hiroの花便り

我が家に咲く花や日々の暮らしを綴っていきたいと思います

海ほたるの日の出

2024-01-07 | 国内旅行

1月5日、息子の運転で水仙の名所・千葉県鋸南町に行ってきました。
家を出たのは5時25分。
なぜそんなに早いかというと、海ほたるで日の出を見たかったからです。

海ほたるは、川崎と木更津を約15kmで結ぶ東京湾の
真ん中の人工島にあるパーキングエリアです。
千葉方面に観光するときは何度も立ち寄っていましたが、
日の出を見るほど早く出かけたことはなく、
今回、やっと念願が叶い、美しい日の出を見ることが出来ました。

5階、木更津側の展望台から撮影しました。
(2024/01/05 6.32 息子撮影)

日の出は6時50分、
空が茜色に輝きだし、目映い太陽が昇ってくる瞬間はとても素敵でした。
早起きしは三文の得ですね。
(2024/01/05 6.55 息子撮影)

✼••┈┈┈┈┈┈••✼✼••┈┈┈┈┈┈••✼

5階だけですが、フロアを少し歩いてみました。

記念撮影用オブジェ

トイレも綺麗でした。

フードコートは殆どのお店が閉まっていましが、
あさりラーメンのお店が営業していました。

記念撮影用オブジェ

オブジェは4隅に4ヵ所あったようです。

微かにスカイツリーも見えました。

レーダー施設

海ほたるには6時20分頃に到着し、約1時間滞在しました。
元旦は初日の出を見る人たちでさぞ賑わったのではないでしょうか。

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野辺山駅~平沢峠・獅子岩

2023-11-13 | 国内旅行

野辺山駅は、小諸駅と中央東線の小淵沢駅を結ぶ、JR小海線にある駅で
標高1345m67cmの海抜に位置する日本一標高が高い駅です。

初めて小海線に乗ったのは、軽井沢・鬼押し出し方面を旅行した
21歳の秋で、吉祥寺に住む友人との二人旅でした。
行くときは別路線でしたが(よく覚えていない)
帰りは小諸で友人と別れ、私は小海線で小淵沢を経由して
中央線で自宅まで帰りました。
その時小海線の車窓から眺めた紅葉の美しさは、今でも脳裏に焼き付いています。

小さいけれど可愛い駅舎です

改札口

構内には待合室もあります。

駅舎の絵が飾られていましたが
お天気が良ければ、こんな風に八ヶ岳が見えていたのでしょうか。

 

ホーム

駅に隣接する公園

平沢峠展望台

平沢峠は南佐久郡南牧村にある峠。
道路から直接展望台が広がる駐車場に入れます。
トイレも設置されています。
飯盛山への登山口となっており山頂まで30分で登れるそうです。
足がこれ以上衰えなければ登ってみたいと思いました。
夫は高校生の頃、登ったことがあるとのことでした。

夫が高校生の頃登った飯盛山
飯盒炊爨もしたそうです。

八ヶ岳の眺望。
お天気が良ければ南アルプスや富士山の雄大な景色も一望できたそうですが
残念なことに四方を見渡しても青空が見えたのは一方向だけでした。

獅子岩(息子の写真)

獅子の形をした岩ですが、道路側から見た方が獅子の形に似ています。
駐車場の隣にあり、5分もあれば登れます。

獅子岩から眺めた八ヶ岳。雲がかかって残念。

平沢峠は日本の分水嶺になっており
雨水はここを境にそれぞれの方向へ流れていくそうです。

これで清里、野辺山高原の見学は終わりました。
平沢峠を出発したのは4時頃。中央高速の長坂ICに4時36分に入り
家路に向いましたが、韮崎付近では工事渋滞(30分ぐらい)
大月からは毎度の渋滞があったのでナビの指示で国道20号線へ。
これが良く当たり、少しも渋滞することなく、圏央道相模原ICを経由して
帰ることが出来ました。

自宅付近のICを降りたのが7時40分だったので、夕食を食べていこうと
回転寿司店に寄ったのですが、2軒は駐車場にも入れない混雑ぶり。
(土曜日であることを忘れていました)
やっと8時半頃、市内のはずれにある回転寿司店に入ることが出来ました。
朝7時から夜の9時過ぎまで長い一日でしたが、
息子のおかげで、楽しい旅ができました。

(写真は、食べたお寿司の一部です)

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野辺山宇宙電波観測所内で見た木の実

2023-11-11 | 国内旅行

木の実を見ていると、心が和むし、
野鳥や動物たちには、大変なごちそうになります。
今年は「ドングリの不作」でクマが餌を求めて
人里に出没し、問題になっていますが、
ここではミズナラのどんぐりがたくさん落ちていました。

あるサイトでどんぐりの不作について
日本蜜蜂が極端に減少していることが原因の一つで
あると書かれていました。
森つくりは日本蜜蜂が担っているそうですが、
その日本蜜蜂が極端に減少していると花は咲いても
受粉ができず、実がならないのでしょうね。
日本蜜蜂が増え、熊が森の中で自然に暮らせる、
ようになることを祈るばかりです。

マユミ

ニシキギ

ナンキンハゼの実だそうです。
のんきさん、教えてくださってありがとうございます。

ウバユリの種子

 

矢出川公園のミズナラの紅葉とどんぐり

 

昨夜23:00 室温19℃ 寒い 🥶
ちょうどよい室温のはずなのに暖房が欲しい。
寒がり、それとも年を取ったから?
年を取って、寒がりになったのかもしれませんね。

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南牧村農村文化情報交流館(ベジタボール・ウィズ)&野辺山宇宙電波観測所

2023-11-10 | 国内旅行

南牧村農村文化情報交流館は長野県南佐久郡南牧村野辺山にあります。
南牧村の野辺山高原一帯では、年間平均気温6.9℃という
冷涼な気候を生かした高原野菜(白菜、レタス等)を生産する野菜畑が
広がっている長閑な村で、華やかな観光地にはない味わいがあります。

南牧村農村文化情報交流館は当初訪問する予定はなかったのですが、
宇宙電波観測所の駐車場に着いたとき、
前方に立派な建物が見えたので、入ってみました。

南牧村農村文化情報交流館は野辺山の星空や星座の見方をわかりやすく
解説するプラネタリウムが人気の施設で、
ゲーム感覚で遊覧飛行できるMAP-S(フライトシミュレーター)や
カフェや宇宙食やお土産が買える売店、カフェレストラン、
ホール、展示コーナー、図書館、などがあります。

訪ねた日は紅葉真っ只中の10月28日(土)でしたが、
来館者は私たちを入れても7~8名。
これだけの施設があるのにもったいないなぁ~と思いました。

とはいうものの時間の関係で、私たちが見学したのは
1階の展示コーナーと屋上の展望台だけ…。

展示コーナー

画像はほんの一部です。宇宙の勉強になりました。

隣接する矢出川公園と
屋上の展望台から見えた野辺山宇宙電波観測所

 

野辺山派遣隊の碑

背面に碑文によると、この碑は1995(平成7)年8月に
三重空野辺山若草会が建設したもので、1945(昭和20)年5月、
わが国初のロケット戦闘機の搭乗員を養成するために、
三重海軍航空隊から野辺山に1,196名の予科練習生を派遣したという。
隊員らは、「幕舎に起居しグライダーにより連日猛烈な操縦滑空訓練に
励んでいたが、8月15日の戦争終結によって解隊となった。
1988年8月に「史実を後世に伝え平和を祈念する」ために
「三重空野辺山若草会」を結成し、野辺山駅前に「予科練之碑」を建立した。
さらに、戦後50年を機に、その跡地にも、この碑を建てたという事でした。

 

国立天文台野辺山宇宙電波観測所

国立天文台野辺山は日本の電波天文学の「聖地」
戦後間もない頃に誕生した日本の電波天文学は、野辺山にて、
太陽電波の観測、さらに45m電波望遠鏡を中心とした
宇宙電波の観測によって、世界レベルへと発展しました。

国立天文台が、野辺山に観測所を造った理由は、
⓵標高が高いため、水蒸気量が少ないこと。②平坦な地形であること。
③雪が少ないこと。といった理由からだそうです。
今では、南米チリにある「ASTE望遠鏡」も、
ここ野辺山から遠隔操作しているとのことでした。

受付で住所・氏名を記入して入場します(入場料無料)
電波観測所なので携帯電話は使用禁止です。

ミリ波干渉計

6台のアンテナをケーブルでつないで同時に観測することで、
最大で直径約600mの電波望遠鏡に相当する観測ができるそうです。
主に天体の様子を細かく調べることに威力を発揮してきました。
現在、科学運用は終了し、その技術はチリにある
アルマ望遠鏡へ受け継がれているそうです。

解説パネル

展示室

現在は運用停止している野辺山ミリ波干渉計の
観測棟を改修して作られました。
野辺山宇宙電波観測所や電波天文学の紹介コーナー、
国立天文台の他の部門の紹介コーナー、
国立天文台が属する自然科学研究機構の他の分野の
研究機関の紹介コーナーなどがありました。

解説パネルコーナー

45m電波望遠鏡1台

「ミリ波」と呼ばれる電波を観測できる電波望遠鏡では
世界最大級の口径で、この大口径を活かして
天体からのかすかな電波をとらえます。
1982年の完成から現在に至るまで40年以活躍しており、
巨大ブラックホールを発見した望遠鏡だそうです。

電波望遠鏡は、近くで見るとかなり大きいです。
これらは、レールに載せて移動できるようになっており、
敷地内には、至る所にレールが敷かれていました、

レール

電波ヘリオグラフ

84台のアンテナをつないで太陽の画像を撮る電波望遠鏡
1992年から2020年まで運用現在60台展示

太陽電波強度偏波計

太陽全体からくる電波の強さと電波の特性(偏波)を測定し、
太陽活動の様子を調べる装置です。8台のアンテナを使い、
7つの周波数を同時に観測しているそうです。

パラボラアンテナの仕組みを学べるコーナーでは、
ひそひそ声が30メートル先で聞こえる様子を体験できます。

日時計

この分野の知識は、全くと言ってよいほどなかったので、
頂いたリーフレットや国立天文台野辺山宇宙電波観測所のHP
無かったら、とても記事にはできませんでした。

コメントはお休みにします。

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八ヶ岳高原・清里の紅葉

2023-11-06 | 国内旅行

1月28日(土)
息子の運転で八ヶ岳高原清里方面に紅葉ドライブを楽しんで来ました。
家を出たのは、朝7時頃でしたが、
圏央道と中央高速が接続する八王子JCT付近と、
中央高速・韮崎付近の工事渋滞の為、通常なら2時間半位で到着
するはずが1時間半以上も遅れてしまいました。

国道11号線ぞいの紅葉を楽しみながら最初に立ち寄ったのが
東沢大橋展望台の駐車場。
テレビ朝日の中継車も来ていました。

東沢大橋展望台から

真っ赤に紅葉したドウダンツツジ

東沢大橋展望台駐車場周辺のもみじ

 

 川俣渓谷に下りる道を少しだけ散策

紅葉ではありませんが、下に茂る笹の美しさにパチリ

夏は涼しそうなので、機会があったミニトレッキングも楽しみたいな!

東沢大橋から見た川俣渓谷下流方面

車の中で用意したお弁当やおやつを食べ、
車窓からの紅葉を楽しみながら、次に向かったのは清泉寮。

清里開拓の父・ポール・ラッシュ

ソフトクリームを食べて一休み

牧場に牛は出ていませんでした。

清里駅周辺(車窓より)

この後、清里駅まで行きました。
バブル期にはテレビやファッション雑誌でよく紹介され、
「高原の原宿」と言われるほど若者で賑わっていましたが、
その後ブームは去り、廃墟化されてからは行くこともなくなりました。
今年になって、清里の再生が始まったと耳にしたので
野辺山に行くついでに寄ってみましたが、
依然としてシャッターが閉ざされた店舗が多く寂しく感じました。
ただいつも立ち寄っていたミルクポットが再開されていたことは嬉しかった。

野辺山宇宙電波観測所に続く

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さくらんぼ狩り

2023-06-14 | 国内旅行

12日(月)、ご近所の友人MHさんとミステリーツアーで
「さくらんぼ狩り」に行ってきました。
日帰りなので山梨県だろうと予想していましたが、その通りでした。
バスガイドさんは、両親が日本人とブラジル人×フィリピン人のミックスで、
3ヶ国の血を受け継いだ、元気いっぱいな女性でした。
家では日本語で話しているので、会話は何の問題もないそうですが、
音読みと訓読みがある漢字を読むのが苦手だそうです。
が、スマホで調べれば、何でも分かるので、困ったことはないそうです。
この業界も人材不足なのかしら、等と失礼なことを一瞬考えてしまいましたが、
ルールを守れない乗客がいれば、
日本人よりもはっきりとした物言いで、注意すべきことは注意し、
立派にガイド役をこなされていました。

最初に訪れたのは甲府の舞鶴城公園内の甲府(舞鶴)城でした。
甲府城は武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命により
関東の徳川家康に対抗するための重要な戦略拠点として、
1600年ごろに完成したそうです。
現在は天守台のみで天守閣はありませんが、最近の発掘調査で鯱が出土した
ことから天守閣があった説が有力になっているとのことです。

 本丸櫓跡     天守台

無事ツアーを終え、写真をチェックしようと、デジカメを見たところ
メモリーカードがパソコンに挿入したままであったことに気が付きました。
この写真↑は「富士の国やまなし」甲府城御案内ホームページよりお借りし、
画像加工したもの。
もっとたくさんの画像が舞鶴城公園のみどころに載っていますので
ご興味のある方はどうぞ!

次はランチ。
場所は山梨フルーツパーク。
メニューは
ウナギ釜飯、近江牛すき焼き鍋(生卵付き)ふろふき大根、明太イワシでした。
パーク内でおみやげをたくさん買い、次の「さくらんぼ狩り」会場に向いました。

「さくらんぼ狩り」の会場は、南アルプス市の農園。
30分食べ放題でしたが、昼食後だったので、15分もたたないうちに
お腹がいっぱいになり、食べられなくなりました。
ハウスは屋根付き。雨が降っていたので、助かりました。
最初は佐藤錦や紫色のさくらんぼ等、端から食べていきましたが、
紅秀峰が一番美味しいと分かったので、最後は紅秀峰だけ食べました。

佐藤錦     おばこ錦     紅秀峰

(画像はお借りしました)

最後はワイナリーでの試飲と工場見学。
こちらのワイナリーは、これまで何度か来たことがあったので、
工場見学は参加しませんでしたが、
雨の中、楽しい一日を過ごすことができました。

本ツアーはたくさんのお土産つき。
メロンは青肉と赤肉が1玉ずつ。スモモ3個、枇杷1個。
さくらんぼ100グラム。
パイナップル1玉とトウモロコシ1本。
家に帰ってからも美味しいフルーツを食べながら
楽しかった旅の余韻に浸れそうです。

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日帰りツアー「喜多院」& 小江戸・川越

2022-12-07 | 国内旅行

川越には、千葉県に住んでいるKさんと池袋で待ち合わせ、
街歩きをして以来なので、20年振り位になります。
その時はウォーキングが目的だったので、境内から慈恵堂を見ただけでしたが、
今回は三代将軍徳川家光公誕生の間・春日局化粧の間などを
拝観することができました。

山門(国指定重要文化財)

寛永9年(1632年)天海僧正により建立。
喜多院で現存する最古の建物。

山門の右手に接続して立っていてるのは番所。

番所の手前には、白山権現社と喜多院復興の立役者・天海大僧正の像がありました。

慈恵堂(県指定有形文化財)

慈恵堂は比叡山延暦寺第18代座主の慈恵大師良源(元三大師)をまつる堂宇で、
大師堂として親しまれ、潮音殿とも呼ばれています
毎年、正月三が日の初詣には、埼玉県内の寺院の中では最も多い
約40万人の参詣客が訪れるそうです。

まず訪れたのは庫裏、拝観受付などの寺務所を兼ねています。
ここから先には庫裏・書院・客殿の3つの建物がありますが
建物内はすべて撮影禁止です。

添乗員さんが、拝観の手続きをしている間、
庫裏の
玄関から庭園の紅葉を覗き見していました。

現在喜多院境内に残る建物の大部分は寛永15(1638)年に起こった
川越大火の後に再建されたもので、
これから拝観する3棟(庫裏・書院・客殿)は、喜多院27世・天海大僧正の
幕府創始に於ける多大な功績と大恩に報いんと、
江戸幕府三代将軍・徳川家光公指示の下江戸城中・紅葉山の別殿を
移築したもので、江戸初期の御殿建築の様式と、
現存していない江戸城御殿の姿を偲ばせる、大変貴重なもので、
国の重要文化財に指定されているそうです。

山茶花

拝観した客殿と書院について

客殿 (徳川家光公誕生の間)
12畳半2室、17畳半2室、10畳2室があり、
天井には彩色による花模様がありました。
湯殿と厠(便所)もありました。
12畳半のうちの一室で3代将軍徳川家光が生まれたそうです。

書院 (春日局化粧の間)
床の間を設けた8畳2室、12畳2室からなり、一部に中2階がある。
これらの部屋は、この建物が江戸城にあった頃、
徳川家光の乳母である春日局が使用していた部屋で、
「春日局化粧の間」と呼ばれている。

客殿から眺めた庭園。

この庭園は建物の移築元である江戸城・紅葉山にちなんで
紅葉山庭園と呼ばれているそうです。
丸や菱形、四角といった元来相反する造作を持った石組みを
幾何学的に組み合わせることで、調和が取られた構成に
仕上げられているそうです。

左上写真中央あたりに見える枝垂桜は、家光公手植えだと言われています。
もみじとドウダンツツジの赤が綺麗でした。

多宝塔(県指定有形文化財)

寛永16年(1639年)建立。
明治43年(1910年)に慈恵堂と庫裏玄関との渡り廊下中央部分に移築。
移築に際し大幅に改造されていたので、
昭和48年(1973年)に現在地に移し解体修理を実施し復元したそうです。

 

慈眼堂(国指定重要文化財)

正保2年(1645年)建立。
慈眼大師天海を祀る。
厨子に入った天海僧正の木像が安置されているそうです。

鐘楼門(国指定重要文化財)

寛永10年(1633年)建立。
仙波東照宮の門として建築されたものだそうです。

 

仙波東照宮(国指定重要文化財)

徳川家康が亡くなり久能山から日光へ移送する際に喜多院に4日間とどまり、
天海僧正が大法要を営んだことから
喜多院の境内に仙波東照宮が造営されたそうです。

徳川家康を祀る東照宮は、日光と久能山だけかと思っていましたが、
こちらにもあったとは意外な発見でした。

太子堂と木遣塚

太子堂は昭和51年(1976年)に聖徳太子の没後1355年を記念して作られました。
木遣は、大木を運ぶ時に歌う歌のことですが、なぜ一緒に建っているのでしょうね。

五百羅漢(市指定史跡)

天明2年(1782年)〜文政8年(1825年)建立。
総数は538体。

中央高座の大仏に釈迦如来、
左の高座に阿弥陀如来、右の高座に地蔵菩薩が鎮座しています。

さらに中央高座をアップすると、
釈迦如来の脇には、獅子に乗った文殊菩薩と象に乗った普腎菩薩がいます。

五百羅漢は川越北田島の志誠(しじょう=内田善右ヱ門)と蔦右衛門が発願。
志誠大徳は二大士、十六像をはじめ、40尊を造って4年目に病に倒れ、
喜多院の学僧であった慶厳、澄音、祐賢がその遺志を受け継いで、
浄財を集め、40余年の歳月を費やして完成したそうです。

五百羅漢は、一切の煩悩を払って修行の最高位に達した仏弟子500人ことで
その功徳を授かれるのが五百羅漢像。どれ一つ同じお顔はありません。

***

小江戸・川越は3度目の訪問なので、特に目新しい発見はなかったのですが、
お団子を食べたり、お買い物などを、ゆっくり楽しむことができました。

100年前の日本は大正11年(大正時代1912〜1926年)。
人口も寿命も、今の半分ぐらいだったようです。
父と母が生きていれば、104歳と102歳になっていました。
100年後はどうなっているのでしょうね。

川越といえば「時の鐘」は外せませんね。

2015年から2017年にかけて、耐震化工事と1960年の工事以来の半解体を伴う
総工費1億円の大修復が行われ、明治27年当時の姿に復元されたそうです。

埼玉りそな銀行川越支店:大正7年の建築。

蔵造りの町並み

蔵造りは類焼を防ぐための巧妙な耐火建築で、江戸の町家形式として発達。
蔵造りの町並みが形成される契機となったのは、明治26年の大火だそうです


宮岡刃物店は、市の指定有形文化財。
明治30年の建築。江戸時代から続く刃物の専門店だそうです。
通称まちかん。

くらづくり本舗 一番街店(小林家住宅)は市の指定有形文化財。
明治20年に創業した川越の老舗和菓子店で、
埼玉県内に44店舗ある『くらづくり本舗』で唯一、喫茶のある店舗だそうです。

亀屋本店(山崎家住宅)は明治27年の建築。
江戸時代中期の天明3年(1783)創業の和菓子店で、
代々川越藩の御用達を勤め、現当主は8代目となるそうです。

川越元町郵便局

川越市役所と太田道灌像

なんで太田道灌像が川越市役所前に?と思いましたが、
碑文には、長禄元年(西暦1457年)に太田氏が川越城を築き、
更に江戸城を築いて川越の文化を江戸に移したので、川越は江戸の母と呼ばれた。
などど書かれていました。
川越市役所は川越城大手門跡にあります。

ラ・パウザさん

送迎ターミナルにバスが到着したので、夫に夕飯のことで
電話をすると、もう食べたとのこと。
それではと、疲れをとるため、のんびりと一人夕食を食べ、
クリスマスのイルミネーションを楽しみ、
バスに乗って帰りました。
まるっきり解放された一日。楽しかった。

あっ、そうそう、この日は久しぶりに13300歩、歩きましたが
翌日は腰が痛くなり、湿布薬のお世話になりました。

***

サッカー・ワールドカップ、悲願達成のベスト8までには、
あと一歩及びませんでしたが、よく頑張りましたね。
クロアチアとはPK戦までもつれましたが、互角の戦いでした。
たくさんの感動をありがとう!!

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日帰りツアー・平林寺

2022-12-05 | 国内旅行

滑り込みセーフでクラブツーリズムの日帰りバスツアーに参加できました。
行先はもみじの名刹「平林寺」と川越「喜多院」&  小江戸・川越です。
「平林寺」は初めてですが、川越には40~50代の頃、今は亡きご近所の友人Kさん、
OL時代の友人Sさんと、二度街歩きをしたことがありますが、
その頃はツアーも含め、日帰りでどこかに出かけても、
カメラは持参していなかったので、今回は沢山写真を撮れて良かったです。

旅行代金11900円のうち政府の旅行支援が4760円支給され7140円となり、
地域クーポンも3000円支給されました。
この特典のせいか、最終日の出発(12月1日)にも関わらずバスは満席でした。
ただ昔のツアーのように、大きな声でおしゃべりする方たちが
いなかったので、車内は静かで良かったです。

バスは平林寺総門の斜め向かいにある、ひるねの森PKに駐車。
歩いている途中、半蔵門や総門の茅葺屋根を写すことができました。

 

半蔵門

半僧坊感応殿の正式参拝用の門で、半僧坊大祭の開催日(毎年4月17日)のみ
開門するそうです。

総門の茅葺屋根(ズームで)

総門

山号扁額「金鳳山」、門柱に「臨済宗平林寺専門道場」が掲げられています。
山号は、開山である石室善玖(1294-1389)が元で修行した
金陵(現在の南京)の鳳台山保寧寺から「金」と「鳳」をとったといわれています。
県指定有形文化財(建造物)

道路に面していたので距離が足りなくて、総門全体は写せませんでした。
左横の入り口から参拝券を頂き中に入りました。

山門

山門は築350年。
江戸時代前期、平林寺が岩槻から移転された際に、現在の地に移築されました。
県指定有形文化財(建造物)

金平林寺は埼玉県新座市野火止にある臨済宗妙心寺派の寺院で、
禅修行の専門道場を持っている関東を代表する禅刹で、
創建は、今からおよそ650年ほど前の南北朝時代。
開基は、禅に深く帰依していた大田備州守春桂蘊沢居士。
開山には鎌倉建長寺住持で、書や偈頌(げじゅ:禅宗で詠まれる漢詩のこと)
に優れていた当代の高僧、石室善玖禅師が迎えられました。

戦国時代には、関東一円は豊臣秀吉による小田原征伐の戦禍を受け、
当時、岩槻にあった平林寺も多くの伽藍を失い、
塔頭のひとつ聯芳軒(れんぽうけん)のみが焼け残っていたそうです。
鷹狩に訪れていた徳川家康が休息のために、聯芳軒に立ち寄り
軒主から平林寺の由緒を聞き、平林寺の再興を約束、
復興資金と土地を寄進したそうです。
更に家康は、かつて駿河臨済寺にて共に学び、臨済禅を代表する傑僧と
なっていた鉄山宗鈍(てつざんそうどん)禅師を、平林寺住持として招聘。
天正20年(1592)に、平林寺の中興は果たされたそうです。

山門の金剛力士像
「電力王」と呼ばれた松永安左エ門の寄贈。

仏殿

本尊には釈迦如来坐像、脇侍には迦葉尊者と阿難尊者を祀ります。
県指定有形文化財(建造物)

鐘楼周りの紅葉(進入禁止・ズームで)

非公開。

本堂(進入禁止・ズームで)

本尊の釈迦如来坐像をはじめ、達磨大師坐像等が祀られています。
現本堂は、江戸末期の火災で庫裡と共に焼失した旧堂に近い形で、
明治期に再建されたものだそうです。
非公開。

戴渓堂(たいけいどう)

日本に書法・篆刻(てんこく)を伝えた独立性易禅師を祀ります。
独立禅師は、隠元隆琦禅師と共に
第4代将軍徳川家綱謁見のため、長崎から江戸に随行。
その際、当時の老中松平信綱は、独立禅師を厚遇しました。

経蔵

仏殿の左手前にひっそりと佇む小さな堂宇で、
寛文12年松平久綱室の宋学院によって寄進されたそうです。

半僧坊感応殿

衆生の諸願を叶える大権現「半僧坊」を祀ります。
毎年4月17日には半僧坊大祭が盛大に催されるそうです。

放生池(ほうじょういけ)

池の水はかつて野火止用水(平林寺堀)から通じていました。
中島には弁天堂があります。

片割れ地蔵

もとは1対だった地蔵の片方を平林寺に祀ったといわれています。

平林寺境内林

かつての武蔵野の雑木林の面影を残す貴重な文化財として
文化庁、埼玉県、新座市等と連携し、境内林(雑木林)の整備が行われています。
国指定天然記念物(雑木林として唯一指定)。
総面積は13万坪(東京ドームおよそ9個分)あるそうです。

平林寺を訪れ、紅葉の美しさに魅せられたのは
言うまでもありませんが、一番驚いたのは墓所の広さです。
墓所は、大河内松平家廟所と下卵塔の2ヶ所に分かれています。

大河内松平家廟所

大河内松平家は、第3代将軍徳川家光、第4代将軍徳川家綱に老中として仕え、
川越藩主でもあった松平伊豆守信綱によって興された一族。
3,000坪の墓域の中に170基余りの墓石が配されています。
墓石数、保存状態の良さとも全国有数の廟所だそうです。

 

松平伊豆守信綱夫妻の墓

左:松平信綱墓  右:信綱妻(名前不明・井上正就娘)の墓
何れも高さ2mの五輪塔

俳人高浜虚子は「知恵伊豆の墓に俳句が詣りけり」と詠んでいます。
県指定史跡

安松金右衛門(左)と小畠助左衛門正盛(右)の墓

安松金右衛門は、玉川上水、野火止用水の開削に大きく貢献した信綱の重臣。
信綱の長男輝綱にも仕え、川越藩の新田開発にも携わりました。
墓は昭和10年(1935)新宿大宗寺より移され、
大河内松平家廟所近くの主君の膝元に眠っています。

小畠助左衛門正盛は川越藩家老です。

***

下卵塔は大河内松平家廟所に対して下手にある墓所一帯を言います。
平林寺の修行僧や岩槻時代の家臣、平林寺の歴史に
ゆかりのある人々のお墓があります。

 

島原・天草の一揆供養塔

島原・天草の一揆(寛永14年、1637)200年遠忌に建立された、
幕府側の犠牲者を弔う供養塔です。
島原・天草の一揆は松平信綱によって平定されています。

松永安左エ門と妻一子の墓

松永安左エ門は「電力王」「電力の鬼」と呼ばれ、
戦前・戦後の日本の電力事業の礎を築いた実業家(1875 - 1971)。
松永耳庵として近代三茶人(原三渓、益田鈍翁)のひとりに数えられています。

前田卓(つな)の墓

明治期の自由民権運動家、前田案山子(かがし)の次女で、
夏目漱石『草枕』に登場する「那美」のモデルとされています。
案山子も「志保田の隠居」として同作に登場しています。
卓と共に眠っているのは、卓の異母弟でのちに養子となった前田利鎌(とがま)です。

見性院宝篋印塔

見性院は武田信玄の二女で、
武田家の有力武将である穴山信君(梅雪)の正室です。

見学時間は60分、椅子に腰かけているシニアもいましたが、
私はもう少し時間があったらと思いました。
ご朱印も頂きたかったのですが、
例年11月〜翌2月の期間中は、取り扱っていないとのことでした。

 

お昼は川越のいも膳さんでうな重を!

うなぎは薄味でふっくらとして美味しかったです。
ウナギの骨を揚げたものも出ました。

お庭もよく手入れをされており、冬桜や白い侘助等を楽しむことができました。

(参考:平林寺公式サイト

コメント (11)
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ひたち海浜公園でバラ鑑賞

2022-05-30 | 国内旅行

5月27日(金)

コロナ禍以来、ずっと控えていたバスツアーに、
ご近所の友人・MHさんと参加しました。
当日は朝から天気予報通りの雨で、メインの観光時が
一番風雨共に激しく、観光の方はちょっと残念でしたが、
楽しい一日を過ごすことが出来ました。

集合場所は小田急線の相模大野。
朝7時集合の出発だったので、
寝過ごしては大変と、4時頃トイレで目が覚めたので、
そのまま寝ずに過ごしました。

バスは感染対策で座席は3列のうち1列は空席。
3回のワクチン注射証明と身分を証明するものを係の方に見せ
バスに乗ってから、健康に関する事前アンケートの提出と、
体温チェックを添乗員さんがしました。
バスは2台で私は2号車。31名の参加予定者のうち、
お二人が当日キャンセルされました。

行程
相模大野7:04出発===東名町田7:17==大黒PKトイレ休憩15分
三郷インター8:50==常磐道友部SAトイレ休憩15分===ひたちなかIC10:04 
ひたち海浜公園10:20到着

ひたち海浜公園には2009年5月、孫息子K君が5歳の時、
長男夫婦が、母の日プレゼントとして、ネモフィラを見に、
連れてきてくれました。

その時のブログ「とあるところとは~?」は←こちら

当時のブログには、可愛い孫が遊んでいる写真や、
シーサイドトレインの写真(現在はより華やかになっている)
お昼は那珂湊おさかな市場のおすし屋さんに、
連れて行って貰ったことなどが載っていました。

遊園地は素朴な遊び場ではなくなり、
子供たちが喜びそうなジェットコースターや空飛ぶブランコ、
観覧車などの遊具が
たくさん設置されていました。
雨が酷く鳴ければ、ゆっくり写真がとれたのに、
1枚も撮れなくて残念でした。

ひたち海浜公園ではバラ鑑賞と昼食を含め1時間40分
滞在する予定でしたが、激しい風雨の為、
お弁当(三浜たこめし弁当・美味しかった!)は
バスの中で食べることに…。
滞在時間も40分縮小して、11:20には次の大洗磯前神社に
向かって出発出発しました。

20分程すると、バスは一の鳥居横の灯篭が並ぶ坂を上がり、
随神門近くの駐車場に到着しました。

大洗磯前神社・随神門

大己貴命(大国主神)、少彦名命をまつる神社。
「福徳円満、家内安全、商売繁盛、農業、漁業、知徳剛健の神」
として信仰を集めているそうです。

 

拝殿

拝殿・随神門は水戸藩二代藩主徳川光圀公の命で造営を始め、
三代綱條公の享保15年(1730)に竣工された。

時間が限られているため、今回は御朱印を頂くのを諦めました。

神磯の鳥居

御祭神が降臨された岩礁を「神磯(かみいそ)」と称し、
神聖な場所として禁足地としたそうです。
その降臨の地に鳥居が建っています。

季節を問わず、日の出の時刻には、
絶景を写真に収めようと多くの写真愛好家が集まるそうです。

正面から激しい風雨を受け、左手で傘をさし、右手でデジカメを持ち、
撮影しましたが、カメラを持つ手が揺れて、写真を撮るのが大変でした。

ここに来るには丘の上の神社から階段を100段近く降り、
二の鳥居の道路を挟んた細い小道をさらに下らないといけないので、
腰の弱い友人はバスの中で待っていました。

二の鳥居

また上がって駐車場まで戻らなければなりませんが、
階段を上がるのは思ったよりも楽でした。
カメラに水滴がかかり、こんな写真しか撮れませんでしたが(;^_^A

めんたいパーク(工場見学とお買い物30分)

お魚市場近くの道路中央を堂々と歩くサギ

お土産のメロン

最後は那珂湊お魚市場の散策とお買い物(約60分)です。
まだ雨が少し降っていたので、
散策よりも、お買い物をされていた方が多かったようです。
というのは今回のツアーでは「いば旅あんしん割」が適用され
旅行代金5000円の割引と2000円分のお買物券が支給されていたからです。
こんなお得な旅を経験するのは今回が初めて。
おまけに食べ頃のメロン1個もお土産に頂きました。
友人が新聞の広告でこれを見つけ、私を誘ってくれたわけですが、
凄く得した気分でした。
これで雨が降らなかったら最高だったのですが、
ツアーではお天気を選べませんものね。
帰りの道路も東名青葉IC~町田ICを除きスムースに流れたので
集合場所の相模大野には1時間早く到着しました。

コメント (10)
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奈良井宿の町並み

2019-11-08 | 国内旅行

奈良井宿は現在の長野県塩尻市奈良井に位置し、
中山道六十九次の中で、34番目、真ん中の宿場町です。
木曽路11宿の中で標高が900m台と最も高く、
多くの旅人で栄えた宿場町は「奈良井千軒」と謳われました。
町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。



大王わさび農場から奈良井宿までは
長野自動車道と国道19号を経由して約1時間で着きます。
車を奈良井駅前の駐車場(500円)に止め
鳥居峠上り口にある鎮神社(約1.1km)まで往復歩きました。





張り出した軒先の造りが特徴的な町並み。
まるで江戸時代にタイムスリップしたかのようです。
これだけの町並みが残ったのは近代以降大火がなかったからだそうです。



旅館



思っていたよりもお手頃で素敵な漆器がたくさんあったのですが、
断捨離の最中・・・
20年前だったら確実に求めていたでしょう。







水場
山の湧き水を引いたもので、山側の6ヵ所にあります。





前方に見えるのは鳥居峠でしょうか。



上問屋資料館

むかし宿駅には幕府の役人や諸大名その他の旅行者用として、
幕府の定めた一定数の伝馬(宿駅用の馬)と
歩行役(人足)を常備して旅行者の需に応じていた。
木曽11宿は1宿につき25人の歩行役と25疋の伝馬を用意していたと
言われており、この伝馬と歩行役を管理運営していたのが問屋であった。
問屋の下には数人の年寄役がいてこれを補佐していた。

奈良井宿の上問屋は慶長年間(1602年)から明治維新まで
およそ270年間継続して問屋を勤め庄屋も兼務していた。
その永い間に残された古文書や日常生活に使用した諸道具を
展示したのがこの資料館です。
(資料館のパンフレット要約)



上問屋資料館入口と国重要文化財指定票
入場料金300円。



明治天皇が滞在された部屋















囲炉裏・台所



2階からは町並みを見下ろすこともできます。



鎮神社周辺




水場
宿場の南端、鎮神社の近くにあるので、鎮神社の手水舎的な
雰囲気を持っており、水場の背後には二十三夜搭や、地蔵尊、庚申塔など
多くの石仏や石碑が安置されています。



高札場
江戸時代に幕府や藩などが決めた、
法律のようなのものを住民達に伝達する手段の1つ。
明治の初め頃まで使われていたが宿場制度がなくなると同時に
その役割を終え撤去されましたが、
宿場の町並み整備が進む中昭和48年に復元されたそうです。
(水場の後ろにある)



鎮神社鳥居と御神木(スギ)
町並みの西端の鳥居峠の上り口に鎮座している神社で奈良井宿の鎮守。



鎮神社本殿



鎮神社前の道から見た奈良井宿上町付近の町



鍵の手
城下町にはよくある、枡形などと同じ構造で、
戦争になった時、一気に軍勢が入り込まれないようにするための
防御的意味合いの強い町の構成要素。
駅に向かって歩き、左側には水場。
右側には荒沢不動尊や道祖神があります。

奈良井宿には2:50~4:30まで滞在。


木曽の大橋(道の駅)

勘違い
奈良井駅から国道19号に出ると、木曽の大橋(道の駅)
という標識が見えたので寄っていこうと、どんどん進みましたが、
道の駅らしき建物は見えません。諦めてUターンして塩尻方面に向かうと
左手にまた標識が見えたので、進んでみると、あったのはよく聞く
道の駅とは違い、立派な太鼓橋(木曽の大橋)と駐車場でした。

着いた時間は4時45分。薄暗くなってきました。



木曽の大橋







渡ってみると、対岸には公園とトイレがありました。
少しだけ公園を散歩して、次にはほんとの道の駅(名前忘れ)に
寄りましたが、5時で、お店を締めているところでした。
高速に乗る前に食事をしようと探しましたが、営業しているのは
全国展開している牛丼屋さんとかファミレスばかり。



結局、中央高速・諏訪湖SAのそじ坊さんで、
夜の諏訪湖を眺めながらお食事しました。



お蕎麦と梅シラス丼の子丼セット。

自宅に着いたのは9時過ぎていましたが、お天気にも恵まれ
楽しい旅ができました。
J君、お疲れ様。どうもありがとう。



ウオーキング・運動記録

11月06日(水) お買い物     一日合計9861歩 踵落とし90回
11月07日(木) 卓球80分     一日合計7555歩 踵落とし60回

長々とお付き合い下さり、ありがとうございました。
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安曇野・大王わさび農場

2019-11-04 | 国内旅行

北アルプスの麓に位置する安曇野は
北アルプスの雪解け水が湧き出る豊かな土地でわさびの名産地。
中でもここ、大王わさび農場は、広さが15haもあり、
日本で一番大きなわさび農場です。
農場内には散策路が整備され、土産物店やレストランなども置かれ、
安曇野の原風景とも言える美しい風景と
外国でのわさび人気も相まってか、年間入場者数は、なんと約120万人。
(この日は西洋人も多く訪れていました。)
いまや安曇野を代表する一大観光地となっています。



入口付近には魏石鬼八面大王の像。



一面のわさび田。
わさびは、一年中冷たく美しいアルプスの雪解け水の湧水で栽培され、
3~5月頃に、とても小さく可愛らしい白い花を咲かせるそうです。



道祖神
多くの道祖神は建立年不詳だそうです。
銘はありませんが、多くは江戸時代に信濃国高遠藩の農間出稼ぎ石工が
彫ったものといわれています。



美しい蓼川の流れと水車小屋そして道祖神。
18年前に来た時と入り口付近の建物などはだいぶ変わったように思いましたが、
ここはまったく変わりません。仲睦まじい道祖神に癒されます。



水車小屋周辺は、黒沢明監督の「夢」という映画の舞台にもなったそうです。
風情のある風景ですね。
水車小屋は3棟あり、それぞれ水車が回っています。



右の写真は2001年11月に夫と娘の3人で旅行した時のもの。
息子は川崎で一人暮らしをしており、翌年の9月に結婚したのでした。



一年を通してほぼ13℃の湧き水が、わさび田全体で毎日12t湧いているそうです。



親水広場
小さな池にはニジマスが沢山泳いでいました。
水が澄んでいるので、底まではっきり見えます。



安曇野のシンボル、常念岳が見えます。



道祖神
「縁結び」「疫病退散」「五穀豊穣」「家内安全」「子孫繁栄」
などの願がこめられているそうです。



幸いのかけ橋
カップルでこの橋を渡ると幸せになれるそうですよ。






農場内にある大王神社
大王わさび農場の守り神「魏石鬼八面大王」が祀られています。
祠の両脇に奉られているのはは大わらじ。
魏石鬼八面大王が大男だったという言い伝えから
農場のスタッフが手作りして奉納したものだそうです。



名水百選水飲み場前から青空広場方面を眺める



大王洞







開運洞



開運洞の中には七福神が。
触るとご利益ありそうです!



八面大王の御神水
美人の水、御神水、知恵の水



今年は全体的に秋の草花の開花が遅れ、
10月10日だというのにまだ彼岸花が咲いていました。
前方に見える建物の前に名水百選水飲み場があります。







大王さまの見張り台
大王窟を再現する際に積み上げた築山。





職員さんが草焼きバーナーで雑草取りをしていました。
これから苗の植え付けをするのでしょうか。



最後にわさびのソフトクリームを!



ウオーキング・運動記録

11月01日(金)歩き25分・卓球80分 一日合計11917歩 踵落とし60回
11月02日(土)          一日合計03496歩 踵落とし90回
11月03日(日)卓球90分      一日合計10365歩 踵落とし30回
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安曇野・長峰山休憩展望台

2019-10-30 | 国内旅行
長峰山休憩展望台は安曇野市明科にそびえる
長峰山(933m)の山頂付近に作られた展望台と広場です。
眼下に広がる安曇野の田園風景と北アルプスを一望できるビューポイントで
パラグライダーの離陸場所としても人気のスポットだそうです。



長峰山休憩展望台
穂高神社の駐車場を10:15に出発し、
10:46に長峰山山頂の駐車場に到着しました。
乗用車一台分位しか通れない細い林道が、思った以上に長く感じられ、
本当に山頂まで車で行けるのか心配になりましたが、
無事についてホッとしました。
木製の展望台は17年間愛されてきた先代に代わり、
松などの地元の木材を有効活用して造られ、2015年4月に完成したそうです。



「安曇野を想う」 東山魁夷
五月の若緑に蔽われた安曇野はなんと美しかったことか 
上高地から流れ出る梓川が高瀬川と合流し
犀川となって北に流れる平野の上に高く連なる北アルプスの山々 
常念、東天井、燕と長峰山の上で案内人の指し示す
残雪の嶺々を仰ぎながら飽かず眺めたひとときが忘れられない



昭和45年5月、作家の川端康成、井上靖、日本画家の東山魁夷が揃ってここを訪れ
この地からの眺めを「残したい静けさ、美しさ。」と絶賛したそうです。

万歳をしているようなオブジェは「歴史の塔」
展望台の下は広々とした芝生の広場になっており、
芝生の先端ではパラグライダーをする方たちが準備をしています。



油絵をなさっている友人のご主人は、毎年ゴールデンウィークに
安曇野に行っては絵を描いていらっしゃいます。
9月に市展で見た油絵には、富士山を小さくしたような有明山(2268m)と
水をはった水田が描かれていました。
(この位置からではなかったようですが)

写真を見ると安曇野の地形と北アルプス中部の様子が良くわかります。
有明山の山頂中央の後ろにポツンと見えるのは燕岳(2763m)
常念岳(2857m)と有明山(2268m)は安曇野と松本のシンボルだそうです。



常念岳(2857m)横通岳(2767m)大天井岳(2922m)
朝からお天気は良かったのですが、北アルプス周辺が霞んでいてちょっと残念です。







展望台から
360度の展望が楽しめますが、
前方は下の広場からの方が眺めが良いような気がします。

山頂の山野草



カワラナデシコ コウリゾナ カントウヨメナ
ヤクシソウ ニュウノウギク アキノキリンソウ
似ている花が多いので判別が難しいです。



ホコリダケ
キツネノチャブクロ(狐の茶袋)の別名もある。
駐車場の隅の草地に発生していました。
幼菌のうちはきのこの内部もしっかりと肉が詰まっており、
きれいな白色をしており、食用にもなるそうですが、
(人によっては中毒になる場合もある!)
成熟するに従い、徐々に褐色がかると共にきのこの内部が粉状になり、
黒色の胞子がつくられるそうです。





ノコンギク
白色が多い野菊の中で名前のとおり紫色(紺色)が特徴。
ヨメナとよく似ているが、ノコンギクの方が葉の切れ込みが少ない。
また、平地のヨメナより山地に多いことも一応の区別となる。



ゴマナ
葉がゴマの葉に似ていることからゴマナ(胡麻菜)の名前が
付いていますが、キク科の植物で、野菊と称される仲間の一つです。

これでもごく一部。
山の斜面に咲いている姿は壮大でした。


 
ヒメアカタテハ ウラナミシジミ ヤマキチョウ
他にもアゲハ蝶、クロアゲハ、ツマグロヒョウモンなどを見かけました。 



車に乗り込もうとしていると、パラグライダーが・・・
望遠にする間もなくパチリ
ここでは約1時間滞在しました。



大王わさび農場に向かう途中、
車窓から安曇野のシンボル有明山と今までいた長峰山休憩展望台
(電線・左から2本目)が見えました。



ウオーキング・運動記録
10月28日(月)卓球50分  一日合計7281歩  踵落とし60回
10月29日(火)一日中雨  一日合計5323歩  踵落とし90回
コメント (8)
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安曇野・穂高神社

2019-10-26 | 国内旅行
旅行2日目は安曇野市にある長峰山頂にある
長峰山展望台に朝一番で行く予定でしたが、途中に穂高神社があったので
参拝していくことにしました。

信州長野の山奥に古代、福岡の志賀島にいた海辺の安曇族が
入植してきて以来、安曇野は安曇族が地域を作り、
安曇族は穂高神社に祖先の神をお祀りしたそうです。



穂高神社
長野県安曇野市穂高にある神社
式内社、信濃国三宮。
旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。

安曇野市穂高の本宮のほか、松本市安曇の上高地に奥宮、
奥穂高岳山頂に嶺宮があることから、「日本アルプスの総鎮守」の通称がある。
(ウィキペディアより)



拝殿
拝殿前に金の気がたまっていることで有名だそうです。
お参りをしたときはそのことを知らず、
私達夫婦や娘、息子家族の家内安全と健康を祈ってきました。
この奥に本殿とご神木がありますが、立ち入ることはできません。



拝殿内から臨む本殿。

本殿の御祭神は
中殿(中央)穂高見命(神武天皇の叔父神)
左殿(向かって右)綿津見神
右殿(向かって左)瓊々杵尊(ににぎのみこと)
別宮 天照大御神



神楽殿
まだ新しいようなので建て替えられたのでしょう。



孝養杉
神楽殿の横にある杉の大木。
詳しいことは不明ですが、樹齢は500年を超えているそうです。

大正10年頃、穂高柏原在住の高木康江さんが母親の病気平癒祈願のため、
丑三つ時に白装束でお参りをされたところ、
母親の病気が良くなったといったことが、氏子の人たちから噂になり、
いつの頃からか、「孝養杉」と呼ばれるようになったそうです。

立て札には手を当ててパワーを頂いてくださいと書いてありました。



若宮社
延命長寿、財宝沢山、幸福自在の神。
663年の白村江の戦いで戦死した阿曇比羅夫命を祀っています。



巨大な招魂社系狛犬
(昭和15年建立)



御神馬
唐鞍(奈良時代の馬の飾り)を付けた馬としては全国でも稀にみるもので、
馬は純粋の木曽馬をモデルにしています。
昭和24年小川大糸作



厩舎と馬
こちらの馬は茶色で、見るからに木曽馬といった感じです。



ステンレス製の健康増進道祖神
翁と媼が手を繋いでいる部分を撫でると、健康長寿、家族円満の
御利益があるそうです。もちろん撫でてきましたよ。





塩の道・道祖神
駐車場左手、参道入り口付近に置かれています。





神船
東京の辻清明という陶芸家をはじめ、
著名な工芸作家が集まり、船を完成させました。
船は御朱印をもらう社務所の近くに安置されています。



1表参道大鳥居 2表参道側の手水舎 3池 4相撲の土俵 
5奉納された安曇野の銘酒 6? 7安曇族の英雄・阿曇磯良の像
8信濃中将として祀られている御伽草子・ものぐさ太郎の石碑 9社務所

">

御朱印

ホテル出発8:43-穂高神社🅿着9:11-穂高神社🅿出発10:15



ウォーキング記録

10月24日(木)卓球・ニッタク講習会  一日合計7424歩  踵落とし60回
10月25日(金)一日中雨   休養日  一日合計3776歩  踵落とし30回
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上高地:番外編(奈川渡ダム)

2019-10-22 | 国内旅行

朝、松本ICから沢渡に向かう途中、3つのダムが目に留まりました。
帰りに時間があれば、寄りたいと思っていたので、
道の駅 風穴の里に立ち寄った後、
一番上流にある奈川渡ダムに寄っていくことにしました。
ここは風が通り抜ける場所らしく、
帽子が飛ばされるほど強い風が吹いていました。



奈川渡ダム
長野県松本市、信濃川水系犀川の上流部・梓川に建設されたダム。
高さ155mのアーチ式コンクリートダムで、東京電力による
大規模な水力発電所開発に伴い、下流の水殿ダム・稲核ダムとともに完成。
これらは総称して安曇3ダム、もしくは梓川3ダムと呼ばれる。
ダム湖(人造湖)の名は梓湖という。(ウィキペディアより)

奈川渡ダムは長野県の中で一番大きなダム
日本のアーチダムの中でも
黒部ダム、温井ダムに次いで3位の堤高を誇っているそうです。



奈川渡ダム堰堤
下に安曇発電所1、2号機建屋、
堰堤の最上部には国道158号線が走っています。



国道158号線(画像はお借りしました)
駐車場は白い建物と158号線を挟んだ右側にあります。
写真を写した堰堤には道路を渡れないので地下道を通ります。
白い建物は梓川テプコ館で、展望室からダムを見渡せたり、
発電所の見学ツアーや水と電気のしくみを
遊びながら体験できる展示物コーナーなどがあるそうですが、
この日は休館でした。



国道158号線から覗き見した安曇揚水発電所3~6号機。
(奈川渡ダム堰堤とこの写真は梓川テプコ館前から身を乗り出して写しました)



ダム湖命名記念碑



駐車場から見た梓湖は水量が多く美しかったです。
10月9日時点では、周囲の山々の紅葉はまだありませんでしたが、
急激に気温が下がった今頃は、
赤や黄色、オレンジ系の色に美しく染まっているかもしれません。

*****

「これなら日帰りできたかもしれないね」
等と話しながら、宿泊先の「ホテル アンビエント安曇野」に車を走らせました。
場所は安曇野の山中にあり、山道では野生の猿に何度も出会いました。
宿泊先は旅行前々日(天気予報を見てから急に決めたので)、
息子がネットで予約しておいてくれました。
食事は和食や洋食も選べましたが、息子の大好きなバイキングにしたそうです。
お部屋はアルプスビューリビング付ツインルーム。
リビングのソファーの後ろに息子用のシングルベットが一台追加され、
ツインルームは夫と私が使いました。



和洋折衷いろいろな種類のお料理が並べられていましたが、
半分も食べていません。



お腹がいっぱいになっても、デザートにはつい手が出ます。



翌朝、1階のダイニングからホテルを写しました。



ダイニングの入り口にはハローウィンの飾り付けが!



お料理の種類は夕食にも負けないほどありましたが、
とりあえずこれだけ。
お魚はイワナの開きだったと思います。



さすが長野県。
小さいリンゴでしたがとても美味しかった。
初めて食べた種類だったので、メモしておけば良かったわ。



出発前、ホテルの部屋から
右の山が蝶ヶ岳(2677m)
左の山は大滝山(2616m)らしいのですが、
3つの山が写っているので、どれが右の山なのかはっきりしません。



ウォーキング記録

10月20日(日)6115歩・45分       一日合計9406歩  踵落とし60回
10月21日(月)車屋・Hさん快気祝い  一日合計7480歩  踵落とし60回
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北大・苫小牧研究林

2019-06-24 | 国内旅行
6月2日(日)
せっかくの日曜日でしたが、孫息子のK君は1時半まで
部活の大会(陸上部)があるとのこと。
あまり遠くには行けないので、
娘に北海道大学・苫小牧研究林に連れて行ってもらいました。
Mちゃんは森の散歩より、お友達と遊ぶことの方が楽しいらしく、
自転車に乗ってさっさと公園に出かけました。



明治37年に北海道大学農学部の演習林(現在は研究林と改称)として創設。
市街地に近いこともあり、緑のオアシスとして市民に親しまれ、
北海道の自然100選にも指定されています。
面積は約27km2 (2,705ha) と広大です。





苫小牧・幌内川
北大研究林の北西部林内を水源とし、研究林の中を流れ、
苫小牧市街を通って太平洋(苫小牧港)に注ぐ河川です。
小さな小川ですが、全国でも屈指の水質を誇り、
清流・日本一になったこともあり、
苫小牧市民の大切な飲み水となっています。

ウィキペディアによると、幌内とはアイヌ語の「ポロ・ナイ」(大きい(親の)・川)
に由来するそうで、北海道だけでも同じ名前の川が22もありました。
ニジマス、ヤマメ、イワナなどが生息しているらしく、
10㎝位の魚が泳いでいる姿が見えました。



遊水池



遊水池はいくつかあるようです。
こちらの写真は2011年5月中頃、研究林を訪れた時のもので、
今回よりもう少し奥にある遊水地です。
まだエゾヤマザクラが咲いていましたね。
建物は北海道大学・森林記念館(国登録有形文化財)です。



ズミ(酸実)
とても香りが良く、綺麗な花でした。
それもそのはず、バラ科リンゴ属の一種で、
リンゴに近縁な野生種なのだそうです。
語源は、実が酸っぱいこと、あるいは樹皮を染料(黄色)に
用いたことによる(染める実)ことからだそうです。



アップで!
あと何日か遅かったら散っていたかもしれません。
ラッキーでした。



娘のスマホで写してもらいました。



クルミの雄花



ヤマツツジ



ヤマナラシ?



森の小道
娘の話ですと、林の中の採取・採集はすべて禁止だそうですが、
キノコや山菜とりは許可されているそうです。
苫小牧市民が羨ましくなった一瞬でしたが、
娘はまだ一度もとりに行ったことがないそうです。

広葉樹が多かったので、秋の紅葉のシーズンも綺麗でしょう。



マムシグサとヤマシダ



カタツムリ
サッポロマイマイとオカモノアラガイ





クリンソウ
群生はしていませんでいたが、水辺のあちこちに咲いていました。
15年前頃、庭で育てたことがありますが、1年で枯れてしまいました。
やはりこのような環境があっているのでしょうね。



そろそろ帰りましょう。





タチツボスミレとヤブヘビイチゴ



名前?とマイヅルソウ



タンポポとヤブニンジン

山野草は特別に珍しい花はありませんでしたが
緑いっぱいの森の中で1時間半、ゆっくりと過ごせたことは幸せでした。
コメント (6)
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