雑記zaki

日々の雑記

ノートとtodoとgtdとタスクシュートとキリスト教と

2022-01-14 00:50:00 | 日記
いきなりですけどGTDってうまくいったことないんですよね笑笑
結局収集だけしてあと放置みたいな。
本も買ったけど、全くと言っていいほどうまくいかない。
でもほとんどの人がたぶんそうなんじゃないかと思うんですよ。
よしタスクを書き出すぞ!と言ってまぁ100個くらいタスクができて。
じゃあその100個全部処理できたかってたぶんしないですよね。
あーなんか書き出してスッキリ、とりあえずこれやればいいんだよなとはなるものの。気がつけばリストは見なくなり、そういやこんなの書き出したよなぁ的な。
今のところどうしているのかというと、ticktickにノートを作ってそこに書き出しています。(notionは諦めた)
その中でタスク化できるものをサブタスクを駆使して掘り下げて、確実に実行できるように仕向けています。

僕の今年の抱負が絶対他力なので、何かを無理に試みようという思いは手放すことにしています。
するようになっていることをする。
今の人間はこれが怖い。絶えず何かをしよう、もっと良くなろう、こうすればうまくいくんじゃないかみたいな発想ばかり追いかける。そしてできなくて凹む。
例え間違ったとしたって、その時そう間違う以外の方法がなかったのでありそれがベストだったにすぎない。

そう考えるようになってから僕は、少なくとも過去について悔やむことはかなり減りました。
その時はそれしかしようがなかったんだし、今日もそうするしかなかった。
明日のことは明日また神が全部用意してくれるからそれに任せれば良い。
こんなところで神を持ち出すあたりがなんちゃってキリスト教徒感が出てしまいますね。

晴佐久神父の本を3冊買ってしまいました。
そのうちの一冊。
僕はキリスト教徒の方々が考えるほどリアルにはたぶん神を感じてるということはないのかもしれない。
宗教というと、日本人は嫌悪感を持つ人もいるかもしれないがその辺の自己啓発本というのは所詮宗教のつまみ食いにすぎない。
だから自己啓発本なんて読むくらいなら宗教やれよとか僕は思ってしまうわけです。

キリスト教か仏教かまだ正直決めきれませんが、今の僕はキリスト教に救われている。
晴佐久神父の声がまた声優の石田彰に似ていていいんですよね。
いずれにしろ、信じるも信じないも神が決めるのであって結局僕が「キリスト教は信用ならないな」と思うとしたってそれもまた神の思し召しなわけです笑
そう考えると信じよう信じようと強迫的にならなくていい。信じる時は勝手に信じる。
僕もそうですが、たぶん無宗教の人って全部納得して理解した上で宗教を信じるんだと思ってる人が多いんじゃないかと思います。
聖書を読んでたくさん勉強して、よしキリスト教がわかった、これで信じられる!みたいな。
違うんですよね、信じるってのは理屈を超えていますから。
雷に打たれたような感じなんだと思います(雷に打たれたことはないですが)
もちろん一回打たれたくらいじゃまた疑います。やっぱ神なんかいねーじゃねーか!みたいな感じで。
そういうの繰り返していくうちにリアルになるのだと思います。

なかなか宗教っぽい記事になってしまいました。あまりこういう記事をあげても引かれるのかなと思って何度か没にしましたが、今回はあげてみます。

国公立大はずっと2次試験のみで判定したら良い

2022-01-11 22:00:00 | 日記
コロナで共通テストが受けられない場合、2次試験だけで判定するとのことだ。
これに対し反発もあるが、僕は常々共通テストなど廃止したら良いと思っている。
この先少子化で子どもも増えない。受験生の数は減る一方の時代になぜ統一的なテストが必要なのかわからない。
予め人数を絞ることで手間が減るというのは、ほとんど意味をなさなくなっている。
今足切りのある大学がどれだけあるかと言えばほとんどないのである。
また、受験生は模試を受けているからどこに受かりそうかということは事前にだいたいわかる。
共通テストでいい点取れたから志望校あげちゃうぞとかなかなかできるもんではない。
共通テストを廃止することで質の低い受験生がお遊びで受けに来て雑務(採点含)が増えることもなさそうである。
問題だらけの利権のための共通テストなど廃止し国公立大学、私立大学が各々試験を用意するだけで十分である。
共通テストが目指す学力と試験の実態がズレているのも気になる。
思考力思考力と、少し前たくさん聞いたがセンター試験においても共通テストにおいても思考力などは微塵も使わず、むしろ考えてはいけない、手を止めたらそこで終了。考えずにひたすら処理する能力が重要なのである。
思考力を見たいのなら問題数を減らし、時間を潤沢にするしかない。
ところがそうはしない。なぜそうしないか、そういう問題を作成するのが難しいからだ。平均点が6割に収まるようなテストをお手軽に作ろうと思えば、問題を難しくするのではなく大量に問題を配置して時間的制約をキツくするのがもっとも簡単だ。だからそうしている。
思考力など使っていては時間がなくなり、解答が終わらない。

何もかも問題だらけの共通テストなど、廃棄してしまえばよいのだ。

ふーん、なるほど

2022-01-10 22:48:00 | 日記
イエスと歩め!という本のシリーズがあります。

1〜3まであって2まで読み終えました。
この本はキリスト教徒でない人向けに書かれているので読みやすいです。
この一年はイエスと歩んでみようかと思わせる本です。いや、一生になるのかもしれない。

たすくまをやるにあたって

2022-01-08 21:34:00 | 日記
リピートタスクが腐るということがしばしば起きます。
これはどういう時なのだろうかと考えてみると、基本的には頑張ってやっていることだと思います。
朝起きて運動をするというタスクは今日はできても明日できるかはわかりません。
無論個人的にはしたいですが、やるのが億劫だということは当然起こりうるでしょう。
そうするとやらない日とやる日が出てきてリピートがどんどん腐っていきます。最終的にそれは毎日やりたいことであって毎日実行できることではなくなっていきます。
最初のうちは、結局トイレ風呂睡眠これくらいがリピートにするのが確実かもしれない。
これらのリピートはほぼ腐らない。まさか今日はトイレに入ったけど明日は入らないとか、昨日は寝たけど今日は寝ないという人はいないからだ。
確実に今日も明日もやるものだけをリピートさせ、それ以外のことはその都度意識を張って記録をとる。
リピートが腐ったらさっさとアーカイブをしてら新たにやり直せばよい。
そのままリピートタスクがを放置しておくのはよくないことだ。

たすくま以外のアプリを使うかどうかについて、基本的には使わないに越したことはない。いずれにしろたすくま抜きで何かをするということはないのだから、たすくまだけでできる方が良い。
そして僕は絶えずそれを模索するものの結局notionなどに手を伸ばしてしまうのだった…

タスクシュート(たすくま)極

2022-01-07 19:39:00 | 日記
結局はタスクシュート(たすくま)ということで、いかにこのアプリを極めるかということに焦点を当てて今年はやっていこうと思う。

そして今年の僕のテーマとしては絶対他力というのを一つ掲げておく。たすくまもまさにその一部である。アプリに任せるということだ。
なぜこのようになったのかというと、こうしようああしよう、こうするべきだこうなることが望ましいと言ったような目論見は尽く人生をよくしないと感じたからである。従って僕はあらゆる企図を捨てあらゆるものごとに全面降伏することを誓った。これから先、なんらかの目標のためにあーだこーだ手を替え品を替え苦闘することはやめたということである。
ただしそれは努力を捨てるということではない。
然るべき時に然るべきことをする、それ以上でも以下でもない。
ただし、私を優先させないということである。この私はあれこれと考え色んな手を尽くしてあらゆることを成し遂げようとする。それがうまくいかないと落胆し、うまくいくと喜んで調子に乗る。
しようとしているという状態では、しようと思ったけどできなかった、あるいはしようと思って実際にして徒労感を味わうかの2択になる。
然るべきことを然るべき時にするというのはその時それをする以外に他のことはできないのであって、達成も失敗もない。

キリスト意識を鏡として、という本を読み終えた。買う前にこの本の翻訳者のことを特別調べたわけでもなかったが、後書きの後に経歴が載っていた。この方東大理学部生物学科人類学専攻卒業、同大学院人文系研究科比較文学文化専攻となっている。こういう本の訳者としてはかなり珍しいかも、理系出身の方だし。
この本にメソッドはない。あーしろこーしろと書かれている訳ではない。だが、非常に得るものがあった。特に今の僕には役に立った。
この本はキリスト教はこうである、という紋切り型の本ではないので、一般的な日本人にも普通に読める。ただし、その人がどの程度の精神状態かによってどう読めるかは変わる。従って僕がいい本だと思えても、他人が同じようにいい本だと思えるかどうかは自信がない。

結局去年も、ああしようこうしようと色々と企図し、結果的にできたことは少なかった。それは、僕が表面的な考えに基づいて誤った判断をし続けたからだということだ。
そのこうすればうまくいくに違いない、という思い込みや考えから離れるべきだったのだ。
これはとても怖いことだが。

もう一つ役に立ったのはググって出てきた宮台真司のキリスト教論、断片しか読んでないけどなるほどと思えた。自身がクリスチャンとなった経緯も併せて書いてあったが、僕が疑問とするところを端的についていてよかった。僕自身キリスト教徒になるかどうかはまったくわからない話だが。

キリスト教についての本はこれからもしばしば読んでいこうと思う。
読んでいる途中はもっと早く読むべきだったと思ったが、今は思わない。きっとこのタイミングがベストだったのだろう。