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日々の雑記

社会の漂白化をどうするか、性交同意年齢引き上げによせて。

2022-11-03 17:59:00 | 日記
久々の記事なります。急に性的な記事で申し訳ないのですが。

たまたまアベプラニュースを見ていたら性交同意年齢の話題であった。
僕は同意年齢の引き上げには賛成ではあるものの試案には賛成しない。

どこで線を引くか?というのは、はっきり言うと科学的な根拠などはない。それは国毎さまざまな年齢が設定されているのを見れば明らかである。
しかし、あえてどこかで線を引くとしたら義務教育修了かどうかではないか、と思う。
つまり中学卒業と同時に性の自己決定が容認されるということである。ただし、さらに条件を加えると18歳(成人)になるまでは金銭のやり取りが伴うような(パパ活など)行為は禁止しても良いだろうと思う。
つまり二段階にわけて設定するわけだ。中学卒業と同時に誰とどうセックスしようが構わない、しかし金銭のやり取りはNGであるということである。この点は少し難しくてじゃあ飯を奢るのはどうなんだ、iPadやiPhoneあげる代わりにはいいのかなど議論の余地はある。
なお、青少年保護育成条例は全く考慮していない。そもあんなものはあるのが人権侵害に等しい。
もしバランスを取るのなら青少年保護育成条例の廃止プラス性交同意年齢を中学卒業まで引き上げるのが良いだろうと考える。
そも、人は年齢で誰かを好きになったりするものではない。何歳が何歳を好きになっても構わない。同い年なら傷つかないとも限らない。だから5歳要件など全くの出鱈目でしかない。

保護といえば聞こえは良いが実際のところそれは権利を奪うことであるのだ。保護しようと思えば、権利は剥奪される。
最近では統一教会の性教育が歪だと批判されているが性交同意年齢や青少年保護育成条例に賛成しているのが、頓珍漢な話なのである。
純潔教育ではなく必要なのは性教育である。
させないではなく、適切にしても良いようにすることである。
判断力がないから取り上げるのではなく、判断力をつける教育をするのが必要なのである。
被害者になることを教えるのではなく、傷ついても立ち上がれるようにする力をつけるべきだ。
もしかしたら、誰かとセックスして傷つくこともあるかもしれない、よかったなと思うこともあるかもしれない。
それで傷ついたから、じゃあ被害者ですあなたは判断力が無いのです、その権利は没収です。みたいな短絡的なことをやっていると我々全員が被害者になることになる。
思春期はみんな何かで傷つく。色んなことで傷つくが、セックスで傷つくのだけは絶対にダメなのだと被害者なのだ搾取なのだと、若者に詰め寄る姿は滑稽である。

セックスを過剰に神聖視するその姿はまさに歪。
そのうちセックスは儀式となり、滅多なことではできなくなり、行政に届出をして日時を整えてからするようになるかもしれない。
まさかと思うくらいバカみたいな話ではあるが、本当にそうならないとはいえないのである。
しかし、このようなことは表立って言う人はいない。なぜならこんなことを言えばロリコンだのなんだのと批判されるからである。

青少年の立場に立って考えてみれば君たちおじさんおばさんはそういう道徳によって若者からセックスの権利を奪っても痛くも痒くも無いけど当事者は違うということだ。

僕は自分が男子高校生だったら?という立場で常に考えている。そこで、例えば僕が15歳で25歳の女性を好きになったとして年齢が10歳差であることを理由にセックスは罪であるなどと言われたら全く承服しかねるのである。何の権限があってそのようなことを言われねばならないのかわからない。判断力がないなどと言われたらバカにされている気さえするだろう。
たとえそれによって傷ついたとして、それはそれで経験なのであって、立ち上がれば良いのだ。

もちろん今以上の性教育は必要と考える。小中で性教育を行い、自主性を重んずるのが自由主義者と言えると思う。
また、親や保護監督者などとの性行為は別途で対策が必要と考える。そこは一般のものと切り離して考える必要があるだろう。それがあるからといって一般の自由を制限するのはやはりダメだ。

長々と書きましたが、意外とスッキリしました。



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