独白

全くの独白

嘘吐きは泥棒の始まり

2017-05-27 20:20:30 | 日記
菅さんが所謂理想の上司に選ばれる事はあるまい。
国は組織が大きくて複雑であり、解り難いし、審かにしないが事務次官と云えば
菅さんにとっては間接的な部下に当たると思われる。
誰にとっても理想の上司というのは、重箱の隅を楊枝でほじくる様な細かい口出しはせずに、じっくりと仕事をさせてくれて、
しくじった時には言葉通りの「責任者」として矢面に立ってくれるような人である。
天下り問題の責任を負うべき者も、何段階にも亙って居る筈であるが、最終的には国という事に成ろう。
それをあのように、つい最近まで部下であったものを悪し様に言うようでは、少なくとも部下には好かれまい。
寧ろ菅さんも一緒に国民の前で頭を垂れてこそ、国民からも好かれる筈である。
そういう気にならないのは矢張り慢心からであろうか。
私は別に前川さんの肩を持つわけではない。併し妙な店への出入り等は、頭を掻いて照れ笑いをして済む程度の話である。
それに対して加計問題では、直接国策に与かる問題に就いて、誰かが明確に噓を吐いているのである。
早くその人が出て来て正直な処を明らかにして、頭を下げてくれれば良いのにそうしてくれない為に、学校でもどこでも、
子供に「噓を吐いてはいけない」と教える事もできない仕儀に成ってしまっている今日此の頃である。
英語教育に力を入れるのも悪くは無いが、この様な事を念入りに教えるほうが先であろう。

語るに落ちる

2017-05-25 20:34:06 | 日記
前川前事務次官の話し振りは、冷静で理路整然としていた。
どこと無く潔い感じがして説得力があった。
汗は搔いていたが、この時期あの人いきれでは無理もない。
一方菅さんは、いつものポーカーフェイスに似ない感情的な話し振りで、内容も品位に欠ける直截的な悪口で、
官房長官の談話に相応しい物とは言えなかった。
「語るに落ちた」とはこの事である。
勿論事実の如何が私等に解る訳は無いが、そんな印象を受けたのである。

コドモ

2017-05-18 21:19:18 | 日記
好天気の下、自転車で山里の外れの坂道を上っていると、
車を停めて山菜採りをしている人が「危ないぞ、コドモが居るぞ」と言う。
山の人は小熊でも大人の熊でも、コドモと呼び習わしているようである。
慶事は言葉に出しても中々実現しないが、
凶事は言葉に出すと何と無く実現してしまいそうな心持がするものである。
それで彼等も、恐ろしい熊を可愛いコドモと言っているのであろう。
厚意的忠告か、私の目的も山菜採りと解釈した上で、
排除しようとの悪意に基づく厭がらせか、ちょっと図り兼ねる口振りである。
斯様にはっきりしない場合、私は厚意と取って置く事にしているので、
今日も「ま、山だから熊は居るさ」とだけ言って通り過ぎた。
鶯の唄を聴き乍ら更に上り、景色の佳い所で、昼食を摂ろうと腰を下ろした。
鶯はここでも囀り、山藤が咲き誇っている。
熊も居れば藤も咲き、猪が居れば鶯も啼く、山菜も採れればトリカブトもあり、
松茸があればツキヨタケも在るのがヤマと言うものである。
第一ヤマばかりが危ない訳ではない。熊にしても、寧ろ町に出てこそ大騒ぎになり危険も大きい。
平地を歩いていても、後ろから車に撥ねられる事がある。地震はどこで起きても不思議が無い。
ミサイルはいつ飛んで来るか知れたものではない。
又、大きな隕石にでも衝突されたら一溜りも無い。
要するに生きている限りは、防ぎようも無い危険と隣りあわせて暮らすしか手は無い。
くよくよ心配し過ぎても甲斐が無い上に不幸である。
熊への備え同様に、出来るだけの事をしたら後は、何の根拠も無くとも、
対岸の火事と決め付けてしまってなるべく暢気に過ごすように努めた方が仕合わせというものであろう。

つい感動してしまった

2017-05-10 21:11:07 | 日記
石川県庁舎の高所では、毎年隼が営巣する。
通常は安全で食料の調達し易い海岸の崖に作るらしい。
変わっているのと国の絶滅危惧種に成っている事から、毎年TVなどで紹介される。
建物の中の職員達も刺戟しないように気を配って遣っているらしい。
その甲斐あって今年も雛五羽が無事に生まれ、ニュース番組で映し出されている。
親の顔と三羽の雛が見えている。二羽は積極的に首を伸ばし口を開けて肉片を受け取っている。
残る一羽は然程動かず、目も他の二羽より更に瞑りがちで在る。
「これが生存競争の落伍者になる訳だな」と、薄情な私もちょっと切なく思いながら、
こちらは食料を口に放り込んでから又画面に目を向けた。
すると、画面の外に出て、足元の肉塊から食い千切ったらしい肉片を咥えて、又現われた親鳥が
それをその三羽目の口に押し付けるようにして遣っている。
流石におとなしいその雛も、無表情にでは在るがモグモグと口を動かしている。
音声はこちらに届いていないが、親の声を聞いたような気がした。
「いっぱい食べないと、大きくなれないよ」
隼と雖も、親は子を見守っているのである。

ジャガ芋の芽、そしてゴキブリと涎

2017-05-07 15:45:41 | 日記
台所に立つように成って四年が過ぎた。
うちは小勢なので保存の効く物は減らない。
馬鈴薯などはどれも発芽してしまっている。今迄はあの芽を見ると弥立つ様な悍しさを感じていた。
今朝も皮を剥き乍ら、併しこんな感じを持つのは、馬鈴薯に対して済まないと、不図思った。
芽は馬鈴薯にとって、延いては吾人にとって必要不可欠、詰まり大切な物である。
そう思い直して見ると、美しくさえ見える。
あれを見て感じる悍しさは、抓られて感じる痛みのように不動であるようにしか思われなかったのに、違って居たのは衝撃的であった。
そして思った。
人間とは何と身勝手で卑しいものなのであろうか。
万一此の世に人間とゴキブリしか居なくなったら吾人は、あれを見ただけで涎を垂らすように成るのであろうか。
想像するだけで身の毛が弥立つ。