iPhoneのデザイン
時代を代表する提案型のデザインで、新しい価値観を作り上げた すばらしいデザインである。
このすばらしいデザインの製品を私はこんなことをして使っています。
そう、ケースに入れて使っているのです。
私は、デザイナー仲間から、iPhoneをケースに入れたりするのは、駄目だ。信じられない。
といわれている。
先日、工業デザイナー時代の先輩と飲んだときも、「お前なんだそのケースはw」と叱責されました。
このケースが残念なデザインであることは承知している。
なにせ、変なグラデーションである。
しかし、ここで結論から言うと、このように、
「いいデザインの製品は、そのまま使うべきだ」的な考え方は
工業デザイナーの勘違いである
工業デザインは「量産」を前提にしている
この時点で、所有者すべての人を満足させることは「絶対に出来ない」のである。
つまり、iPhoneの所有者は、それぞれ何かをあきらめているのである。
様々なケースやデコレーションアイテムが売られている。
これは、「そのまま使うのには問題がある」と考える人が存在する事を客観的に証明しているのである。
壊れないようにするために作られたケースを選ぶ人にとって、iPhoneは壊れやすいプアーな製品だと思われているのである。
さて、ではなぜ工業デザイナーはこのような勘違いをしてしまうのであろうか?
理由は単純である。
工業デザイナーは、量産前提の教育を受けている。そのため量産のために形をまとめ上げる事が正しいと思い込んでいるのです。
私の娘MはiPhoneにピンク色のケースを付けている。
理由はかわいくするためだそうだ
知り合いのJM君はラバー製のカバーをしている
理由は、滑って落とさないように、そして壊れないようにだそうだ
私は、お財布ケータイ機能を持たせるために、びっくりするようなカラーリングのケースをつけている。
ちなみに、わが社の若い女子や娘Mには、裸のiPhoneより、そのほうがいい。といわれている。
工業デザインは、1920年代のアメリカで生まれました。
レイモンド・ローウィらの活動によりデザインの優劣が製品の売り上げさえ左右すると認識された事で一般化しました。
工業デザインに、大量生産前提の考え方を変える時代が迫っている?
とは、言いながらiPhoneはすばらしいデザインです。 本当に
駄目なケースを使うのには理由があるんです・・・
時代を代表する提案型のデザインで、新しい価値観を作り上げた すばらしいデザインである。
このすばらしいデザインの製品を私はこんなことをして使っています。
そう、ケースに入れて使っているのです。
私は、デザイナー仲間から、iPhoneをケースに入れたりするのは、駄目だ。信じられない。
といわれている。
先日、工業デザイナー時代の先輩と飲んだときも、「お前なんだそのケースはw」と叱責されました。
このケースが残念なデザインであることは承知している。
なにせ、変なグラデーションである。
しかし、ここで結論から言うと、このように、
「いいデザインの製品は、そのまま使うべきだ」的な考え方は
工業デザイナーの勘違いである
工業デザインは「量産」を前提にしている
この時点で、所有者すべての人を満足させることは「絶対に出来ない」のである。
つまり、iPhoneの所有者は、それぞれ何かをあきらめているのである。
様々なケースやデコレーションアイテムが売られている。
これは、「そのまま使うのには問題がある」と考える人が存在する事を客観的に証明しているのである。
壊れないようにするために作られたケースを選ぶ人にとって、iPhoneは壊れやすいプアーな製品だと思われているのである。
さて、ではなぜ工業デザイナーはこのような勘違いをしてしまうのであろうか?
理由は単純である。
工業デザイナーは、量産前提の教育を受けている。そのため量産のために形をまとめ上げる事が正しいと思い込んでいるのです。
私の娘MはiPhoneにピンク色のケースを付けている。
理由はかわいくするためだそうだ
知り合いのJM君はラバー製のカバーをしている
理由は、滑って落とさないように、そして壊れないようにだそうだ
私は、お財布ケータイ機能を持たせるために、びっくりするようなカラーリングのケースをつけている。
ちなみに、わが社の若い女子や娘Mには、裸のiPhoneより、そのほうがいい。といわれている。
工業デザインは、1920年代のアメリカで生まれました。
レイモンド・ローウィらの活動によりデザインの優劣が製品の売り上げさえ左右すると認識された事で一般化しました。
工業デザインに、大量生産前提の考え方を変える時代が迫っている?
とは、言いながらiPhoneはすばらしいデザインです。 本当に
駄目なケースを使うのには理由があるんです・・・
まず工業製品は量産品ゆえに所有者すべてを満足させることができないというのは、ある部分では正しいが必ずしもそうであるとは言いきれない。
例えば「色や質感が気に入らなくてケースをつける人」はなぜ数多くあるスマホの中からiPhoneを選択する必要があったのかが疑問だ。
そもそもジョブズは工業製品にとって基本中の基本である豊富なカラーバリエーションやオプション用品の販売に強く反対した。売り上げよりもプライドを優先させる姿勢からも伺えるようにAppleの工業製品はもはや工芸の域に達していると言える。つまりユーザー側のつまらない要望をAppleの製品に求めるのはお門違いも甚だしいということだ。これを「何かをあきらめている」と言うのであれば、あきらめなくてもいい製品を探すべきであり、明らかにユーザーの製品選択ミスまたは美意識の欠如である。
ダサい格好の人がルイヴィトンのバッグにダサいストラップを付けて歩いているようだと言えばわかりやすいだろう。
たまに「みんなiPhoneを使ってるからケースで個性を出す」とか言っちゃってる人がいるが、ケースを付けてわかるのはその人の趣味だけであり、個性なんてものではない。
次に耐久性であるが、iPhone3~6をケースを付けずに使用していて一度も画面を割ったことのない私にとっては取るに足らない問題である。
仮に壊れたとしても修理に出せば済む。費用が気になるのであれば純正または同等のパーツを入手し自分で修理すれば良い。
iPhoneのみならず、もっとも傷ついたり壊れるリスクの高い機械であるスマートホンにとって、壊れないようにするよりもその後のケアを充実させるべきだと私は考える。アメリカでは既に月額で1年毎に新品のiPhoneと交換できるプランが発売された。
ころんで怪我をしてもいいように先に包帯を巻いておく、みたいななんとも滑稽な行いだということに気づいてもらえただろうか。
最後に機能面であるが、iPhoneで使えるAppleの決済システム「Apple Pay」があるが日本ではまだ使用できない状態なので、その点については確かに惜しい。
しかし、利権関係が心配だが、世界的に見ても利用可能率は徐々に増えてきているので、アジア最大のiPhoneシェアがある日本においても利用開始する日は近いのではなかろうか。
総括、やはり私はケースをつける人を「ああ、プライドとかポリシーとかないぺらぺらの人だな」と思ってしまう。まあ、そんなことなんて人の自由だから好きにすればいいとも思っている。
しかし、貫いたアイデンティティを持たない人が工業デザイナーを馬鹿にするようなブログをポストしていたのでちょっと関わってみた。
以上「iPhoneにケースをつけない美学」