【半休中】Beyond talk to oneself

子どもや日常、スポーツ回顧、時事の疑問に世の声の1人として触れていきます。競馬予想はあくまで履歴と仲間向けです。

【実話】皐月賞で見て悟った出来事

2008年02月14日 20時37分59秒 | Horse Racing
年頭に少し触れた話を…。


まだビギナーの頃、皐月賞当日の中山競馬場の正門に一番近い売り場で
ホームレスのような出で立ちの小柄な55~65歳ぐらいの男が
市松模様の風呂敷包みを持って隣の列の4人ほど前に並んでいた。
否が応でも目立つのでずっと見ていた。

一緒に行った部長がこう言った。
「ぜっとし、いくら競馬に負けてもああはなりたくないな」
私も頷いていた。
だって多分風呂敷の中はおにぎりでも握ってきたものが入ってるんだ。
私らは競馬場で定番のカツ丼を食う予定でそんなものは持ってきてない。
だから「飯代をケチってまで100円単位で馬券を買うんだ…」と
そこが100円単位の売り場だったから想像して見下げていた。
以下は当日の出走枠順。馬連すらない多頭数の時代。



そのオヤジの番になると、それまで言葉一つ発せず静かに黙っていたが
想像していたしゃがれた小声ではなく、いきなりデカイ声で周りが驚いた。
「皐月賞!3-4!これ全部!」
弁当と思われた風呂敷の中身は札束だった。
周りがいっせいに「おぉ~~~!!!」と驚嘆の声を上げた。

でもどっちにしろ見下げるのには変わりなかった。
100円単位で少し買うのだろうと思い込んだのは間違いで失礼だったが
こんなクソボロな格好しているなら、多分1000万ほどあったようなので
(一部帯なしの束もあったが、他の帯付束の山だと最低でも600万以上あった)
その金で普通まずは綺麗な作業服(の様なものを着ていたから)買うよ。
その余りの999万で馬券買うよ。…いや、そんな買わないよ。フツー。
だからそう言う部分ではああはなりたく無いというのに変わりなかった。

1番人気はミホシンザンで枠は5枠。3-4だから親父はこれは買ってない。
3枠はサクラサニーオーとスダホークが居て、4枠だとスクラムダイナがいる。
「なるほど狙いはそこか…」その場に居る誰もが思った。
「3-4はミホ絡みで無いので外したな…」と思ったが、自信ありげな1点買いが、
「俺が間違ってんのか!?だって凄い自信だもんな?!」と一瞬怯んだほど。

その結果はこうなった。



やはり馬鹿を見たのはそのオヤジだった。
しかも皮肉にも2着に4枠スクラムダイナ。3着に3枠サクラサニーオー。
ミホシンザンが来なければこのオヤジは3-4を1000万取って居たのだ。
そのときに・・・
競馬に人生賭けちゃいかんな
そうしみじみ思ったのだった。

初めて本気で競馬なんてのめりこんだり生活賭けたら終わりだと悟った。
だからこの親父まで極端でなくとも1500円の配当に10000円買って当たって
15万になって喜ぶようなことでは人生が終わると判ったのだ。
だから私は100円単位でちまちましか遊ばない。
総合的に競馬はハイリスクローリターンだ。リスクヘッジができて上手に遊べる。
1500円の配当を1000円当てて15000円でも、100円当てて1500円でも
10000円賭ける1/10や1/100でずっと行えば同じように同じだけ遊べる。
それを金に目が眩んで高額投資するのでいつか破綻するのだ。
この親父は実在したが、警告的に私に教えに現れた何か存在しない
架空の人物だった気がしてならない。

…結局今日も大作になってしまった…。
だって打ったプログラムが正常に表示されないんだもん…。
最初からHTMLエディタでやればよかった…。
表示がおかしいからと最後にそっちにしたけど、
手打ちしたソースがそのまま反映されず、もう一度ヤル気にはなれなかったよ…。
だからメンドイのでキャプチャして画像貼ったよ。
プレビューではこのように見えているのに、投稿すると崩れちゃうんだもん…。
初歩のHTMLタグ程度しか知らないのよね…。┐('~`;)┌ トホホ

【追記】
手間取って書きそびれてしまったが、この年ミホシンザンは
この皐月賞を勝ち、後に菊花賞も勝つこととなる。
ダービーはシリウスシンボリが優勝で、ミホは負けたのかというと違う。
出走してない。
程度は軽いものだったがミホシンザンは骨折して登録できなかったのだ。
きっとこの親父の呪いだと確実に思った。あの場にいた多くが思っただろう。
しかもこの年に三冠が出れば、過去に書いた三冠馬と阪神の話にあるように
翌年のメジロラモーヌまで含めて未曾有の4年連続三冠馬出現だったのだから、
この先多分ありえないだろう大記録も潰したので、
呪い殺されなかったにせよ、あの親父の呪いは大記録を潰したのだった。

そんな言いがかりや思い込みでしかないのだが、
もはや呪いとしか思えない85年のクラシック戦線だった。

あの親父はその後どうなったのかは誰も知らない。

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