当てても点数を買えば買うほど当てた1点以外は外れなんだぜ?!
その外れという金を捨ててるんだぜ!?!??勿体ないじゃん。
だったら当たりの1点だけ買えばいいんだよ。
そう思って普段買う種類のものを外れは外れとして諦めて
狙いの本線1点勝負に変えた。
だから過去なら買ってた他の組み合わせで決まることが
圧倒的多数で、印を間違えたと悔やむばかり。
しかしそれぞれ1点ずつの300円使ってるだけなので傷は浅い。
しかも昔は1つ当てれば3レース分の負けの補てんだったが、
今は36レース1日すべて買っても、1000円程度を5つ当てれば元。
主に馬連1点のみか、馬連と3連複1点ずつの2点ばかりで、
メインなど時折3点買ってる程度なので。
ということでなかなかかすってばかりで当たらないけど
1日少なからず坊主はほぼなく負けても70%とか回収してる
その中でも中穴や万券も取るんだからいい感じ。
ずっと黒字よ。
黒にするのはとにかく回収しないとと思ってたらダメ。
負けることが大前提なんだから買うほどに傷が広がる。
何点も買わないことがベストだともう悟ったよ。
もちろんそんな絞り込んでいてそれなりに当てないとならないけど。
そんなところまで成駿師匠に引っ張られた。
しかし師匠ほどの穴馬を見つけられない。
こんな馬を?!と思って師匠が外した時はうれしかった。
師匠がいいと思った馬は来ないと思った自分の勝利だと。
逆に来られた時は、さすがは師匠だ。来ないと思ったと。
素直にその唯一尊敬した予想力に脱帽するだけ。
そんな感じで晩年は清水成駿の予想を
主にGIで競馬ラボなどで見て自分との結果を楽しんでいた。
そんなあの人が死んだんだよ。
顔も結構整っていたイケメンだと思ってたけどね。
でも1馬を退社したからただの人なの!?!??
競走馬が死んだら競馬中継の各局合間合間に言うじゃんね。
冒頭の時もあるけどそのニュースを。
なのになんで清水成駿さんが亡くなりましたってやらないんだ?!
あの人競馬界に多大なる迷惑や損害でも与えたの??
解説の契約してたのに、急に文豪になるってやめたから
損害を被ったとか!????それしか想像がつかん…。
後藤騎手が自殺したときにあんなに特集したのに、
なんであの人をやらないんだろう?
一番レース見解が読めて、固いものは固く、荒れるものは荒れて
一番当ててきた人だと思うのに…。
何か亡くなったことの無念さ以上に、
そんな競馬番組テレビラジオ各局の扱いのなさに
凄まじい無念を感じてしまうのは私だけなんだろうか?
見た目も予想もカッコよかった清水成駿師匠安らかに。合掌。
・・・そんなつもりで書いたけど、思わぬ大作になったので
今日の分として。昨日は中身歯抜けで場所取るだけにする。
ということで、先月である8月4日にがんで亡くなったらしい。
はっきりとはしないが死因はそれではないかと。
孤高の◎というのが彼の代名詞であった清水成駿。
穴党という言葉があるが、反して本命党という言い方もある。
本命党ってのは私個人としては存在しないと思っている。
とくにプロならば。
何故ならば、本命はプロが印を集めているから素人が乗って
結果的にそれが1番なり上位人気になるので本命なのだと。
もちろんプロでも過去の競走で上位の馬を本命視して
そこに◎を打てばいわゆる本命党になるのだと思うけど、
実際そんなもんで人気した馬がことごとく勝つなら
競馬なんて存続しない。事実万馬券なり穴も結構多い。
ちょっと話がまとまらなくなってきたので
何が言いたいのかというと、過去記事の凄い馬券師でも書いたが
本命党も穴党も下手くそだってこと。
本命で決まるレースばかりではなく、荒れるレースばかりでもない。
そのどっちかに偏っているということは、
半分前後は全く当たらないってこと。
しかも本命党の予想など、素人でも考え付くので
面白くもおかしくもない。
ということで穴党の予想は大外れすれば馬鹿にする対象として
当たればやっぱプロはすごいなぁと羨望の目で見られるのだ。
だけど穴もそういうわけで半分。実際それ以下。
なので穴だけを追いかけてても外れまくる。
じゃぁ何なんだと言うと、固いレースは固く、
荒れるレースは荒れた予想が出来る、
言い方からすると自在型とでもいうのか、
それも本当は間違いだと思う、本音的には的中型と言いたい。
だがそれは間違うと固く思って荒れ、荒れると思って固く、
それだと裏裏裏裏なので何一つ当たらなくなる。
そう思うと、本命党も穴党も半分程度の当たりを捨てて
残りの半分程度を当てに行く逃げの予想。ずるい予想に感じる。
例えば伏せたトランプで、奇数か偶数かを当てるとき、
全て偶数だと言えば、26枚外すが26枚は当たり、
的中率は50%になる。
これをどっちもいうことで、確立として存在する
全て裏予想になってしまった的中率0%を徹底的に避ける目的
これがあるから予想を偏らせるのだと推測する。
ということは、そういう人はプロアマ問わず
予想がど下手
だということを無言でアピールしているに過ぎない。
私は大した予想家ではないが、でもその自在的にやってる。
これも既出だが、誰のせいにもしない自分だけで決めた予想。
だから当たれば鼻高々だし、外れても誰も恨まない。
報復までしないとしても、大川啓次郎のせいで大損!
あのジジイ!すっげぇムカツク!!
こんなことを思ったことは1度たりとも無い。
実際あったとしても記憶に薄い初心者の頃の2年間ぐらいか。
その点の精神衛生上凄く健康で競馬を楽しめる。
そもそも儲けようと思ってないので特に。
競馬で儲けるなんて思ったら破たんの道まっしぐら。
単発でならあり得るが常にはありえない。
ありえるようだったらそんな組織存続できない。
胴元が儲かってるから存続しているのだから、
そう思うとこっちサイドは基本負けるのだということを
解ってなければこんなもんやったら人生終わるぞ!?
そんな競馬界でチョイスを間違えばそれでも外れるが
半分は当たるという理論の本命および穴党。
でも穴は結構対象が多いし、穴同士か穴と本命サイドかなど
結構難しい。本命は簡単。
そんな簡単なもんを捨てて自在型は0%のリスクを負って挑む。
自分はそれをすることで楽しんでいる。
なので荒れると読んだレースで穴馬を数頭推して予想して、
当たればそれは万々歳だが、外れても結果が荒れれば
ある一定の満足がある。やっぱり読み通り荒れた。と。
儲ける目的じゃないから喜べるのだ。
外れたが方向は間違ってなかったと。
これが大事なんだよ。当てることを目的に挑んでるんだから。
だから荒れるレースには荒れる予想。
固いレースには固い予想。
ゆえに本命党も穴党もただの下手くそだっていうの。
いわゆる自在型で的中率が高い人が神なわけ!!
私は神は目指してないけど、未来予想を楽しんでるから
当然自在型しかありえない。
でも結果的には本命党に偏っているとも感じている。
そこが少し物足りなく、自分にもっと攻めろよ!と思っているが
競馬に潤沢な時間を割けられないのである程度仕方ない。
熟考しないと攻めた予想はなかなか出来ない。
なんというか3日煮込んだスープはすごく美味いけど
私はそれが作れずまずまずの焼きそば専門だと言う感じ。
焼きそば程度が、煮込んだスープ作ってるかのように
語るんじゃねぇよ!!って感じだけど、まぁまぁ…。
ということで、私の話じゃない。成駿師匠の話。
ここまではその前振りなのだ。
その孤高の◎は本当に凄かった。
「成駿のヤツ、こんな馬に◎打ってるぞ!一人でポツンと!!」
そう馬鹿にして予想を見たこともあった。
しかしその通りに馬鹿にされたままの結果で終わることもある。
だが御見それしましたと頭を垂れざるを得ない
見事な結果を見せつけることがしばしばあった。
1着でなくても馬券になればそれは一定の評価に値する。
そんな感じが清水成駿の孤高の◎であって、
ただ闇雲に人気がない馬に何の理由もなく
馬券の妙味である配当が大きいからと打っているわけではない。
そこがあの人の予想で凄くしびれたところ。
プロの予想家はたまにさすがプロだなあとは思わされても
大したことないとリスペクトしてない私が
唯一この人はすごいと思ったのがこの清水成駿。
物足りないが近いものを感じるのが柏木集保。
この両名の外れたときの見解が凄く好きだった。
解りやすいと言うか、ただの言い訳ではない感じが。
例えば逃げ馬が3頭いてやり合うだろうからハイペース予想。
だから最後方でじっくり足をためてるあの馬が穴を開ける。
そういう予想だったが、3頭がけん制し合ってすごく遅く
しかもそれ以外の馬が引っ張る超スローになってしまったので
ヨーイドンの瞬発力勝負になり、後方は逆に不利。
だから負けてしまったというような。
そういう反省ではないんだけど、結果の回顧が、
あぁこういう風に想像して予想するんだ。
想像を都合いい妄想にしないためには、
この場合だと逃げ馬3頭がやり合う。だからハイペース。
こういうことを裏付けとして想定していくんだと。
そういうことをも外れたときにも教えてくれたね。
時には無理やりもあったことだけど、
彼が本命にした背景とか理由が面白かった。
それが最終形には馬単三国志として東スポに連載した。
三国志はアニメや漫画で気に入った人も多いと思うが
私は中国の歴史なんて興味なし。
日本の歴史も疎かな奴が何やってんだと思うよ。
ギゴショクの関係が面白かったとしても中国だから。
なのでそう思ったにせよ、その擬人(馬?)化もなかなか面白く
物書き屋になった証のようなものかと思い消化し受け止めていた。
そんな孤高の◎も穴党ではなかった。
例えばディープの場合。主に本命はそれだった。
対抗に回して◎はハーツクライとかはあったが、主に・・・
「調教からしても万全の状態のディープに非の打ちどころがなく
馬券的妙味はなくとも本命視しないことは愚かしいとまでの
絶対的な状況。ここはそれを認めざるを得まい。」と◎を打つ。
「しかし抜けているのはディープだけ。相手はというと
ひと悶着ありそう。まずは・・・」のような感じに、
対抗以下で穴を上手に探したりなども的確だった。
穴馬はなんでこの馬が人気がなく、
何でこんな人気のない馬を推す要素があるのかを
知らないとならないし、己に力がないときはその理由を
教えて欲しいものだ。
テレビ番組でも時間がないからということもあるだろうが
斉藤やキャプテンが前走差が無かったと良く言ってる。
まだレベル的に甘くともそれも見解の一つだし、
そういうことを考えることが予想上達の通過点。
でもそれも例えば前走が3着だったら。
逃げてバテての3着と、大きく出遅れて怒涛の追い込みで
3着まで押し上がってきたとでは同じ3着でも大きく違う。
そういうところまで加味して差が無かったと言い切れるのかどうか。
3着として次が見込めるのかどうか。そこが重要。
それには何が大事か。
・・・レースを見る以外何もないよ。
だから切り捨てられるんだよ。前走好走した馬を。
3着しかデータが無いから拾っちゃうんだろ?
上位者はレースを覚えていて、
「ああ、あのバテて下がっての3着か。こいつはまた同じ距離に
出てくるとは陣営は何を??1ハロン長いから来ない。消し!」
こういう感じだよな。
それで走られれば、前走だけバテたのだと思うだけ。
陣営は間違ってなく適距離だったのだと記憶を書き換えるだけ。
良く反省を皆さんするようだけど、私は一切しない。
反省したら二度と繰り返してはいけない。
私は競馬においてそんなことは出来ない。
だって外れて当たり前のお遊びだから。
なので反省して反省を活かせず繰り返してばかりいる人は
もはや死んでしまえよって話だよ!?いい大人が!って。
これが命の話は過激だから、そこのことではないにしても、
競馬から死んでしまえ・・・馬券なんか買うんじゃねぇよ!
そういうことになるんだよ。
だから反省なんかする必要はないっての。
反省しても改善できないんだから。どうせ。
私は当てて鼻高々か、外れてがっかりするだけ。
でも中級者ぐらいまでは反省とは違うと思いつつ
その行為が意味があると思うのは、
例えば降級馬を無視してしまったとすれば、
クラス再編成時期後は意識すべしと思うし、
馬場が重いのに上がりの最速時計重視でチョイスしてしまったとか
重だから重に見合ったデータで考えないといけなかったと
気づかされたなどの【学習】になったということは
身になると思うので、そういう意味での外れた回顧はいいと思う。
そうではないただの外れたことを脈絡もなく次は当てるなどの
意味なき反省は芯から滑稽だとしか言えない。
私にこんな考えを植え付けてくれたのが
数々の予想家たちであり、特に影響を与えたのが
この清水成駿という男だった。
なので私の予想スタンスや、競馬における考え方は
少なからず清水成駿で一部構成されている。
そう言っても過言ではない。
成駿が儲けではなく未来予想を楽しんでいるだけとは
一度たりとも言っていたことはないが、
予想家が予想したとおりに全て馬券を買っていることはなく
だとしたら、あの孤高の◎も未来予想を楽しんでいる
それだからこそ打てるのではないかとも感じていた。
何故なら少なからず金を賭けるなら回収したい。
最低でも元。とにかく元以上を。
そのあえてこう言うが、邪念が入ると弱気になる。
弱気になれば本命サイドにググッと寄っていく。
だから闇雲に人気馬ばかりを買ってしまう。
でももし買わなかったら。
・・・馬鹿馬鹿しいから予想なんかしないが、
でもプロの予想家は予想が仕事。
それを上げて金が貰える。
ならば攻めたこともできるっていうもの。
だから穴馬に可能性を感じたら光を当てて持ち上げられるのだと。
私も昔は1レースに最低でも5000円使ってた。
枠連しかない時代に5頭の枠連BOXで。
それが1点1000円から500円にし、500円を100円にし、
点数も多いときは12点や36点など3連馬券導入後はあったが
馬連の当たりは同着以外は1点のみ。3連複も3連単も同様。
フルゲート18頭なら馬連が153点。3連複816点。3連単4896点。
それぞれそのうち基本的に当たるのは1点しかないのだぜ!?
当てても点数を買えば買うほど当てた1点以外は外れなんだぜ?!
その外れという金を捨ててるんだぜ!?!??勿体ないじゃん。
だったら当たりの1点だけ買えばいいんだよ。
そう思って普段買う種類のものを外れは外れとして諦めて
狙いの本線1点勝負に変えた。
だから過去なら買ってた他の組み合わせで決まることが
圧倒的多数で、印を間違えたと悔やむばかり。
しかしそれぞれ1点ずつの300円使ってるだけなので傷は浅い。
しかも昔は1つ当てれば3レース分の負けの補てんだったが、
今は36レース1日すべて買っても、1000円程度を5つ当てれば元。
主に馬連1点のみか、馬連と3連複1点ずつの2点ばかりで、
メインなど時折3点買ってる程度なので。
ということでなかなかかすってばかりで当たらないけど
1日少なからず坊主はほぼなく負けても70%とか回収してる
その中でも中穴や万券も取るんだからいい感じ。
ずっと黒字よ。
黒にするのはとにかく回収しないとと思ってたらダメ。
負けることが大前提なんだから買うほどに傷が広がる。
何点も買わないことがベストだともう悟ったよ。
もちろんそんな絞り込んでいてそれなりに当てないとならないけど。
そんなところまで成駿師匠に引っ張られた。
しかし師匠ほどの穴馬を見つけられない。
こんな馬を?!と思って師匠が外した時はうれしかった。
師匠がいいと思った馬は来ないと思った自分の勝利だと。
逆に来られた時は、さすがは師匠だ。来ないと思ったと。
素直にその唯一尊敬した予想力に脱帽するだけ。
そんな感じで晩年は清水成駿の予想を
主にGIで競馬ラボなどで見て自分との結果を楽しんでいた。
そんなあの人が死んだんだよ。
顔も結構整っていたイケメンだと思ってたけどね。
でも1馬を退社したからただの人なの!?!??
競走馬が死んだら競馬中継の各局合間合間に言うじゃんね。
冒頭の時もあるけどそのニュースを。
なのになんで清水成駿さんが亡くなりましたってやらないんだ?!
あの人競馬界に多大なる迷惑や損害でも与えたの??
解説の契約してたのに、急に文豪になるってやめたから
損害を被ったとか!????それしか想像がつかん…。
後藤騎手が自殺したときにあんなに特集したのに、
なんであの人をやらないんだろう?
一番レース見解が読めて、固いものは固く、荒れるものは荒れて
一番当ててきた人だと思うのに…。
何か亡くなったことの無念さ以上に、
そんな競馬番組テレビラジオ各局の扱いのなさに
凄まじい無念を感じてしまうのは私だけなんだろうか?
見た目も予想もカッコよかった清水成駿師匠安らかに。合掌。