問題の本質は社会構造力の進化にあり、それを技術的効率力の発展のスピードに近づけることにある。社会構造力と AI、ビッグデータ、ICT、ロボット、電気あるいは水素による自動運転、新エネルギー等がどのように結びつくか。スマートシテイ、スマートステイト※となりえるか。自動化されるのは自動車の運転だけではない。政治、経済、社会それ自体が一部、自動化していくことなのではないだろうか。それらが新産業革命の内容の豊かさを最終的には裏付けるものとなることだろう。
※スマートステイト
スマートシテイとは狭義においてはICT、AI、ビッグデータを結合させたデータによる都市運営ということができる。そのような都市が生まれ、都市国家群が成立し、やがて国家が成立するように、ヨーロッパ文明的な形でスマートステイトが成立するのか。それとも中国のように国家による上からの形でスマートステイトが成立するのか。その発展の形は様々だろう。スマートシティで評判が高いのはコペンハーゲン、アムステルダム、ストックホルム、スマートステイトではエストニアなどである。かってのハンザ同盟の地理的な範囲と近い感じで興味深い。スマートステイトは都市連合か、国家によって上から強権的に新技術をとりいれるかでその社会の雰囲気を大きく異なるものにするだろう。
また内面的な価値のより簡潔な事例として江戸時代の心性について、少々詳しく見てきた。それは社会秩序の心性の変化の特徴を見るためであった。しかしそれだけでない。西洋的な知識もさることながら、今の日本人には自分自身、特に江戸時代を振り返り、深く観察してみることが必要なのではないだろうか。自分自身のルーツを知らずして、そもそも価値のなんたるかもわかるはずもない。我々が時代を漂流しているのもそんなところにも理由があるのだろう。新しい学問とは内向的な価値と外向的価値の発見およびそれらの融合を図るための学問ともいえるのではないだろうか。
文明と価値というテーマで書いてきたが、諸文明をそれぞれ生命体と考え、あえて分類する作業は今の時代のSDGsやESGの考え方と合わないのかもしれない。これらの概念はグローバル経済における一般理念の掲示のように思われるからだ。気象変動の問題もある。全体として対応しなければならない問題であろう。しかし一方で文明間における生き残りをかけた対立はなくなりそうもない。中国が民主化されなければ、産業のデカップリングは不可避であろう。これは日本にとっては新大産業革命を迎えるにあたってチャンスではある。けれども中国が分裂しないで、民主化を進めることが長期的には極東地域にとって望ましいことだろう。それはEUのように長い道のりを経た共同市場でなく、いわば比較的早期にCU(china union)という共同市場を設置することにもつながっているからだ。しかし中国が新疆、チベット、内モンゴルでやっていることを見ると今までの同化政策の域をでないもののようである。これらの地域と中国との歴史には長い経緯がある。また大地主、大商人、官僚が長く統治していた中国文明としては、中華人民共和国とは新しい文明といっていいものであろう。
集団指導体制に戻ることはあっても、民主化されることはないのかもしれない。
したがって経済的には深い関係を持つが、政治的には対立が続く、このため日本は太平洋、インド洋の諸文明、準文明と協力していかなければならないのだろう。まずはもっとこれらの文明群に親しむことが必要であり、こうした文明群の価値を理解することが必要であろう。アメリカの世界戦略に乗っているだけでは厳しい時代になりつつあるののかもしれない。太平洋諸国、インド洋諸国の情報が集まり、それに基づいてアメリカに提言できることが望ましい。そういう意味では国連大学の拡充はそうした契機の一つになるかもしれない。SDGs、ESGをもっと地域化することを目指すのだが、その反面、一方で普遍化する研究機関が日本にあることは日本にとってもいいことであろう。徳川光圀が大日本史を編纂したように、大世界史を編纂することも、それがその後、日本に影響を与えたように、世界においていい影響を与えるかもしれない。そしてこれは太平洋諸国、インド洋諸国の情報を収集する上で大きな力となっていくことだろう。
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