
1週間の初めに、教会へ行き、聖書からのメッセージを聞き、賛美歌を
歌って、礼拝し、新しい週がスタートします。
今日は、別の教会から牧師さんがいらしてメッセージをしてくれました。
25年以上前から、存じ上げている先生。久しぶりにお会いして嬉しかったです。
いつも、色んなことを示されて帰って来ますが、今日は特に心に留まりました。
クリスチャン、というと「まじめ」「きびしい」というイメージがあるけれど
先生は、20数年前、今の教会へ赴任されたときに、教会の方たちに
「今の時代は、どこへ行っても、みんな大変なんです。せめて教会にいる時
来る時は、かみしもをはずせるような教会にしましょう」とお願いしたそうです。
「まじめ」や「きびしい」というのは、ある意味で「よいこと」なのですが
それが過ぎると「自分は正しい」「人を裁く」結果を招くことがある。。。と。
聖書の中に「地の塩」という言葉があります。
「塩」というのは、塩味をつける以外に、浸透圧を上げたり、殺菌作用があり
いろいろな働きがあります。どれも大切な役目です。
人にとって「正しいこと」が全ての人にとって「善いこと」とは限らない。
塩、っていうのは、量がちょうどよければ、よい働きをするけれど、量が過ぎると
辛すぎたり、強すぎたり、傷付けたりしてしまう・・・
人の言葉も「塩のことば」ではなく、コントロールされた「塩味のことば」を
話せる人になりたいですね、とお勧めがありました。「塩味のことば」とは正しい
だけではなくて、相手の良さを引き出す「柔らかい、優しいことば」だと。
年中、喚き立てている私には、心にぐっとささるメッセージでした。
帰り道、教会の脇にある公園、夏の名残「せみの抜け殻」をいっぱい見つけました。
1本の木に・・・100個以上ありそうでした^_^;

夏中、頭上から降るように鳴き声がするはずでした^_^;
歌って、礼拝し、新しい週がスタートします。
今日は、別の教会から牧師さんがいらしてメッセージをしてくれました。
25年以上前から、存じ上げている先生。久しぶりにお会いして嬉しかったです。
いつも、色んなことを示されて帰って来ますが、今日は特に心に留まりました。
クリスチャン、というと「まじめ」「きびしい」というイメージがあるけれど
先生は、20数年前、今の教会へ赴任されたときに、教会の方たちに
「今の時代は、どこへ行っても、みんな大変なんです。せめて教会にいる時
来る時は、かみしもをはずせるような教会にしましょう」とお願いしたそうです。
「まじめ」や「きびしい」というのは、ある意味で「よいこと」なのですが
それが過ぎると「自分は正しい」「人を裁く」結果を招くことがある。。。と。
聖書の中に「地の塩」という言葉があります。
「塩」というのは、塩味をつける以外に、浸透圧を上げたり、殺菌作用があり
いろいろな働きがあります。どれも大切な役目です。
人にとって「正しいこと」が全ての人にとって「善いこと」とは限らない。
塩、っていうのは、量がちょうどよければ、よい働きをするけれど、量が過ぎると
辛すぎたり、強すぎたり、傷付けたりしてしまう・・・
人の言葉も「塩のことば」ではなく、コントロールされた「塩味のことば」を
話せる人になりたいですね、とお勧めがありました。「塩味のことば」とは正しい
だけではなくて、相手の良さを引き出す「柔らかい、優しいことば」だと。
年中、喚き立てている私には、心にぐっとささるメッセージでした。
帰り道、教会の脇にある公園、夏の名残「せみの抜け殻」をいっぱい見つけました。
1本の木に・・・100個以上ありそうでした^_^;

夏中、頭上から降るように鳴き声がするはずでした^_^;
キラキラの光りの中のセミの抜け殻
100個もあったのですね~
その木の下は心地よいゆりかごさんだったんですね
塩味のことばのこと、とても胸に響いてきます
言葉は魂だから・・と、よく教えられたようにおもいます
ワタシにとって、言葉は栄養源です^^
よい言葉を聞くと、ころっとたちまち元気になります (*'-'*)”
zionさんにも温かい言葉をいつもかけていただいて
感謝です~.:*・゜
たくさんの方が、喜び、癒されていると日々感じています。
「塩味のことば」「塩味のことば」と願いつつも・・・
喚いている私は、、、心がトゲトゲなんだと(;>_<;)思います。
「言葉は栄養源」本当に、そう思います。
赦されつつ、毎日、言葉の栄養をいただきながら・・・過ごしたいと願います。