雑記zaki

日々の雑記

現代思想入門(千葉雅也著)に思いがけずタスクシュートのヒントがあった

2022-04-10 19:01:00 | 日記
ヒント、というかもしかしたらタスクシュートと相反する考えだと怒られるかもしれないけど。
でも、僕はタスクシュートにおけるストレスの問題を解消できるのではないかと思う。
僕らが物事に取り組む時にもっともハードルになる考えが実は、今からこれをやると認識することじゃないだろうか。
今からこれをやると思うと急に重たくなってくる。
これから読書をするぞと思ってタスクシュートに記録を始めるとなんだか重い。
逆に我々が最も楽に何かを成す時というのは、いつのまにかやっているという状態ではないだろうか。
これはタスクシュート的には許せない話かもしれない。
タスクシュートによって始まり(と終わり)を強く意識してしまうことによってかえって物事が重くなってしまう。
とりあえず机に座ってなんやかんやでしてるうちに、さて読むかと本に手が伸び、読み始める。ここにストレスは存在しない。
ここにタスクシュートが入ると、さて読むかとなった時に記録を始める。そこで一旦読むぞと意識化されてしまう。

我々の行動は確かに、始まりと終わりがある。
タスクシュートはその記録を明確にする。
しかし、もっといつやっていつ終わるかをぼやかしてもいいんじゃないかと(意識の上では)
そういうヒントをもらった。
つまり、色々もっと流れの中で自然に移り変わり処理していけばよくて、その移り変わりの流れをもっとぼやっと記録する。自分の行動を逐一監視して、今何をやっているから脱線しないようにとか、今やってることから何か別のことを始めるという時に、さぁこれを終わらせて次はこれやるぞと意識せず、ゆるく次に移っていく。始まりを意識しすぎない。気づいたらやっているという状態を保つ。

まだ読んでる途中だけど、素晴らしい示唆が得られた。勉強の哲学も読んだけど面白くてこの人好きです。

自分がどれだけグロテスクな発言をしているかわからない、公共の場には相応しくないという言葉について(月曜日のたわわ問題に寄せて)

2022-04-06 14:17:00 | 日記
この件に関して、オタクの側にも「ゾーニングした方がいい」とか「公共の場には相応しくないからやめた方がいい」みたいな意見があり、それは一見すると正しいように思えて、表現の自由を主張するよりも受け入れられやすいようです。
いわば、隠れてコソコソすれば良いという意見です。

これには同意する一般人も多いと思います。少なくとも表現の自由を掲げるよりもウケが良さそうな気はします。

しかし、これに同意する人もそのような趣旨の発言をする人も自分がどれだけ恐ろしい思想をしているのか理解していないと思います。

つまり彼らの言っていることはこういうことです

「公共の場にふさわしい女性とふさわしくない女性が存在する」

ということです。
彼らは公共の場に正しい女性とそうでない女性がいると差別したうえで、今回の場合だと巨乳の女性は公共の場には相応しくなく、公共の場に出てくるべきではないと主張しているのです

しかし彼らにはおそらく、そんなグロテスクな思考をしている自覚はないでしょう。自分は良識派で配慮ができる人間だと思ってるに違いありません。

常々ゾーニングなる言葉が一部のオタクの間で受け入れられていることには大変な危機感を覚えます。
そもそも、ゾーニングなんて簡単に言うけれど見ていいものと見ちゃいけないものの峻別は誰がするんですか?
それを決める側が都合良くコントロールできることになっちゃいませんか?

我々が目指すべきなのは、不快なものを不快であると排除する社会ではなく
各々が不快なものを許容する社会です。

ticktickを更新するか否か、久々にタスクシュートやってる人にしか分からない記事です

2022-04-04 18:53:00 | 日記
最近たすくまをサボりがちなのでまた新たに始めています。
たすくまを新たに始める時、リピートタスクのアーカイブが役に立ちます。
放置したリピートタスクは削除せずアーカイブしておくことをおすすめします。
そうすればいつでも呼び出せるので。また新たにリピートタスクを生み出す必要がない。

何回も中途半端にやったりやらなかったりの僕ですが、たすくまこそが真髄であるとは思っております。
これもまた他力本願、絶対他力と通じる部分があると思う。
あくまで、任せる。

使い方は試行錯誤中ですが
セクションを無くすことで、いつでもなんでも出来そうな感じがする反面、毎回そのセクションで動けるわけでも無いので難しいところです。
ただ、昔2時間区切りのセクションで動いていた時も上手くいったという経験もあるし、逆にセクションを一切無くしてただずらっと並べただけのたすくまもうまくいったことがあります。
一長一短はあると思います。
あるいはざっくばらんに午前午後だけのセクションしか使ってない人もいるだろうし。

2時間区切りのセクションの良いところは扱いやすいということです。
その2時間に出来ることだけを考えれば良いからです。これが何時まででもやっていいとなるといつまででもやってしまいます。
もちろんたすくまには全てのタスクを終えると何時になるよと、所要時間の合計が示されているのでそれでどうにかできる人もいると思いますが。
今このブログも予定所要時間をオーバーして書いています笑
たすくま原理主義でいっちょやってみますかねぇ。。。
Evernoteを誘惑に負けて有料1年買ってしまったので使うとしたらこいつにしようと思う。

思うに、いかに月間、週間目標を分割するかよりもタスクに取り組む前に、そのタスクの終わりの定義がしっかりしていないとダラダラ続いてしまうのだなと反省。
英語の学習とかもそうですが、とかく終わりの見えないものは永遠とぐるぐるやってしまいそうになります。終わりの定義を明らかにして、それに向かってやって記録を取ればいつに終わるかなんて月間目標や週間目標立てるまでもなくわかります。終わりが決まっておらず、今どれくらい出来るのかが分かっていないことが、一番問題だったのだ、とこの記事を書いていて思いました。いや、やはりブログを書くってのは良いですね。

また少し面白い本を買ってしまいました。
タイトルにグッと引かれて買ったのですが、読み終わり次第、それでブログを書こうと思います。