例によって紙の手帳を放置してしまっていたため、1分間日記という以前読んだ本を何気なく読み返して見ると。
目標は具体的な方がいいと書いた次のページにはwant to beという心の状態について書いてあって少し笑ってしまったのだが、これは本当に大切なことだ。心の状態とはかなり抽象的で具体的ではない。
基本的に目標は具体的な方が良いとされているが、世の中の成功法則とは裏腹に具体的であればあるほど叶いにくい。
例えば、美人と付き合いたいという目標とガッキーと付き合いたいという目標(結婚おめでとうございます)では後者の方が遥かに難しい。
美人はこの世にごまんといるからそのうち一人と付き合うことくらいなんとかなりそうであるが、ガッキーただその人以外認めないとなると成功条件は相当厳しいものになるわけだ。
かと言って抽象的にしすぎてなんでもアリになってしまうとそれはそれで幸せかもしれないが、多くの人はそうもいかないというのが本音である。
前にも書いたかもしれないけど、サッカー選手になりたかったのに気がついたらバスケ選手になってたでは困るわけだ。
スポーツで成功する!という目標だったらそれは成功かもしれないが、サッカー選手になりたかったのにバスケ選手になってしまっていたら成功したはいいがこれでよかったのかとなりかねない。無論それでも満足できるという殊勝な人もいるが、そんなできた人間ばかりじゃない。
できれば自分の望んだ具体的な成功が欲しい。というのが普通の人の本音である。
つまりこの抽象と具体がうまく合うように目標をセッティングしていく必要がある。
自分の欲しいものはとても具体的なのに、具体的すぎると叶いづらい。これはとてつもないジレンマでもある。
具体的すぎる目標は結局執着なのだと思う。
want to beという話に戻るなら、結局我々はある状態になりたいのであって、具体的なものはそれを引き出すような今思いつく物に過ぎないということ。
何かを手に入れることによって、楽しさだったり快楽を得た状態になりたいということ。
でも楽しさやその快楽を得る方法って実は無限にあるのに自分が思いつくものが少ないからそれに固執してしまう。
これじゃなきゃ幸せになれないんだと思い込んでしまう。
want to beかつ目標は複数が一つの解決策になるかと思う。
抽象的な状態(自分はどうなっていたいのか)に対して、具体的な目標を複数を持つ。全部叶ってもいいしその中の一つが叶うかもしれない。いずれにしろ求めているものは状態であって具体的な一つ一つではない。
かのように振る舞って脳をうまく騙す感じでしょうか。本当は具体的なものが欲しいのにそうじゃないぜ!幸せになりたいだけなんだ、幸せだったらなんでもいい!とこの矛盾を抱えるような感じ。
なんでもいいならこれでもいいだろうという感じで。
本当はAという具体的なものが欲しいと思いつつAでもBでもCでもいいんだという態度で。どれでもいいならAがいいと思うこと。
中々に抽象的な記事になってしまった。