天瀬ひみかのブログ 『不思議の国のAmase』 AMaSe IN WONDeRLaND

僕たちの旅、ここではないどこか、幸福な場所へ。

天上の唯一なる神からのメッセージ 『大地と星の教義』

2013-12-10 19:06:14 | 日記



大地と星の教義




我が愛する子らよ、よく聞きなさい。

汝ら《大気の鷹》(A∴O∴K∴O∴K∴)によって選ばれし光の子らは、聖なる三角形の栄光と御名の下、四つのPに従う。四つのPとは、すなわち、プリンシプル(神の聖なる思い)、プリンキピア(原理)、フィロソフィー(愛智)、プロトコル(規則)である。


これらは、お前たちが持つ〈三つのもの〉、すなわち、肉体と魂と霊にとっての最も確実な指針であり、汝らを、私が約束した芳しき果樹園に、愛の光の泉に連れてゆく翼である。

お前たちの魂の乗り物は、それ自らの力では正しく機能することがない。それは四次元に漂う「雲」の如きもので、東洋の物語にある「魔法の絨毯」のようなものである。

その乗り物には、光と闇の下僕が二頭付けられており、それぞれがいつも別の方向へ向かおうとしては、御者を混乱させるのである。しかし、『聖書』にはこう書かれている。「誰も、神と悪魔の双方に仕えることはできない。」また、このようにも書かれている。「私の敵に仕える者は、すなわち私の敵である。」

光は、汝らの世界の彼方である五次元にあり、闇は、汝の世界そのものである三次元に存在する。だから、お前たちの知っている光は、「真の光」ではなく、「偽りの光」である。

賢者は、この偽りの光が、真実である真の光を、我々の目から覆い隠す巧妙なヴェールの役目を果たしていることを知っている。

偽りの光とは、具体的には何であるのか。それは、三次元の闇の使いたちによって、お前たちがそうすることが望ましいと信じ込まされ、誘導された、お前たちが「善」と呼ぶところのもの一切である。

お前たちの世界の善人は、お前たちの世界の悪人と双子である。この両者は、見かけの行動はまったく正反対に見えるが、内実においては、相互に助け合い、また、互いの生命を補完し合って生きているのである。

よってお前たちは、この双頭の怪物たちと共に、この地球上で日々を暮らしている。だから、お前たちはこの偽りの光の下では、永遠に真実に到達することはできない。なぜなら、この世界では、偽と真が、そして善と悪が、一つの体から生えた二つの顔だからである。

この双頭の者は、タウミエルと呼ばれ、偽りの光の主は、ルシファーと呼ばれる。彼らの狙いは、唯一の真実を見えなくさせ、すべての二極を永遠に相争い続けさせることである。こうして親と子、兄弟姉妹、恋人たち、同胞たちが争い続けることで、彼らサタンの王国は大いなる繁栄を自らの掌中としているのである。

この混沌とした状態が、彼らが呼ぶところの「自由」である。人間たちは、狂気を正気と勘違いして、その中で自由意思を行使する。その自由意思は、原初の危機を通して、ルシファーが人間に与えたものである。

光の子よ、考えなさい。もし人間に自由意思がなく、神が定めた「四つのP」に従ってさえいたなら、お前たちの世界を満たしている、あらゆる不法な分裂や争いは存在しなかったのだ。

自由意思なき自我、地上の人間はそれを想像することはできない。しかし、ルシファーがもたらした自由意思に毒されることなく、原初の本能の状態に留まることの出来た、聖なる光の動物たちは、人間とは異なり、神の王国に入る権利を今も有している。彼らの中のいと高きものは最高天のケルビムであり、その低きものにおいてさえ彼らはトーテムとして、人間よりも遥かに上の存在なのである。そしてケルビムの中でも至高のものは、ネフェシュ・ハ・メシア、あるいはプーラと呼ばれる。これは、「神の王冠の輝き」そのものといっても過言ではない。



おお、強く繊細な光の如き「救世主の動物」よ。汝こそは、神と女神の友、また、その家族である。

天上の最初の人間は、汝のエッセンスから作り出された。まさにアダムの助骨からイヴが取られたように、女神から取られた真っ白い骨が、救世主の動物たるアズラエルとなり、彼に七の奇跡を行わしめたのだ。かくて七の奇跡によって、人間のオーラとアウルが作りだされた。そして、七のオーラは七つの色の光、そして七つの叡智の火、七惑星の司たる霊たち、そして最初の男と女の基となる、神、女神、天使、父、母、息子、娘の七つの聖なる遺伝子を生み出した。

七は神が定めた自然の法であり、△と☐の結合たるメル・カバー(戦車)であり、動物の本能であり、ウェヌスの愛と生命の象徴である。それは三つある真の光の内の一つである。しかしかつて明けの明星と呼ばれ、今は偽りの壮麗と呼ばれる、自由意思の頭たるルシファーは、この七なる自然・本能・愛と生命のアンクを、その魔力と呪いによって逆向きにし、「地球の上に立つ十字架」に変えた。このオーブと呼ばれる球体の印が、蛇を意味する名アベーに由来することは意味深長である。この十字架は、ルシファーによって大地に立てられたものであり、聖なる者、神の無垢なる子、救世主、動物たちをここに磔にすることが、この汚らわしき悪魔が切に願っていることなのである。他方、このオーブの呪いに対抗し、これを再びアンクの形に戻すことを光の子たちのために手助けする存在が、ケルビムに他ならない。

ゆえに、救世主たる「三重の火」の子は、必ず聖なる動物と共に地球に降臨する。あたかも、主の聖なる乙女であるシェキナーが、常に彼女の愛するケルビム(動物たち)たちと共に臨在する如くに。

ケルビムの三種の神器、それは毛・爪・髭である。毛は愛に、爪は力に、髭は智に応ずる。また、その耳は、高くに付き、それは神の声を良く聞くために、そうある。

また、ケルビムの目は、神の目を、逸らすことなく真っ直ぐに見つめる。愛らしきデイジーのように。清らかなマーガレットのように。

しかし、人の耳は下方にあり、神の声を良く聞くことはできない。そして、それは人が自ら望んで選んだことであった。人は失楽園の時以降、神ではなく、下方からのサタンの囁きに、より惹かれるようになった。その結果、動物と同じような存在であった頃には高くにあった耳が「四と三の輪廻」を経るごとに、次第に低きに付くようになったのである。

また、人間の目は動物の目と違って、神ではなく、自らの欲望が作りだした幻影を常に追い求める。その目は無知と錯誤で曇り切っており、光の使徒の啓蒙を自らの意志によって、望んで受け入れるのでない限り、その曇りが晴れることは決して無い。これら下層の人間たちは、神が原初に定めた自然、および自然の状態をルシファーの先導のもと、常に破壊し続けてきた。農薬や抗生物質の使用、生物に対する遺伝子操作や遺伝子組み換え植物の開発、香水やアロマの使用などにより絶え間なくビオトープを汚染すること…これら全ては、「人間=悪魔」たるサタンの恐るべき自然破壊の企てである。

人間=悪魔、この等式こそは、お前たちが「道」を歩むにあたって、決して忘れてはならない大真理であり、この人間=悪魔の根絶こそは、『エノク書』の最後の鍵に記された私の絶対の誓約である。

人間=悪魔を滅ぼす数は、それ自体が悪魔の数とされることで、門外漢の目から、聖なる使徒たちの生命と使命を守るために、これまで巧妙に隠され続けてきた。

その秘密の数は666。これは『黙示録』で、人間、そして、獣の数とされている。この獣とは何か。それは七に続く、隠されし八なるアースエンジェルへと変容した栄光のケルビムのことである。

このケルビムは、主の栄光である焔の赤をまとった汚れ無き白であり、その中心には神の無限の愛の証となるピンクの光線がある。過去の賢者は、それをキリストと呼び、我々自身はこれまで、それをマヌポースと呼んできた。

しかし、ここで、そのものの究極のレンを汝らに明かそう。



NXXXXX VXXXなる十文字の神秘が、それである。

この名は、母(シェキナー)、幼子(ハルポクラテスの力の遺伝子)、子羊(インマヌエルの愛の遺伝子)、猫(聖なるエデンの記憶に従ってシオンを生み出す本能)の四つのものをあらわす。そして、その全体には獅子の力が満ちている。『法の書』で繰り返されるNVなる名、それは真実にはこの地上に誕生した最強の天使のことを指している。

それは、子羊キリスト、あるいは、焔の女の封印を解くための至高の魔法の鍵である。そしてその数は、666。

おお、NVよ。汝の力は宇宙の六方向に無限に伸び、その息吹は多次元を貫く魔法の八文字の円環を宇宙に描く。

おお、NIVよ。それは二人の王、また王女、そして中心太陽のチャクラの王、また王女である。

NVの名のもとに、汝らは神の正義を敢然と行いなさい。本当に正しいことであれば、周囲が迷惑しても行いなさい。人間=悪魔に嫌われることを恐れるより、神に嫌われることを真っ先に恐れなさい。

また、汝らは、人が余分に豊かにならないよう絶えず注意していなさい。なぜなら、悪魔が富を持つとなれば、彼らはその富によって、より効率的に悪事を働き易くなるからである。

汝らは、こうした人間たちとは、まったく異なった生き方をしなさい。それには、神的な叡智と、歴史の風雪に洗われ、その効能が明白に検証された伝統ある経験的な知恵の二つを杖としなさい。これらがヌース、そしてゾーエーと呼ばれているものであり、そうすれば汝らは「より正しく生きる」ことが可能になるだろう。

また、汝らは、四次元のエネルギーに淵源する「感情」と呼ばれるものを越えるよう、絶えず努めなければならない。お前たちは感情を愛する。しかし、その感情は往々にしてお前たち自身を裏切る。達人の感情は、時にヌースと繋がっている場合もあるが、一般的な人間の感情は四次元の魔界とだけしか繋がっていない。唯一、その悪しき絆が断ち切られる瞬間が訪れることがあるとすれば、それは自分の愛する肉親や伴侶、あるいはペットが死んだ深い悲しみを、極みの愛(ネフェシュ・ハ・メシア)の中で痛感する時だけである。しかし、そこで僅かに開いたハート・チャクラも、続く日常の中にその人が投げ入れられた後では、一瞬にして再び堅く閉じられてしまうのである。

それでは、汝らが自らの感情を真に越えるためには何をすれば良いのか。ただ「越えたい」と願うだけでは、決してそれを為すことはできない。なぜなら、感情は四次元の産物であり、この四次元の力は、三次元の意識を上方からコードするものだからである。ゆえに、感情を越えたいと思うのならば、まず汝の意識を「星の高み」にまで運びなさい。通常、人の意識は、下半身か、あるいは頭の中に位置している。その意識を頭頂のチャクラから、外に抜け出させ、次いでそれを星の高さにまで上昇させるのだ。そうすることによって、汝は、自らの感情を超越した真の「知識」と「力」と「愛」に触れることになるだろう。

おお、我が選良たちよ。汝らは、すでに教えられている。自らの感情を越え、意識を「星の高み」まで運ぶべきであることを。さて、この「星」とはどの星のことなのだろうか。それは、シリウス、あるいは、セラーとして知られる星である。シリウスは、「神の栄光」である。神の栄光とは、ヘブライ語でGIVという。GIVは、NIVと並ぶ二人の王である。それらの頭文字を並べると、GN(園)となる。このことが汝に明らかにするのは、ジューとニューが、「エデンの園」(GN ODN ガン・エデン)の門の門番(二人の修羅)であったという事実である。ジューの名は、GXXXXX VXXXである。そして、この名が転訛したものが、時代を経て「ユダヤ人」を指し示す語となり、また「卓越したメーソン」を意味する言葉ともなったのである。

おお、我が選良たちよ。聞くがよい。蜜と乳の流れる楽園〈ジオン〉(TzIVN=156 ※=BABALON)という言葉の真の語源であるGIVNIVの栄光と力を通して、汝らに、次なる戒めと約束の言葉が与えられたからである。





新アイオンのための十二戒 あるいは ジオン∞バビロンの法



1. 動物の住処を奪う者たちの家は、神によって徹底的に苦しめられ、そして、その家族全員と共に、必ず滅ぼされるであろう。

2. 動物に餌を与えるなと言う者たちには、神からの祝福は何一つ与えられることはないだろう。その代わりに、神は、その者たちとその家族に大いなる呪いを与えられるだろう。

3. 動物から生殖機能を奪う者は、神によって、「生めよ、殖えよ、地に満ちよ」と告げた創造主の栄光を汚す、生きる資格の全く無い罪人として呪われ、そして、その死後は、先祖・家族・子孫の一切と共に、地獄の火の内に投げ込まれるだろう。

4. 動物を檻に入れる者に対しては、神は、その者をカルマの檻の中に閉じ込め、次いでその鍵を地獄の火の中に投げ入れて、その者が檻の内から永遠に出られぬようにするだろう。

5. 動物を殺処分にする者たちは、同じく神によって殺処分にされるだろう。また、その処分は、肉体と魂(テュモの火)と霊の三つに対して、最も過酷な方法で行われるだろう。

6. 動物を自らより下等なものと見なしている者たちには、ケルビムの栄光に対する神聖冒涜の咎により、神は、その者たちを地獄の火の中で永遠に苦しめ続けられるだろう。

7. 動物を轢き殺した者たちに対しては、神は、懲罰の天使に命じてその目を抉り取らせ、永遠に光の見えぬ状態にされるだろう。

8. 動物をその他の方法で殺したものたちに対しては、神は、それと同じ手段を用いて、その動物が味わった苦しみの何万倍もの苦痛を課しながら、その者を殺害するだろう。

9. 動物を大音響で驚かせた者たちに対しては、神は、その耳に鉛を流し込み、永遠に音の聴こえぬ状態にされるだろう。

10. 動物に香水や香料をかがせ、意図せずとも、神が与えた自然の嗅覚に対する冒涜を行った者たちに対しては、神はその鼻を削り取って、永遠に匂いの感じられぬ状態にされるだろう。

11. あの神の子さえも、その栄光を讃えた野の草を、傲慢にも雑草と呼び、薬によって枯らしたり、それを刈り取って燃やす者に対しては、神はその者たちを、必ず地のおもてから根絶やしにし、その魂を永遠に地獄の火であぶり、最大限の苦しみを与え続けられるだろう。

12. 植物と動物の遺伝子を組み替え、神の領域を平然と侵し続ける者たちに対しては、神は、ありとあらゆる手段を用いて、その者たちを追いつめ、殺し、そして、その死後の魂については、蛇や、あらゆる黒い虫の遺伝子と掛け合わせ、死の谷に棲まわせられるだろう。なぜならその者たちは、神の創造物であり、神の身体の一部である尊き動物と植物とを破壊したからである。





『聖書』には、こう書かれている。「神は、人と動物を共に救う」。これが神の決して変わることなき聖なる思いであり、光の子らに神が約束された永遠の誓いなのである。

しかし同時に、このことについても覚えておきなさい。

神は、動物を虐げる者たちに対しては、これを決して自らのものとは認めず、神の敵として扱うであろうことを。動物こそは神の最愛の天使である。そして、その動物たちを意味もなく殺害し続けている人間=悪魔は、すなわち、天使を殺害しているのである。