今日もよろしくおねがいします。
日韓併合は当時の国際法に照らし合わせ、合法で何の問題もなく、また併合は朝鮮に望まれてのことでもありました。反対は少数であり、反対など国家対国家の事案には付き物です。
日韓併合前の日本が明治維新で西欧化をいち早く成し遂げていたのに比べ、朝鮮はどのみち中華思想の清(中国)に隷属する奴隷国でした。
その隷属状態から開放させ、また李氏朝鮮のもとあえいでいた奴隷たちを李氏の圧政による呪縛から解き放ってやったのが日本です。日本が併合していなければ、ロシアにからめとられ苛斂誅求は清国とさして変わらなかったでしょう。
日本の統治下で何もなかったとまでは言いませんが(朝鮮でも全員が併合を歓迎したわけでもないことは事実なので)しかし、朝鮮の選択としては併合で日本の統治下に置かれることが正解でした。どのみち、どこかに隷属するしか能力のない国でしたから。
日本が自国から持ち出しての金銭的援助、技術供与、教育の徹底などで現在の韓国は近代国家の礎を築いたのでした。
台湾もほぼ同様の統治形態でしたが、台湾は日本を賛美・追慕、朝鮮はその逆ということは、ひとえに朝鮮の日本と日本人への捏造を用いた差別教育/憎悪教育の結果です。
憎しみも瞬発的エネルギー源にはなりますが、永続的発展性はありません。韓国が現在の路線を踏み続ける限り韓国に発展はなく、かつて日本が与えた経済/知識/技術基盤で足踏みを永遠に繰り返して行くだけでしょう。
朝鮮半島にも日本の明治維新に触発された一改革革新派というべき存在はいました。それまでの清国に強要されていた鎖国状態から開放を夢見るようになっていたのです。彼らが親日派です。
ところがその親日にして解放論者であるリーダーが日本で謀殺されたことと並んで日本に対しては排他的になって行き、清国は朝鮮に駐留軍を置き、日本は居留民の安全のために軍隊を派遣したしだい。侵略もそれに伴う強奪もそこにはありませんでした。半島の秩序維持担保が一義の派兵です。そして清国との対立構造が先鋭化、日清戦争勃発という流れです。
◆「我々は自分達で選択したんだ。日本が侵略したんじゃない。私達の先祖が選択した。もし清国を選んでいたら清はすぐ滅びてもっと大きな混乱が朝鮮半島に起こったろう。ロシアを選んでいたら半島全体が共産主義国家に成っていた」(朴 正煕:韓国元大統領)http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/rokkidozikenco/bokuseikenc...
◆日韓併合は韓国皇帝の請願だった。
▼日本の韓国での行動は全てイギリスの同盟国として「合法的に」行われた事だ。国際関係の原則にのっとり、当時の最善の行動基準に従って行われた事である。しかも原則は日本が作ったものではない。欧米列強が作った原則なのだ。1910年、日本が韓国を併合したのは、韓国皇帝が請願したからだ。歴史家は、日本は欧米列強から教わった国際関係の規則を、実に細かいところまで几帳面に守っていた、と褒めるのだ」。(ヘレン・ミアーズ、GHQ) https://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/19157766.html?__ysp=5pel5pys44Gu6Z%2BT5Zu944Gn44Gu6KGM5YuV44Gv5YWo44Gm44Kk44Ku44Oq44K544Gu5ZCM55uf5Zu944Go44GX44Gm772i5ZCI5rOV55qE44Gr772j6KGM44KP44KM44Gf5LqL44Gg44CC5Zu96Zqb6Zai5L%2BC44Gu5Y6f5YmH44Gr44Gu44Gj44Go44KK772k5b2T5pmC44Gu5pyA5ZaE44Gu6KGM5YuV5Z%2B65rqW44Gr5b6T44Gj44Gm6KGM44KP44KM44Gf5LqL44Gn44GC44KL
日韓併合を望む、朝鮮からの電報が複数。ありようは併合ではなく合邦。自国から持ち出してのインフラ整えや、学校建設など植民地の概念には当てはまりません。
韓日合邦を要求する声明書は、1909年12月4日、大韓帝国における親日団体一進会が皇帝純宗、韓国統監曾禰荒助、首相李完用に送った大韓帝国と日本の対等合併を要望する声明書である。韓日合邦建議書ともいう。
純宗隆熙帝
NHKの反日に気づかない人たちにさえ、不評でした。
その分野に疎いので、断言は出来ないのですが近親婚でなければ見いだせない特殊なDNAが鮮人には多いという調査が存在します。
姓名も名乗れるようになりました。
言葉も名前も奪ったというのは嘘です。
当時の朝鮮人志願兵の登録簿や、報奨金を与えた兵隊の中には朝鮮名のままの人たちがかなりの数います。
- 洪思翊 - 中将
- 趙東潤 中将
- 李秉武 - 中将
- 趙性根 - 中将
- 魚潭(西川潭一)
- 李垠 - 中将(李王)
- 李煕斗- 少将
- 金應善(宇都宮金吾) - 少将
- 王瑜植 - 少将
洪思翊・中将とその家族
祓え給い、清め給え、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え
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