雑記zaki

日々の雑記

めんどくさいとどう向き合うか

2021-02-28 23:47:00 | 日記
最近出てきたのがめんどくさいという感情である。
これに気がついた時すごく驚いた。昔の自分がなにかをやったりする時に出てくる感情じゃなかった。昔はできるかできないか心配だとか、やって何の意味があるんだろうとか、そういうことが気になって中途半端になっていた気がする。
とにかく怠惰という感情に満たされているというのが今の自分らしい。
やるのが嫌なわけではない、そこまでマイナスの感情はない。また、やって失敗するのも怖くない。ただやるのがひたすらにめんどくさい。
これはよく考えたら悪くないのかも、というか恐れ不安嫌悪を抱いていた時よりも遥かに展望があるように思った。
こっちの方が自分らしいなと今は思うのである。
自分はそこまで行動に対してギラギラと燃えるタイプではない。かといってやることを恐れたり失敗を気にする人じゃなかった。
めんどくさいけどまぁやるかぁくらいの方がきっとうまくいくのだろうな。
そこそこの興味を持って、めんどくさと思いつつもやる。それでよかったんだなと、今になって思う。
不自然にやる気を出したり落ち込んだりは意味が無い。

めんどくさいを超えるのは簡単だが、嫌だ意味がないを超えるのは難しい。
これは勉強してる時にもよく起こることだと思う。何の意味があるんだろうとかやりたくないとか。
そういう時にやっていたのが作業ベースに切り替えるということである。
英語だったら簡単な文章をひたすら音読するとか。数学だったら簡単な計算問題を解くとか。
つまり極度に頭を使わないようなことで、かつ最終的に役には立つようなことである。
やるかやらないかだけのことに切り替えると、そのうち大きなこともできるようになってくる。

たいてい物事をする時のテンションってポジティブなものかネガティブなものかに別れる。
めんどくさいはネガティブ寄りに見えてポジティブなように感じる。

ただ怠惰に流れてしまいがちでもある。
まぁいいやとなってしまう。
だから難しい。やらなくていいわけではない。
都合よく考えてしまう。ここの是正は必要だ。
めんどくさいと思いつつも結局やることが大事。変に盛り上がる必要も心配もせずに。

怠惰との戦いは続く…

タスクシュートに足りないものは

2021-02-27 11:31:00 | 日記
昨日は頭が割れるように痛く、薬を飲んで即寝ました。本当に頭が割れてしまったらどうしようかと。

さて、タスクシュートをやっていたらそれで万事okかというとそんなこともないような気がする。
記録のその先で、とは言うけれど現状を変えたかったからその記録というボトムとどういう人生にするかというトップが必要になってくる。
逆にそれがないんだったら記録をするもしないも現状に対する満足感の違いでしかないと思う。いや、結局のところそれが大事なのだということもわかりますが。
つまり現状がそのまま続いても特段破滅もなくそれなりに幸せに生きていけるという人にはタスクシュートだけで事足りる気がします。
記録したら人生に安心感をもたらすことは確か。

記録というのは取り出すためのものだと昔何かで読んだことがある。
保存という機能にはただそれを置いておくだけではなく取り出すことも含意されているのだと。
ブログも同じことでなぜ書くのかというと自分で後で読むためでもある。

トップを作ってボトムを安定させて引き上げていく、言うなれば積分ですわな∫
多くの現実主義的な方法論はボトム重視でトップダウン式のものは理想論または妄想と言って退けるし、トップダウン系のものは得てしてそのようになりがちだしボトム系の努力を蔑ろにしすぎでもある。
目の前のことだけコツコツとやっていたらいずれすげえことになりましたというのは適切なものが与えられていた場合のみの話である。
海に出てオールを必死に船を操縦していたら運良く綺麗な島に辿り着くみたいなもんである。
いくら必死に漕いでも必ずそうなるとは限らない。
目標地があってそこに向けて漕がねばならない。
逆に目標地だけあって船を漕がず流れに任せていたら着くという可能性も同様に低い。流され流され気がついたらわけのわからんところにいるということの方がほとんど。

したがって理想を持つことと努力は両輪必要という当たり前の話が、努力型の人には理想は高邁な妄想見え、理想型の人には努力が荒唐無稽に見えるということである。

タスクシュートをやりながら、絶えず理想の生活を考えることは必要不可欠に思う。
その理想的な生活から今の生活がどれほど離れているか、どうやって到達するのか、そういう目線が必要になるんだろう。
レビューとはそのためにある。


タスクリストには絶対に行うものだけを入れるという明確な真理

2021-02-26 00:51:00 | 日記
クローズリストとオープンリストという考え方を知った。
タスクシュートの記事を色々と読み漁っていてる。

タスクシュートを知らない人も多いと思うんでググったらすぐわかると思いますがかいつまんでかくと
1分以上かかるものの始まりと終わりを記録する。それをリピートタスクにしていくと大体1日が把握できるという感じです。
リピートタスクにしたものは勝手に明日作られる。
例えば朝起きて顔を洗うから夜寝る前にココアを飲むなどそういうところまで全てである。
それをリピートタスクにすれば明日朝起きた時今日行うことのリストが時系列順に並ぶ。
それをただ上からこなしていくというような感じである。
これが他のタスク管理システムと違うのは予想ではなく現実からスタートするということである。
例えば筋トレ1時間!勉強2時間!みたいなtodoリストを作って、全くできなかった経験は誰しもあると思う。タスクシュートではそういう時間管理の仕方はしない。
筋トレを行う時にその始めと終わりの時間を記録しておくだけである。
そしてどれくらいやるか、どの時間帯がいいか修正していく。

今日読んだ記事の中にタスクリストには必ずやることだけを入れようというのがあった。
朝起きて顔を洗う歯を磨く仕事に行く、トイレに行くなどこれらはやれと言われなくても絶対にすることである。もしこれらがリスト化されていてできないという人はいないだろう。みんな必ずする。
しかし一般で言われているタスクリストなんぞは、こんなことは瑣末なこととして取り扱わない。仕事におけるプロジェクト、勉強、などそういうものをタスクリストにしている。
でも、todoに書くようなことは殆どがやりたくないことなのである。でもやらなきゃいけない。
タスクシュートはその時間を教えてくれる。
つまり毎日の行動パターンを記録し最適化していけば、いつどれくらい時間がとれるか明白になるからである。
いつトイレに行くか、風呂にどれだけ入るか、睡眠時間など、自分が絶対にやることを記録して、その時間を引いた時間が自分の時間である。

しかし問題点もないわけじゃない、自分にとってだけの問題かもしれないですが。

今日はここまでで、明日また書きます。

幸福の探求を読み進めている

2021-02-24 21:48:00 | 日記
ちょうど中盤あたりだが、この本はAmazonでもあまりレビューがない。
いずれ解説記事なんか書いてみたいが、この本は結構な分量があって読み通すのにそれなりの時間がかかる。
その上、中盤が異様に重たい。そう感じるのは、この本のタイトルとは裏腹にマイナス面の感情に多くのページを割いているからである。
幸福の探求といいつつも、欲望や憎しみについても扱っている。
またデータによりがちなところも出てきている。そこは原著者がそもそも高名な研究所で博士号を取られた方だからなのかもしれない。
正直中盤の単なる実験の話などは不要に近い退屈な内容になっている、ほーんそれで?としか言いようがない。
正味な話、15章の幸福の社会学と16章の幸福の実験は科学的側面を出して納得させよう感がすごい。
科学的に証明されること自体素晴らしいことである。しかし、証明されたから信じるのではない。
本当に信じるべきなのは、それを実践してきた人たちそのものである。
坐禅してきた人瞑想してきた人、その人たちの実践そのものを信じるべきである。千年以上行われてきたことを信じる、それで十分。
科学がどうこう実験がどうこうというのは非常にチープな話である。(悪いとは言わないが)
仏教が科学的かどうかなんぞどうでもよい。
釈尊が菩提樹の下で悟ったのは何も科学的に証明されてこれをやればいける!と知っていたからではなかろう。
しっかし、そういう科学的だと言われてしまうと信じてしまうのが現代人の悪いクセでもある。
オウム真理教に向かっていった科学エリートもきっとそんな感じだろう。
自分にとっての大事さは科学的かどうかよりも役に立つかだけである。どんなに理論的に正しかろうと使えなければ意味がないし、どんなに崇高な教えも実践できなければ意味がない。

しかし、よほど仏教的なものに触れていないとこの本は難しい。さっき言ったこととここは矛盾しませんか?と思ったり、それどうやって判断すればいいんですか?と思ってしまいそうである。実際難しいし、この本でもなんの努力もしないで幸せにはならない繰り返し述べられている。


存外いい本だったので少しハマってしまいだいぶ読んでしまいました。
頼んだ玄侑宗久氏の本が届かないので、届くまでは暇つぶしにこれでも読もうかなと。
タイトルのありがちな自己啓発感に対して内容はかなり難しい。実際これを西洋人がまともに読んで本当に理解できるのかは謎である。

後ろの方に様々な瞑想の方法が書かれているが、読者が本当に欲していたのはこっちのメソッドの方なのかもしれないな。
ただ本文に書いてあるようなことを理解無くして瞑想で気持ち良くなったところで何にもならないのは言うまでもない。

治ってきたけど頭痛が治らないのでチベット体操ができない。

某ラグビー選手の裏口入学疑惑を見た

2021-02-23 22:34:00 | 日記
どうなんでしょう。非常に残念ではある。
医学部受験生にとっては腹の立つ話だろう。私学だから昔からあると言う擁護もあるみたいだが。現役の医師でも擁護してる人はいるみたい(おっ裏口か?)
そういう枠を最初から明らかにしておくべきではなかろうかと思う。特別枠と称して設けておくべきだ。
それなら誰も文句は言いわないでしょうに。
僕の中では一気に評価が落ちたこの人は。
医者になれればなんでもいいんだろうか。入ってから頑張れば国試に受かればという擁護の仕方をするなら、全員入れてあげれば良いでは無いですか。入ってから頑張るから入れてくれなんて通らんでしょ。それなら受験生みんな入れて後からふるい落としたらいい。
彼が学んだスポーツマンシップとはなんだったのだろう。

入試は公平で透明であって欲しい。
共通テストはしょぼい内容になっていたし、公平なテストから少し遠くなった感じがしなくも無い。
なんだかこういう差別の方がよっぽど性差別より不愉快なのは僕だけなんですかね。
世間で話題にならず、それどころか祝福ムードなのはちょっといただけない。
ラグビー選手としてすごいのはわかりますがそれとこれとは話が別です。
入試は採点済み答案の返却と解答例の公表、医学部は面接の録画データを返却すべきじゃ無いかなと思います。入試改革はまず、今ある試験を透明にしてからでないと意味がないと思います。

実は今日やたらと頭が痛くてずっと寝ていました。今も痛い。理由は謎です。
薬飲んだのでそろそろ治って欲しいのですが。
ということで今日は短いですが終わります。