こういうことを書いても読んでくれる人がいるんだと思うと結果楽になります、どうもありがとう。
戦争で世の中は割れていますが、僕は実のところあまりニュースも追いかけていません。無関心だと批判されるかもしれないですが。
最近になって、未来予想や想定というのは結局瞬間の状態を考えるべきなのではないかと思うようになりました。
僕はよく受験勉強に喩えてしまうのですが、例えば何月に何をやって、試験までにこれを終わらせてという想定というのは、誰でもやると思います。しかし、その通りに全てできた人はいないだろうし、できなくても受かった人が大半だと思います。
細かい想定をすればするほど、その通りに動く可能性が無くなる。試験室に何時について試験を受けてなんていうのも、例えば大雪や電車が止まれば否応なしに試験時間はずれたりする。
じゃあ目指すべきはなんなのかということですが。僕が思うに、瞬間だと思うのです。その瞬間の状況の想定です。
試験を受けるということは決まってるわけです。確実なのはそこです。(なんらかの形で受けられなかったとしたらそれはもうどうにもなりません)
で、その時の自分の状態を想定する。問題を目にして、ペンを持った時どういう状態であるのが自分にとって理想的な状態かということです。
そして、普段からその状態を意識する。
試験を受ける自分の状態というのはその時持ってる知識を総動員して、目の前の問題に自分の実力を全て反映させた解答を書くということである。これが抽象度の高い正しい目標設定である。
もしかしたら、本番までに想定していたことができなかったかもしれないし、コロナに罹って勉強がうまくいかなかったかもしれない。しかし、それでも先に立てた目標は達成されうる。その瞬間持っている知識が対象だからである。
スポーツではメンタルリハーサルなどとも呼ばれているからそちらの方がわかりやすいかもしれない。
陸上ならどのように手を動かし足を上げゴールテープを切るのかこれというのはやはり、確定しているはずです。
しかし、ここで金メダルを取って賞賛を浴びている自分みたいなものは想定する必要が無いと思う。あくまで、競技においてパフォーマンスを発揮することが目的なのであって、その結果については問わないという方が僕はいいと思う。
あくまで、絶対に起きる事を中心に置いてその時どんな状態なのかハッキリさせる。結果は問わない。
結果ばかりに目がいくとパフォーマンスが落ちるし、目標が遠く見える。
未来における今と現在における今の繋がりというのは結局状態という形でしか感じられないのではないかと僕は思う。逆にこの状態が分からないと努力が苦痛だし、やっていることの意味が不明確になって辛い。
一年後試験を受ける私と一年後試験実際に試験を受けている私の繋がりが、瞬間の状態として再現されていないといけない。
今ある知識を総動員して解答を書くというのは、来年の今も、今日も出来ることだからだ。
こんなふうに考えてみると今日の状態がまさに来年の状態であるということがなんとなくつかめてきた。
僕は過去も未来もないあるのは今だけだ、今この瞬間を生きようみたいなチープな話をしたわけではありません。僕の話は未来の状態ありかの話です。
未来が存在しないのであれば、別に何もする必要はない。成長する必要もお金稼ぐ必要も何もない。