雑記zaki

日々の雑記

秩序がなければ逸脱もない、現代思想入門part2

2022-04-14 21:07:00 | 日記


分かっていたことなのに、改めて説明されると腑に落ちるということがあります。
僕は現代思想入門の最初のところにあるような秩序と逸脱の部分がとても気に入りました。

仮のものであってもそこにある種の同一性を持たせること、しかしそれと同時にそれが仮のものであると了承していること。

僕はどうしても同一性に対する一種の拒否感というか、信用ならないという考えがあります。
だからこそ、神へ憧れ、仏教に痛烈に、まさに痛烈に共感してしまうのです。
しかし、仮のものは仮のものにすぎないが必要であることはなんとなくは分かっていました。ですが、所詮仮のものではないかというある種の軽薄な考えが強かったと思います。
僕の中の問題点として、
1.そもそも同一性に対する疑念がある(簡単に言えば絶対的な何かしらの基準みたいなものを信じられない)
2.にも関わらずそれに対する憧れが強い(これさえやっとけば安心みたいな、ある種の秩序)
3.さらに仮固定した何かしらの基準に対しての熱量が弱い(どうせ仮のものだからどっちでもいいやと思いがち)

こんなものが浮き彫りになりました。ここまで僕自身の具体的なことは何も言っていません。極めて抽象的な書き方をしました。
これは到達できないXの周りを回っていると本書ではたぶん表現されているのだろうが、僕だってそれは分かっていたはずだ。しかし、やはり絶対に到達できない基準を探して何かにしがみつこうとしていた自分がいたのである。

この本で脱構築という考え方を学んだ(もちろんこの本で紹介する通りの知識しかないけれど)おかげで、バランスの取れた思考がやっとできるようになった気がする。

もし皆さんが何かに困っていたり考えて煮詰まっていることがあったりしたらこの本は役に立つかもしれない。

例えばですが、絶対にこれが正しいと思っているような事柄、あるいはこれは確実に間違っていると思う事柄があるとしたら、あえてその逆のものを考えてみる。
そして逆を考えることによって絶対に正しいがゆらぐ
その揺らぎを歩んでいこうではないかと。あんがいその揺らぎが安らぎであったりするのです。

いやーすんごい本を読んでしまった:現代思想入門

2022-04-11 21:21:00 | 日記


まだ全体理解したわけではないが、良い本。ここ数年で読んだ中でもしかしたら一番良い本だったかもしれない。
著者は後書きで
これは青春の総括であり、憧れへの終幕
と書いているが、なるほどと思う。

詳しいことはもう少しまとまったら書きたいと思うのだが、どんな人が読んだらいいのかと言うと、興味を持った人全てである。
僕は本なんか好きな人が読めば良いと思うし、この本いいよなんて勧めることはあまりないのだが、それでもこの本は良い。
帯には、人生が変わる本とあるが、人生「を」「変える」本ではない。
これを読めば人生を変えられるんだ!とかそういうことではないのである。
僕の中で、大いに思考の変化をもたらした本。

この本の中で仮固定という話が出てくるのだが、とても重要だと思う。勉強の哲学でもたぶん書いてたのかな、読んだ気がするけど。
言ってみりゃ、ある目的を達成しようと思っても根拠もないし、達成したってその達成の満足は一生続くもんじゃない。
だからって目的を持って生きることは間違いなのかというとそうではない。これが人生の目的だと完全に固定してしまうのではなく、あれもこれもあくまで仮で達成したらまた別の仮を作る。そうやって落胆と満足を繰り返しながら色々と根を伸ばしていく。これがわたし!ではなくあれもこれもそっちもわたしという生き方。
二項対立ではなく、秩序と逸脱をバランスよく組み合わせる。
AがプラスでBがマイナスだとしたらあえてBを見直すことによってAだけを即肯定して絶対視しない。しかし、だからといってAを正しくないとし、実はBが正しいのだと言うだけではない。あくまでバランスの問題。
そうやって、どっちかが正しいどっちかが間違いというようなことに対して間違いの方を取り上げてみて少しバランスを取ってみる。そうすることで、もっとバランスの取れた思考になる。
これはどっちもどっちとは違う(本書でもそのことには触れている)

また再読して改めて書こうと思う。

現代思想入門(千葉雅也著)に思いがけずタスクシュートのヒントがあった

2022-04-10 19:01:00 | 日記
ヒント、というかもしかしたらタスクシュートと相反する考えだと怒られるかもしれないけど。
でも、僕はタスクシュートにおけるストレスの問題を解消できるのではないかと思う。
僕らが物事に取り組む時にもっともハードルになる考えが実は、今からこれをやると認識することじゃないだろうか。
今からこれをやると思うと急に重たくなってくる。
これから読書をするぞと思ってタスクシュートに記録を始めるとなんだか重い。
逆に我々が最も楽に何かを成す時というのは、いつのまにかやっているという状態ではないだろうか。
これはタスクシュート的には許せない話かもしれない。
タスクシュートによって始まり(と終わり)を強く意識してしまうことによってかえって物事が重くなってしまう。
とりあえず机に座ってなんやかんやでしてるうちに、さて読むかと本に手が伸び、読み始める。ここにストレスは存在しない。
ここにタスクシュートが入ると、さて読むかとなった時に記録を始める。そこで一旦読むぞと意識化されてしまう。

我々の行動は確かに、始まりと終わりがある。
タスクシュートはその記録を明確にする。
しかし、もっといつやっていつ終わるかをぼやかしてもいいんじゃないかと(意識の上では)
そういうヒントをもらった。
つまり、色々もっと流れの中で自然に移り変わり処理していけばよくて、その移り変わりの流れをもっとぼやっと記録する。自分の行動を逐一監視して、今何をやっているから脱線しないようにとか、今やってることから何か別のことを始めるという時に、さぁこれを終わらせて次はこれやるぞと意識せず、ゆるく次に移っていく。始まりを意識しすぎない。気づいたらやっているという状態を保つ。

まだ読んでる途中だけど、素晴らしい示唆が得られた。勉強の哲学も読んだけど面白くてこの人好きです。

自分がどれだけグロテスクな発言をしているかわからない、公共の場には相応しくないという言葉について(月曜日のたわわ問題に寄せて)

2022-04-06 14:17:00 | 日記
この件に関して、オタクの側にも「ゾーニングした方がいい」とか「公共の場には相応しくないからやめた方がいい」みたいな意見があり、それは一見すると正しいように思えて、表現の自由を主張するよりも受け入れられやすいようです。
いわば、隠れてコソコソすれば良いという意見です。

これには同意する一般人も多いと思います。少なくとも表現の自由を掲げるよりもウケが良さそうな気はします。

しかし、これに同意する人もそのような趣旨の発言をする人も自分がどれだけ恐ろしい思想をしているのか理解していないと思います。

つまり彼らの言っていることはこういうことです

「公共の場にふさわしい女性とふさわしくない女性が存在する」

ということです。
彼らは公共の場に正しい女性とそうでない女性がいると差別したうえで、今回の場合だと巨乳の女性は公共の場には相応しくなく、公共の場に出てくるべきではないと主張しているのです

しかし彼らにはおそらく、そんなグロテスクな思考をしている自覚はないでしょう。自分は良識派で配慮ができる人間だと思ってるに違いありません。

常々ゾーニングなる言葉が一部のオタクの間で受け入れられていることには大変な危機感を覚えます。
そもそも、ゾーニングなんて簡単に言うけれど見ていいものと見ちゃいけないものの峻別は誰がするんですか?
それを決める側が都合良くコントロールできることになっちゃいませんか?

我々が目指すべきなのは、不快なものを不快であると排除する社会ではなく
各々が不快なものを許容する社会です。

ticktickを更新するか否か、久々にタスクシュートやってる人にしか分からない記事です

2022-04-04 18:53:00 | 日記
最近たすくまをサボりがちなのでまた新たに始めています。
たすくまを新たに始める時、リピートタスクのアーカイブが役に立ちます。
放置したリピートタスクは削除せずアーカイブしておくことをおすすめします。
そうすればいつでも呼び出せるので。また新たにリピートタスクを生み出す必要がない。

何回も中途半端にやったりやらなかったりの僕ですが、たすくまこそが真髄であるとは思っております。
これもまた他力本願、絶対他力と通じる部分があると思う。
あくまで、任せる。

使い方は試行錯誤中ですが
セクションを無くすことで、いつでもなんでも出来そうな感じがする反面、毎回そのセクションで動けるわけでも無いので難しいところです。
ただ、昔2時間区切りのセクションで動いていた時も上手くいったという経験もあるし、逆にセクションを一切無くしてただずらっと並べただけのたすくまもうまくいったことがあります。
一長一短はあると思います。
あるいはざっくばらんに午前午後だけのセクションしか使ってない人もいるだろうし。

2時間区切りのセクションの良いところは扱いやすいということです。
その2時間に出来ることだけを考えれば良いからです。これが何時まででもやっていいとなるといつまででもやってしまいます。
もちろんたすくまには全てのタスクを終えると何時になるよと、所要時間の合計が示されているのでそれでどうにかできる人もいると思いますが。
今このブログも予定所要時間をオーバーして書いています笑
たすくま原理主義でいっちょやってみますかねぇ。。。
Evernoteを誘惑に負けて有料1年買ってしまったので使うとしたらこいつにしようと思う。

思うに、いかに月間、週間目標を分割するかよりもタスクに取り組む前に、そのタスクの終わりの定義がしっかりしていないとダラダラ続いてしまうのだなと反省。
英語の学習とかもそうですが、とかく終わりの見えないものは永遠とぐるぐるやってしまいそうになります。終わりの定義を明らかにして、それに向かってやって記録を取ればいつに終わるかなんて月間目標や週間目標立てるまでもなくわかります。終わりが決まっておらず、今どれくらい出来るのかが分かっていないことが、一番問題だったのだ、とこの記事を書いていて思いました。いや、やはりブログを書くってのは良いですね。

また少し面白い本を買ってしまいました。
タイトルにグッと引かれて買ったのですが、読み終わり次第、それでブログを書こうと思います。