鳥羽に城があったのをご存知ですか?
かつて九鬼水軍として暗躍していた、九鬼嘉隆の居城だった所です。
今は石の砦が残るだけで、その面影はありません。児童公園からの眺めも、市街の建物に遮られて、素晴らしいとは言い難いものでした。
時々観光客が散策に訪れる以外は、地元の方の遊び場となっているようです。
そんな中で、地面を這うように咲いていたたんぽぽが、とても印象的でした。
かつて九鬼水軍として暗躍していた、九鬼嘉隆の居城だった所です。
今は石の砦が残るだけで、その面影はありません。児童公園からの眺めも、市街の建物に遮られて、素晴らしいとは言い難いものでした。
時々観光客が散策に訪れる以外は、地元の方の遊び場となっているようです。
そんな中で、地面を這うように咲いていたたんぽぽが、とても印象的でした。
九鬼水軍の豆知識♪
九鬼嘉隆―――かつては熊野灘の海賊でもあった人物。だが、織田信長を後ろ盾に、瀬戸内海の村上水軍を破り、志摩地方を平定。「鳥羽の浮き城」と呼ばれたこの城を築き、3万石の大名にまで成り上がった。だが、戦国時代の動乱に飲み込まれ、実子と刃を交える結果となり、破れた嘉隆は答志島へ逃亡。そこで、自刃して果てた。嘉隆の首は、鳥羽の海が見渡せるよう、この答志島に埋められているという。
その後、“水軍”という存在は、徳川幕府によって消滅。この九鬼家も、跡目争いがきっかけで領土を没収され、兵庫、京都へと流される事となった。