雑記zaki

日々の雑記

マルチポイントのイヤホンは通知どうなるんだろう

2021-09-30 21:23:00 | 日記
最近bluetoothイヤホンを買おうと思っている。
それで、ノイズキャンセリングとマルチポイント付きのイヤホンを探している。
どっちもってなると価格帯が上がったり、なかなか要求通り(バッテリー等)にもいかないもんで困ってる。
ちなみにマルチポイントとマルチペアリングは違う。マルチポイントはそのままどちらにもつながってる状態で例えばipadとiphoneと繋ぎ、iPhoneで音楽が流れればそれを流し、iPadで流れればiPhoneの音楽を停止してiPadの方を流す。つまりいちいち一旦iPhoneとのペアリングを解除したiPadにつなぎ直すという手間がない。
マルチペアリングだと、どちらにも登録はできるが解除からの繋ぎ直しが必要となる。

色々調べて安くていいのはXiaomiのbuds pro
安いしマルチポイントだし。ただイヤホン単体の時間が短い
高いのだとjabraかなぁ
正直音質なんか期待してないんで、完全に実用性だけを気にしている。

そんなに安い買い物でもないため慎重に決めたい。
正直air pods  Proでもいいかなとは思うんですけど、Appleのイヤホンに良いイメージがないので笑

親ガチャ論争に釘を刺す

2021-09-13 23:56:00 | 日記
まず親ガチャなどと言う言葉で思考停止しているところに釘をさしておく。
これは親ガチャ批判者にも親ガチャ失敗と嘆く人にも同時にだが。
親ガチャが失敗したということはその親を産んだ親にまで及ぶ。
つまりそんな親を産んだ奴が悪いとなる。従って親も親ガチャ失敗者である。
続いてそんな親を産んだ親を産んだ親が悪いとなる。
つまり親の親の親ガチャも失敗である。
これを無限に続けていけば結局責任の所在はどこになる?ネアンデルタール人か、ホモサピエンスか、それとも地球か宇宙か?
バカバカしいと思わないかね。したがって親だけに責任を被せるのは思慮が浅い。責任がないとは言わないが。
全部親のせいでもなければ全く親が関係ないわけでもない。責任は誰かに負わせるものではなく、責任は生まれた我々が負うものである。負うというよりも課せられるのである。
は?そんなこと了承した覚えなどない。と親ガチャ失敗と嘆く人たちは言うでしょう。
しかしそれが人間つーものである。あなたの親も誰かに人生を課せられたわけである。
それを嫌だというのは前にも書いた通り全く理にかなったことではある。しかし、親並びに親の親の親の…と続く人間の責任を独断と非論理によって免責するのである。

それこそが自由への道である。

親ガチャなる言葉があるらしい

2021-09-09 23:12:00 | 日記
僕は当たりかハズレかなど興味はないし考える意味もないが、一つ言えることは大方の人はもし親が選べるなら自分の親を選ぼうとする人は少ないんじゃないかということである。
もし選べればというのは全く無意味な空想ではある。
子は親を選んで生まれてくるという馬鹿げた話があるが、選べるならみんな大富豪の家の息子にでも生まれで美人なお母さんのおっぱいでも吸いながらのらりくらり暮らしたいに決まってるだろうという話である。

そういうわけで親ガチャに外れたというのはほぼ全員そうだと僕は考える。
僕はこの手のことを親のせいにするなとも親のせいにしてもよいとも思わない。
いずれにしてもそれらを背負って生きていくほかない。どこかで覚悟を決めるしかない。
親がもっとこうだったら、愛情があったら、などなど、それは事実なのかもしれない。
これを親のせいにするなと言ってみても、現実虐待を受けた子どもには全く非がないのだから親のせいとしか言いようがないだろう。
しかし、そこで終わってしまっては惜しい。親のせいでどのような状況になったとしても、未来永劫その状況でいなければならないわけじゃない。

親のせいであるにしろないにしろ、それを背負って生きる覚悟が必要である。
それは本人にとってはいわば慈善事業である。
なんのメリットも無いわけだ。いや、もちろん超ハイスペックで生まれればそれが嫌では無いかもしれないが、そうじゃない人がほとんどで大抵の場合嫌なものなのである。
その嫌なものを受け入れつつまぁ仕方ないでいける人と、こんなの絶対嫌だという人といるわけだ。
まぁ嫌だと言っても死ぬ以外には逃れようが無いわけだが。

ここまで書いてきてなんだが、僕は現実ではもう随分前にこの手の話には乗らないことにしている。
それは冒頭に書いたように無駄だからとか意味がないとかではない。
どっちにしろこの私で生きるしかないからだ。
そしてなんやかんやあった人でも生きているというその圧倒的な事実の集積が、存在の肯定そのものなのだと思う。
親ガチャハズレただなんだ言ったってそうは言いながらも生きてきたじゃないかということだ。
僕はそれそのものが貴いことだと思います。