Yesterday never knows

Civilizations and Impressions

文明と価値20(古代ギリシャの再生:機械奴隷制、形而上学の復活)

2023-03-06 12:55:18 | 論文

 自然災害、すなわち天災は現時点ではコントロールすることは不可能であり、人的な要因による災害を最小化できるかどうかにとどまるのだろう。外交については文明論の中で考えたように、準文明として独自の文明を保存していくためには大国ではない準文明同士が協力することが必要になってくるだろう。一種の連合体になっていくのが望ましいのかもしれない。

 

 しだいに明らかになってくる、新しい民主的文化と新しい学問という状況の下で、人的資本の同権化※1が進行していく。それと同時に、世代バランスも人工的な均等化※2に向かっていくことだろう。長期的には民間産業における必要な労働力はしだいに減少していくのかもしれない。それだけに公務におけるワークシェアリングが人の実存の意味づけと深く関係してくるように思われる。もしかしたら新しい民主主義が生産力の公有化のあり方を決定する※3というある意味「不思議な結末」が待っているのかもしれない。

 

※1 人的資本の同権化

 新しい民主的文化は直接的、無意識的に世論を収集するから間接的、意識的に世論を収集する選挙よりも過激に主張をせず、必ずしも高齢者寄りの世論にはならなくなり(表面的に自己の利益を主張するより、長い意味での調和を志向すると仮定して)、その結果、老若男女からなる人的資本の同権化が進むのではないだろうか。また新しい学問はそうした新しい民主的文化の土台となりうる知見とならなければならないだろう。

 

※2 世代バランスも人工的に均等化

 直接的、無意識的世論をくみ上げるだけではだめで、それらを総括することによって総合的に望ましい姿が発見される。それにより、最終的には世代を通したバランスが図られるのだろう。

 

※3 新しい民主主義が生産力の公有化のあり方を決定する

 新しい民主主義が直接的、無意識的に世論を集めるとすると、最終的に人々はどういう労働形態を趣向するのだろうか。おそらくは公的な機関に雇用を保障されて、その上で適度な量の仕事を望むのではないか。

 今までは人間が必要とする消費財、公共財を生産するために「労働」が必要であった。もしそれら頭脳、肉体労働の代わりの多くを機械が行うようになるとすれば、機械あるいは機械を操作するものに対して自分たちが支配されないような自治組織を作ればいいということになる。

 

 そうした社会はいわば、かっての奴隷が機械に代わったようなもので、古代ギリシャのポリスのようなものになっていくのかもしれない。

 

 古代ギリシャのイメージはそれだけにとどまらない。それは総合性との関わりにおいて形而上学の復活につながっていくのかもしれない。AIの出現によって、多少合理性や、実験性に裏付けがなくとも総合性、全体性をイメージする学問、形而上学が見直されてくるのかもしれない。なぜならAIは全く予想のつかない概念同士を結び付けることができるからであり、人間がそれに追いついていくためには、人間自身がより直観的に概念を結合できる能力を高めていかなければならないからだ。

 

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